「大きなスクリーンでこの大自然を楽しんでもらえたら」「いい時代の邦画の匂いを感じていただけたら」杉田雷麟、寛一郎『プロミスト・ランド』【インタビュー】

マタギの伝統を受け継ぐ東北の山間の町に、役所から今年の熊狩りを禁止する通達が届いた。違反すれば密猟とみなされ、マタギとして生きる道を閉ざされてしまう。だが、20歳の信行は、兄貴分の礼二郎から2人だけで熊狩りに挑む秘密の計画を打ち明けられ、一緒に山に入るが…。飯嶋和一氏の同名小説を飯島将史監督が映画化した『プロミスト・ランド』が6月29日から公開される。本作でマタギの信行と礼二郎を演じた杉田雷麟と寛一郎に話を聞いた。

(左から)寛一郎、杉田雷麟(C)エンタメOVO

-まず、最初に脚本を読んだ時の印象からお願いします。

杉田 信行が現状から動こうとしないところから、礼二郎やいろんなキャラクターと関わって心情は変わるけど、結局、居場所は変わらないという決断をするんですけど、キャラクターとして結局そっちを選ぶというのがすごく面白いと思いました。

寛一郎 前半はある程度せりふがあったけど、後半はト書き(登場人物の動作や行動、心情などを指示した文章)だけなんです。「山の中で歩く礼二郎。周りを見渡す」みたいな。ただ状況の描写だけがト書きで書いてあって、これはどうしたものかという印象でした。その脚本とは少し違った形で映画が完成したんです。だから僕らが意図せずに撮ったシーンが最後に使われていたり、そういうことは監督の采配ですけど、やっぱりどうあがいても自然込みの映画なので、自然がどうなってくるかで、この映画の良し悪しも大半が決まってしまうという意味で、これはどうなっていくのだろうというのはありました。

-実際に演じてみて変わったことは

杉田 せりふがあれば、それへのリアクションとかで変われるんですけど、せりふがなくてただ歩いていくシーンでそれを表さなきゃいけない。山の中で2人で話す前の歩いているシーンと話した後で歩いているところは、実際であれば変わっているはずですけど、順撮りではなかったので、そういうつながりを気にしながら、せりふがない芝居をするのはすごく難しかったです。

寛一郎 もちろん自分が想像していたものと、実際に相手がいてやることというのは変わっていくし、変わらなければいけないものだと思います。彼が言った通り、せりふのないシーンが多かったのですが、山で僕ら2人が歩いているだけで、絵になり得てしまうし、自然と僕らもそこの空間にいる人になります。だから山が助けてくれたという意味では、歩き方がどうのとかではなく、彼と僕との距離感、山と僕らとの距離感みたいなのが、変わっていったのかなと思います。

-ロケがすごく大変だったという想像はつきますが…。

杉田 僕は、『山歌』(22)という映画で山での撮影は経験済みでしたし、実家は栃木なので山には慣れていると思っていたんですけど、雪山となると全く話が違いました。ただ、撮影地まで1時間かけて歩いて行ったりする時間もとても貴重だと思って、すごく楽しかったです。撮影をしながら自然と共存していると心の底から思えたし、すごく環境に恵まれたと思います。

寛一郎 大変でした。インの日はものすごく寒かったんです。しかも僕らが着ていたのは80年代の服ですから、防寒機能もあまりなくて。震えるぐらいの寒さで、こんなに寒いなんて聞いてないってなって。ところが、次に山に入ったのが3日、4日ぐらい後だったんですけど、そこからはもう暑過ぎて…。たまたまインの日が悪天候だっただけなんです。でも最初に洗礼を浴びたというか、本当に凍えそうな中で、山で合宿するみたいな感じになって。ああいう経験は普段はあまりできないし、東京で撮影するのと自然の中で撮影するのとでは違います。さらに山で撮影するのはもっと違いました。いい経験でした。

-今、熊が街に出て来て話題になっていますが、その熊を獲物にするマタギを演じてみてどう感じましたか。

杉田 僕は、マタギについては今回現地で少し触れたぐらいなんですけど、熊の皮をお尻に敷くものにしたり、内臓を薬にしたり、肉はちゃんと食べて…。本当に何も無駄にすることなく全部使っていると知りました。すごく熊に対して敬意があるというか、共存しているという印象を受けました。

寛一郎 その文化を外から見た人の印象と、内にいる人の感覚というのは全く違うと思います。僕は撮影の1年前に実際に二つの猟友会の方々と会って一緒に山に登ったんです。その年の最後の熊狩りに同行して、結局熊は見つからなかったんですけど、その後で一緒に食事をして、熊を撃つ感覚とはどういうものなのかを聞いてみました。要するに、僕らとしては、熊狩りというのは神秘的で、熊と共存し、熊に祈りをささげて…と、すごく高尚なものだと思っていたんです。でも、マタギの人は「熊をぶて(撃て)りゃいい」と。それはただ熊を殺したいとかではなく、それすらも当たり前のことで、彼らは熊を撃つことだけが楽しみなんだと。僕もマタギの意味や意義は調べましたが、受け継いでいる人たちはそこではなく、本能的にそれが習慣となっているというギャップは感じました。結局、マタギを経験して自然と共存する、のようなイメージは、もしかしたら外から見た人の感想で、そういうことも含めて、実際にやっている人たちと、自分も含めて外から見た感じとでは違うのではということに気付きました。

-この映画で体験したこと、経験したことは大きかったですか。

杉田 さっきも言いましたが、現場までみんなで歩いたりとかして、改めてみんなで作り上げている感じがすごく味わえましたし、映画を撮るのって楽しいなというのは再確認できました。雪山の中で撮影をするというのもなかなかないので、それはすごくいい経験だったと思います。

寛一郎 これをやったら、そんじょそこらの現場じゃビビらないんじゃないですか。やっぱり雪山って本当に危ない場所ですし。僕らは、そんなに危ない場所には行っていないですけど、何があるか分からない場所ですから。でも、そういった中でも、東京で撮影している時とは違う自然のパワーをもらえました。ただ、この撮影で感じられたことが血となり肉となって生きてくるのはすぐではない気がします。それが5年後になるかもしれないけれど、あの時はああだったかもしれないな、あの映画がそうだったんだろうなって思うことは、僕にも彼にも多分あると思います。

-最後に、これから映画を見る人へ一言お願いします。

杉田 がつんと自然を感じてもらって、細かく言えばいろいろと思うこともあるでしょうけど、大きなスクリーンでこの大自然を楽しんでもらえたらいいなと思います。

寛一郎 好き嫌いが分かれる映画かなとは思います。でも、この映画に懐かしさを感じてくれる人もいると思います。技術的にも、カメラはほとんど動かず、フィックスで撮っていて、 せりふも少なくて、ただ歩くシーンが多くて…。そんなところに、いい時代の邦画の雰囲気を少し感じてもらえるんじゃないかなと。そういうことも含めて、映画の内容どうこうというよりも、何かその匂いを感じていただけたらなと思います。

(取材・文・写真/田中雄二)

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