【桟原将司連載#28】翌日投げるのにアルコール度数40度のカクテルを何杯も飲まされた

05年4月に中村泰弘(左)とともに早々に二軍に降格。右は林威助

【桟原将司 ハナの剛腕道中(28)】2005年4月19日、巨人を相手にした最初の登板は散々な結果でした。一死を取っただけで3四死球、被安打3で4失点。試合は勝ったものの二軍落ちです。

ホテルに帰るとマネジャーから「明日、二軍やから」ってチケット渡されました。一緒に乱調だった中村泰広さんも同様でした。

「朝一の新幹線で帰って、明日の二軍の試合で投げろ」と中西投手コーチに言われて…。そこからがおかしいんですけど、夜中に中西さんに呼び出しを食らって「シガー(葉巻)バーあるから、お前ら2人来い」って言われて。そこでめちゃくちゃ飲みました。

ニコラシカってカクテルをご存じですか? ブランデーをショットグラスに注いで、そのグラスの上に砂糖をオンしたレモンスライスをかぶせる飲み物です。アルコール度数で言うと40度くらい。これを何杯も飲まされてベロベロになって…。次の日、投げるのに。

ホテルに帰ったのがもう朝の4時とかでしたかねえ。ほぼ寝ずに新幹線に乗って。新幹線の中では寝るんですけどね。でも、その新幹線で中村泰広さんと目が合ったんですよ。「ヤスさん、今日、雨やで」って(笑い)。

当時はまだ2人とも寮でしたからね。その当時の二軍のマネジャーに「今、帰ってきました」と報告したら「サジくん、今日は試合中止やから、みんな練習行って帰ってきてるから、もう2人で室内練習場でキャッチボールでもしておいで」と言われて移動して。

2人でキャッチボールしてたら「今日調子いいなぁ! 俺ら!」ってなって。酒に酔ってるからというのもあるんじゃないかって言いながら。「今日、試合やったら全然、抑えられるんじゃないか」って2人でしゃべったのを覚えています。

次に一軍に戻ったのはもう交流戦の時期でしたね。当時はホーム、ビジターで3試合ずつ6試合をパ・リーグのチームと戦いました。記憶にあるのは6月11日の日ハム戦(甲子園)です。能見篤史さんが先発して4回途中5失点で降板。こういう場面は僕の出番です。

僕は1回2/3を無失点に抑えて打線が6回、7回に5点ずつ取って大逆転勝利です。7回の1イニングを無失点で抑えた藤川球児さんが勝ち投手でしたね。この6月のあたりからは僕も一軍に定着し続けて、主力の先輩たちと一緒にリーグ優勝の輪に入れてもらうことになっていきます。

そういえば、僕が3者連続三球三振を記録した試合なんてのもあったんですよ。9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)なんですけどね。NPBの公式戦で1イニングに3人の打者から連続で3球のストライクのみによる三振を奪って、その3人の打者との対戦のみでイニングを完了するというのは希少な記録なんだそうです。

24年の6月1日時点で19人(21回)だけで、16人しか存在しない完全試合の達成者とほぼ同じ水準だということです。でもね、僕はその同じ試合で人生唯一の汚点も経験しているんです。なんか僕らしいでしょ。次回はそのお話をさせていただきます。

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