小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=160

 中でもサップーバは軽くて弾力があり、木質が光沢に勝れ、鍬の柄として最適である。
 蒸し暑い午後で、ことに山の中は風通しが悪かった。フィゲイラ樹やジャトバー樹が繁茂し、モンステーラの寄生植物が密生した葉を広げ、薮蚊がまとわりつく。適当な灌木を捜すのも容易ではない。信二は汗だくになり、フォイセで蔓草を伐いつつ進んでいた。
 一羽の白鷺がジャトバー樹の高い枝に止まっていた。信二は猟銃を構えた。射程距離には遠すぎる。信二は忍び足で獲物に近づいて行った。白鷺はそれと気づいたのか、僅かに遠方へ移動した。信二は追った。
 漸く着弾距離に達した。大木の陰に身を潜め、狙いを定めて発砲した。標的に命中したのか、鷺は一瞬、奇妙な羽ばたきで急下降したかと思うと、谷間へ消えていった。信二は獲物を捜したが見つからなかった。急に疲れを感じた。夢中で鳥を追ったため、自分の現在位置の感覚を失っていた。鷺を追ったのはわずかな時間だったのに、見覚えのある元の地点に戻れなかった。歩く姿勢が崩れ、まるで死霊に憑かれた者の足取りになっていた。
 森林は何万ヘクタールもある。信二が焦るほど方角が狂ってしまい、夕闇が迫ってきた。夜の森林を歩くなぞ考えられぬが、じっとしてもいられない。手足、顔面とも創傷だらけになって、もがくように歩いた。いつしか、信二は体力の限界がきて、その場にしゃがみ込んでしまった。
 朦朧とした意識の中で水音を聞いた。川面と砂浜がきらきらと光っていた。それは夢か現か定かでない。信二はふらつく足で流れに踏み込んで、むさぼるように水を飲んだ。顔から上半身を洗った。美酒に酔うとはこういうことか。もう慌てることはない。この川筋に沿って森林を抜ければ、植民地に出られるのだ。重い足どりで雑草を踏み分け、蔓草をくぐり、フィゲイラ樹の根をまたぎ、歩行できぬところは流れの中を歩いた。衣服は破れ、毒草に刺された手脚は疼いた。
 ふと、鶏の鳴き声を聞いた。人里が近い筈だ。敗残兵そのものの信二は、密林と畑の境界まで辿り着き、そこから川筋を離れて、急勾配を植民地へ向けて登りはじめた。夢遊病者の足どりである。隣接耕地の境界までくると、そこには鉄条網をめぐらしてあった。それをくぐり、自分の植民地に到達できたと思ったとたん、その場に蹲るように倒れこんだ。
 そこは、一つの花園になっていた。中央に蟻塚のように赤い土を盛って、その周囲には百日草、日輪草、マーガレットなど、幾種類もの草花が植え付けられて、一つの花が散っても他の花が咲くから、一年中花に囲まれていた。

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