元テレ東アナウンサーの福田典子の現在。新たな働き方で「自分がわくわくしていられる」

By GetNavi web編集部

福岡・RKB毎日放送からテレビ東京に中途入社し、『モヤモヤさまぁ~ず2』(テレビ東京)の3代目アシスタントとしても知られる福田典子さんは、2024年3月末、テレビ東京を退職し、歯科医療系メディカルテック企業「SCOグループ」に入社しました。正社員で広報業務を担うと同時に、フリーとしてアナウンス業も継続するという異色の契約形態で働く福田さんに、ずばり聞きました。「もったいない」と言われませんか!?

福田典子●ふくだ・のりこ…1991年2月12日生まれ。福岡県出身。現在は歌株式会社SCOグループで広報COCを務めるとともに、フリーアナウンサーとしても活動。元RKB毎日放送→テレビ東京アナウンサー。『よじごじDays』(月)(火)(金)担当、『モヤモヤさまぁ~ず2』3代目アシスタントなどを務めた。X/Instagram

【福田典子さん撮り下ろし写真】

「就業時間内も副業OK」異色の契約

──オフィスに入った瞬間、自分のデスクから迎えに来てくれましたが、本当に会社員として働いているんだと実感しました。いま、SCOグループでどんな業務を担当していますか?

福田 広報ブランディング本部に所属して、プレスリリースを書いたり、外部的には「天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会」の特別協賛をしているので、そこに向けての準備などをしています。大きな目的は、世の中に私たちの社名が知れ渡り、歯に興味を持ってくれ、歯科医院へメンテナンスに通いやすくなるような世の中になることを目指して頑張っています。

──福田さんが入社したことで、会社にどんな変化がありましたか?

福田 自分で言うのもおこがましいのですが、こうして私のことをメディアで取り上げてもらうことにより、会社の検索数が増えたり、公式サイトのアクセス数が増えたり、採用に対してアクセスが増えたそうです。記者会見をしたり、取材していただいたりで、50媒体くらいに取り上げていただいたので、一般消費者向けではない私たちのような企業にとっては、とても大きな数字だったとほかの社員から聞きました。中途採用のスカウトをかける際にも、返信率が上がったそうです。皆さんが検索して「あ、福田典子が転職した会社だ」と知って、信頼してくれるきっかけになっていると聞いて、とてもうれしく思います。

──そんなに分かりやすく表れたんですね。

福田 ありがたいですよね。面接時に「福田さんがいらっしゃる会社ですよね。ニュースで見ました」と言ってくださる方も増えたと聞いて驚いています。歯科医院さん相手に営業していますが、歯科医院さんからも「福田さんが出演していた時代の『モヤモヤさまぁ~ず2』を見ていました」という話をしていただいたこともあります。そういうことが続くと、私が入社したことの意味が少しでもあるのかな、と思っています。

──少しどころじゃないですよね。いまの契約は正社員ですか?

福田 はい、正社員で、副業としてはイレギュラーではありますが、SCOの広報にもつながる業務であれば“業務”の扱いとしてアナウンス業を受けてもよい、という契約なんです。そうではない場合でも、フリーアナウンサーとして仕事をお受けできる形にもなっています。なので、広報業務とアナウンス業、完全に二足のわらじです。

──すごくいい条件ですね!

福田 フリーアナウンサーとして参加したイベントで名刺交換をすると、「歯科衛生の研究員をやっていました」という方にお会いして、情報交換をすることもあり、会社でもフリーアナウンサーとしても、それぞれの活動が活きていて、とてもありがたい働き方です。

テレ東社員が「すごくいい転職の仕方だね!」

──アナウンサーの仕事と広報の仕事では、脳の使い方が全く違うように思いますが、いかがですか?

福田 そうですよね、アナウンサーは話して伝えることが多い仕事で、広報の仕事の中でも私の働き方はいま、書く仕事が多いのですが、その2つって全然違うんですよね。アナウンサーとして正しく情報を伝えるために選ぶ言葉と、広報としての言葉選びは、広報のほうが時間がかかっています。アナウンサーは一人前になるまでに10年かかると言われていますが、私はその10年以上を2つのテレビ局で勉強させてもらい、広報業務もそうなるためには時間も経験値も積まなければいけないと思っています。ただ、アナウンサー時代の下地があるからこそ、そこで積み重ねたキャリアと、いまの業務をかけ合わせて、幅を広げることができるのかな、と思います。

──すごく有意義な働き方をしていますよね。

福田 最近、テレビ東京がイベントをやっている、その隣のイベントの司会に呼んでいただき、とてもたくさんのテレビ東京の人に会ったんです。そのときに「すごくいい転職の仕方をしたんだね」と言ってくださる方が多くて。「もったいないよね」ではなく、「そういうキャリアの描き方もあるよね」というふうに言ってくださり、いい人生の選択ができたのかなとは、少しずつ実感としてあります。

──福田さんのような働き方をしている元アナウンサーの方、いらっしゃらないですよね。

福田 そうですね。他の企業に転職した方だと、令和トラベルに転職した大木優紀さん(元テレビ朝日)や現在PIVOTに携わっている国山ハセンさん(元TBS)などもいますが、大木さんは広報として出演されていて、ハセンさんはプロデューサーとしてで。私のように、広報とフリーアナウンサーという仕事を「二足のわらじでやっていいよ」という働き方なのは、結構なレアケースなのかなと思っています。

──そもそも、どんなきっかけでSCOグループに転職したのでしょう。

福田 去年、キャリアについていろいろと考えていた時期に、ちょうどSCOの方から「広報に力を入れていきたいから、一緒に働かないか」と誘ってもらいました。

──なぜキャリアについて考えたタイミングがあったのでしょうか。

福田 出産して、自分の時間の使い方を考えたとき、今までやってきたキャリアを活かすことや、将来やりたいことを見据えたんです。「将来はヘルスケアに関わる分野の仕事が広がればいいな」ということを考え始めていた時期で、まさか“歯”になるとはそのときは思っていませんでしたが(笑)。

開幕から優勝の瞬間まで。濃密なプロ野球取材で学んだこと

──特に女性は、出産がキャリアチェンジを考えるきっかけになることが多いかと思いますが、福田さんの場合、「働きにくいから転職した」というネガティブな転職ではないですよね。

福田 そうなんです。テレビ東京は時短勤務も選択できますし、ママさんだからこその仕事の場も多く、私自身も最後の一年間は『よじごじDays』という主婦目線がとても大切な番組のMCを担当していました。だから、出産後もとても働きやすい企業ではあるんですが、そういう目線ではなく「これまでやってきたことを活かして、飛躍したい」という気持ちが強くなったんです。

──年齢や子どもの有無などのスペックとは無関係に、もっとシンプルな、自分のためのキャリアチェンジ、ですね。

福田 はい。だから「SCOが働きやすい企業だった」というよりは「私がやりたいことが実現できる可能性が、高いかもしれない」というキャリアの選び方でした。

──福田さんのご経歴を振り返ると、常に前向きに「自分がやりたいこと」を見据えて実現し、とてもかっこいいと思います。スタートは、2013年4月、RKB毎日放送への入社でしたよね。アナウンサーとして3年間在籍しました。そこではどんな学びがありましたか?

福田 よくお話するのは、プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの取材です。一年を通して取材して、優勝した瞬間まで取材できる喜びを、スポーツを担当した2年間で2度も享受できたのは貴重な経験でした。日本一になった瞬間だけを伝えることとは違い、一年間、選手やチームの浮き沈みを肌で感じて、そこからの日本一、ですからね。例えば選手から「僕は最後の方は離脱していたから、優勝の戦力にはなっていないんだよ」と言われたとして「いや、あなたの、5月のあの試合でのあの活躍があったからこそ連勝につながり、優勝につながったんですよ!」みたいな話もできるんです。全体の流れがありつつの結末を伝える楽しさ、それを知ることができたのは、福岡での大きな学びでした。

東京でももちろんそういった機会はありましたが、より深く、1つのチーム・1つの事柄に向けて取材をさせてもらえた経験は、とても大きいですね。

──ローカル局と在京局では、そういった違いがあるんですね。

福田 一方で東京では、初めて取材する人にどうやって入り込んでいくか、ということ学びました。そういうとき、無知であることにためらいを感じますが、アスリートはその道のプロフェッショナルですから「教えてください」というスタンスで取材させていただくこともあるのだ、というか、そう行かざるを得ないときもあるんだ、ということを学びましたね。

「テレ東に入社できても仕事がもらえないかも」という負い目で迷いも

──その後、2016年8月にテレビ東京に中途入社します。このとき、テレビ東京のアナウンサー中途採用が異例というということで、とても話題になりましたよね。どういった経緯で中途採用に挑みましたか?

福田 話題でしたよね。私たちローカル局のアナウンサーたちも「こんなこともう一生ないかもしれないから、エントリーシートを出しておこう!」みたいな気持ちでした。新卒以来、久しぶりに就職関連サイトに登録して、転職サイト経由でエントリーシートを出したという話をすると、みんなにびっくりされます。

──一般的な企業の中途採用と同じ流れなんですね。

福田 そうなんですよ。新卒以来エントリーシートを作って、おそらくカメラテスト代わりに自分が出演してきた映像を送らなくてはいけなくて、それも仕事をしながら大変でしたが自分で作りました。結果、振り返ると、「忙しいから」という理由で諦めなくてよかったな、と思いますね。

──確かに、ローカル局のアナウンサーはさまざまな業務をこなすイメージがありますね。

福田 そうですね。福岡という土地柄、情報もたくさんありますしスポーツも報道もあり、ドキュメンタリーが強い局でもありました。アナウンサーのカラーを出す方針があり、朗読会もあり、ラジオもあり、1日が出演時間だけで終わることも多く、本当に充実していました。そんなふうにフル回転で経験を積ませてもらえる局は貴重ですよね。そしてそこから、番組のメインを目指すのが王道だと思います。私の場合は、声質的にスポーツに向いていると言っていただき、本来は男性アナウンサーが担当することが多い「駅伝の第二放送車に乗れるように準備しておこうね」と言っていただいたり、とにかくRKBで目指すべきことはたくさんありました。

そんな中での転職活動でしたが、ローカル局のアナウンサーの中には、新卒でキー局に落ちている人も多く、私自身も「テレビ東京に入れても、全く仕事をもらえないかもしれない。求められないかもしれない」という不安もありました。だからこそ、「すぐそこに見えている未来を捨てて、福岡を離れてもいいのか」という迷いはすごくありましたが、新卒のときと同じように「内定してから悩めばいいか! 受ける前に悩んで諦めるのはもったいない」という結論になり、受ける決意を固めました。

──とても狭き門だったのではないでしょうか。

福田 1500人くらい受け、私ともう1人、元北海道テレビ放送の西野志海さんが受かり、彼女は報道系で採用されてニューヨーク支局までいきました。そのときテレビ東京は、新卒採用を数年間していなかった時期で、人が足りなくなるということで中途採用をしたようで。私は地方局で3年キャリアを積んでいて、そのタイミングで受けることができたのはラッキーだなと思います。

さまぁ~ずの洗礼「福田はまだまだバラエティ分かってないな~(笑)」

──受かった勝因はなんだと思いますか?

福田 採用側がどう思ったかは分かりませんが、面接時、RKBに対してマイナスな気持ちがなかったことが大きかったのではと思います。前向きに、先ほどお伝えしたプロ野球取材の話など「テレビ東京なら、こういう経験が活かせる」という話をメインで伝えました。ほかには、「フルマラソンも走らせてもらい、28キロ地点ではこんな気持ちになる」とか「そのとき食べたミニトマトが美味しすぎて泣いた」とか、「実体験をすることでリポートに生きることがありました。この学びを、ここで活かすことができます」という話をしたんです。働くとき、できるだけ楽しいところを見たいし、そういう気持ちで働いたほうが楽しいですしね。福岡は楽しい仕事ばかりで、それをそのまましゃべったら、その話が面接に向いていたのかな、と思います。

──そして2016年から2024年までテレビ東京に在籍しますが、福田さんといえば中途入社直後の2016年10月から19年5月までアシスタントを務めた『モヤモヤさまぁ~ず2』です。抜擢されたとき、とても話題になりましたし、ほかのアナウンサーさんたちの視線が気になったのではと思ってしまいました。

福田 初代が大江麻理子さんで、2代目が狩野恵里さんで、3代目が誰になるのかというのは大きなニュースになっていましたよね。狩野さんの番組卒業が告知されたのは私が入社する前でした。私が入社して、内々で就任が決まりましたが厳戒態勢で隠されていて、知っているのは番組のプロデューサーさんとスタッフさん数人、アナウンス部長くらいのごく少数でした。本当に誰にも知らせずに初回ロケに行ったんです。そして就任が明かされると、もしかしたら思うところがある人もいたかもしれませんが、みんな「大役だね!」「頑張ってね!」「前任の2人と福田は違うキャラだから、肩の力を抜いて大丈夫だよ」と、私が仕事に集中できるようにケアしてくれる人がとても多かったですね。

──さまぁ~ずのお二人との仕事はいかがでしたか?

福田 最初は「テレビの人だ!」と思うような人のなかに私が入っているのが信じられなくて、ふわふわしたまま終わりましたが、初回から「私、バラエティに向いていないかも」と思うシーンが多々ありました。例えば、沖縄で3人でシーサーを作ったんですが、私は見本通りに作っちゃうんですよ、基本通りに忠実に作っちゃう。どうやって自分流にしたらいいのか分からないから。お二人は個性的なシーサーを作っていて「福田はまだまだバラエティを分かっていないな~(笑)」など言われて。これまで、「優等生」と呼ばれたくて生きてきた人生の中で、手本と違うことをやることがすごく苦手なんだと、再認識しましたね。結局、バラエティをちゃんと習得できたかというと、できていない部分が大きいまま卒業したのではないかと思っています。でも、1年くらい経って顔をけがするという出来事があり、そのときに「できる範囲で全力を尽くすことを、求められているんだ」と気づくことができました。

──二人の番組から学べることは、きっと代えがたいものですよね。

福田 三村(マサカズ)さんと大竹(一樹)さんは、その場で起きることをとても大事にされている芸人さんで、ロケ中に自ら仕掛けていくこともできるけれども、面白いことが起きるのを待つこともできる方なんです。それって、街や人に愛情がないと待てないと思うんですよね。お二人は、本当にその場を楽しまれている。こなさなければならないことよりも、そのときどきの空気感を優先していて、それができるのって、すごいことですよね。それが一番の学びになりました。

「もったいない」の声に「やりたいことに近づけるチャンスを逃すほうがもったいない」

──そんなテレビ東京を退社し、今に至ります。さきほど、テレビ東京の方たちと会ったときに「もったいない、という声はなかった」とうかがいましたが、転職前や直後は、そういう声もあったのではないでしょうか。

福田 そうですね、両親に言われました。「本当にそれでいいの?」と。せっかくテレビ東京に中途で入ることができて、今まで積んだ経験はテレビ東京に入らなければ積めなかったものですし。特に母は心配していました。「子どもが小さいうちに新しい仕事を始めるって、大丈夫なの?」と。外から見たら「もったいない」かもしれないけど、私にとっては、自分がやりたいことに近づけるチャンスを逃すほうが「もったいない」のではないかなと。それに、アナウンサーを辞めるわけではなく、広報も勉強できる、「それってすごいことじゃない?」と話し、最終的には、一言目には「もったいない」と言っていた人たちが、「いい選択かもしれない」と応援してくれるようになったので、「誰にとっての“もったいない”か」ということは、よく考えます。

──やりたいことをおろそかにしない、後悔のない生き方ですよね。

福田 まあ、「自分のやりたいことを総取り」といいますか、私のわがままな生き方を、周りのみんなが許容してくれるから成り立っているんだと思います。夫にも負担をかけていますしね。いま子どもが2歳で、夫が送り迎えをしてくれたり、「転職して大変だろうから」と、家事も頑張ってくれているんです。すごくファミリーのチームビルディングができていますが、夫が多忙なご家庭だと、私のようなわがままな働き方はできないだろうな、とは思います。

──キャリアアップしたいけど、育児があるからと諦める方、とてもたくさんいます。

福田 そうですよね。以前、イベントで株式会社ポーラの及川美紀社長の聞き手を務めたことがありますが、そのときに「育児をキャリア分断だと思わないで」と教えていただきました。私自身、その話を聞いたのが出産前で「どう考えても、キャリアの分断になってしまうのでは?」と思っていましたが、振り返ると、育児には仕事に反映できる学びが溢れていたんですよね。

──ちなみに、いま、「やりたいこと」はどんなことですか?

福田 いまは歯についてです。みんなが健康へ意識を向けるきっかけ作りをしていくことが、私の役割だと思っています。私、人生の最終地点を見極めるのがすごく苦手なんですよ。大きい目標に向けて逆算していくというより、目の前にあることを積み重ねていき、先の目標まで動いていきたいタイプでして。歯についてや健康についてをパーフェクトに伝えられるようになったときに、また次の世界が見えるのかな、と思っています。

──自分のキャリアを邁進する人に対して、余計なお世話とも思えるような声をかける方もいるかと思いますが、いかがでしょう。

福田 『ABEMA Prime』に出演した際に「趣味:エゴサ」と書かれていました(笑)。そんなつもりはないんですけど、ついつい見ちゃうんですよね。これまで取り上げてくださったインタビュー記事につくコメントを読むと、あまりいい気持ちにはならないコメントもあるんです。でも、そういったコメントの考え方よりも、自分の人生を楽しくする方向に目を向けたほうが絶対に楽しいし、いいチャンスを見つけられるのでは、と思います。私自身、人生楽しく生きています。そう思えるようになったのも、母親になって強くなったこともあるかなと思います。

人生の大半は働いている時間なので、自分にとっていかに楽しくいられるかが大切なのではないでしょうか。どこで働いていたとしても、自分がわくわくしていられるような部分を見つけることが、よりよい働き方なのではないかなと思います。

構成・撮影/丸山剛史 執筆/有山千春

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