【ブル中野連載#7】ブルック・シールズから命名? 真相はブルドーザー、ブルドッグ、ブルース・リー…

長与(下)を攻めるブル中野(85年3月)

【ブル中野・告白(7)】ダンプ松本さんの極悪同盟に入った1984年は、クラッシュ・ギャルズさん(長与千種&ライオネス飛鳥)とダンプさんの人気で各大会3000~4000人の観客を集めていました。

デビューから本名の中野恵子で戦っていた私もブルドーザー中野というリングネームに。フジテレビのプロデューサーさんがつけてくれました。ダンプカー(ダンプ松本)、クレーン車(クレーン・ユウ)に続く重機ですね。髪の毛を剃られた時点で何でもいいって感じだったので、抵抗はありませんでした。ただ呼びづらいのと、キレが悪いので、いつの間にか「ブル」になってましたね。ブルドーザーにブルドッグ、後にヌンチャクを使ったからブルース・リーという意味もあって。自分では(俳優の)ブルック・シールズ、(高級ブランド)ブルガリって思っていたけど、誰もその意味では取り上げてくれませんでした…。

ただリング上は毎日が地獄でした。相手がクラッシュさん、JBエンジェルスさん(山崎五紀&立野記代)、ジャガー横田さん、デビル雅美さんで、全員先輩だし、毎日ボコボコです。何もできないから控室に戻ったらさらにダンプさんにボコボコにされて、1日2試合やってる感じでした。

ファンクラブの人も「何で恵子ちゃんは変わっちゃったの?」って、手のひら返しで誰もいなくなってしまいました。ダンプさんからは「笑っちゃいけない。サインはするな。握手もダメ。悪いヤツだと思われるため何でもやれ!」と言われて行動していたので、ファンの方も私が本当に悪い人だと思っていました。

リングを下りても、出待ちしてるファンから石を投げられます。でも痛がることもできず、堂々とした態度でバスに戻らなければなりません。最初はバスに戻ると「ワーン」って泣いていました。「悪役だから仕方ない」とわかってはいるんですけど、まだ若かったのでプロになれていませんでした。自分のやっていることと、普段の自分をマッチさせることができていなかったんです。

ダンプさんのセコンドに就くときも、極悪同盟の後輩はピリピリしていました。手のしぐさなどを見て竹刀やフォーク、鉄パイプを渡すのですが、タイミングを間違えると…怖かったですね。控室で「どうしてこうしなかったんだ!」って。時代背景もあって、殴っていい時代でしたから(笑い)。でも試合を見ているうちに次第にわかってくるんですよ。だから極悪のセコンドはメチャクチャ動きが良かった。ベビーフェース側が「極悪のセコンドはすごい」って言うくらい。

これもダンプさんがそうしてくれたんです。私に“代名詞”が備わったのはこの後のサイパン合宿でした。

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