【ブル中野連載#6】「お前は半人前だから」と半分モヒカンヘッドに…地獄の始まりでした

奇抜なヘアで小松美加(左)と対戦(85年4月)

【ブル中野・告白(6)】1984年秋にダンプ松本さん率いる「極悪同盟」に入った私は、悪役になりきれていませんでした。なりたくてなっているわけじゃないから「本当は悪役じゃないんだよ」というアピールをしていたと思う。当時の私は目が垂れていたので「パンダちゃん」と呼ばれて、ファンからパンダのぬいぐるみとかもらって定着していましたし…。

あれは85年2月の九州巡業でした。見かねたダンプさんから「そんな気持ちじゃダメだ。モヒカンにしろ!」と命じられたのです。寒い控室で頭から黒いビニール袋をかぶせられ、ダンプさんのバリカンが当てられました。でも、結構時間がかかってしまい、途中でダンプさんも飽きちゃったみたいで…。結局半分だけ剃った状態で「お前は半人前だから半分でいい」って言われました。ちゃんと理由をつけてくれるのがいいですよね(笑い)。

まず「親に何て言おう?」というのが一番でした。悪役になったことは伝えていたんですが、父からは「何でヒールになったんだ! 化粧したり髪を染めたりはするなよ!」と怒られていたのです。翌日の専門誌に半モヒカンの写真が出ることがわかっていたので、ホテルの部屋から母親に電話しました。

「髪の毛を短く切っちゃったんだ」

「そうなんだ。前の髪形も良かったけどね」

言った後に泣きました。先輩の前で泣くのはダメなんですが、同じ部屋のクレーン・ユウさんが慰めてくれました。ただ松永高司社長は「よくやった」と10万円をくれたので、そのお金で7万円のカツラを買いました。一度、カツラをかぶってお付き合いしている方とお会いしたんですが、髪の毛を半分剃ったことであっちは引いたと思います。結局この恋は自然消滅の形で終わりました。

その方からは「引退式の日に花束を持っていくから結婚しよう」と言われていました。引退式とか想像できなかったけど、いつか結婚するのかなという感じはありました。中学のときも付き合った人はいましたけど、初めて結婚を考えた人だったんですかね。そうそう、後から知ることになるんですが、その後に彼は同期と付き合っていました(笑い)。当時の全女は「酒・たばこ・男」を禁止する「三禁」が不文律。当然「男」は禁止ですが、中にはお酒を飲んでいた人もいます。同期でたばこが見つかって辞めた子もいたなあ…。

とにかく髪の毛を半分だけ刈り上げたとき「私が生きるのはリングしかない。この世界で悪役として生きていくしかないんだ」と覚悟を決めました。そして、前座で試合をしていた何もできない私が、いきなりメインイベンターになったのです。これが地獄の始まりでした。

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