タイ青春映画『ふたごのユーとミー』の輝くような美しさ 傑出した作品になった理由とは?

瓜二つで仲の良い双子の姉妹のひと夏の物語を描く『ふたごのユーとミー 忘れられない夏』は、1999年のタイの田舎を舞台に、南国のゆったりとした時間と、少女たちの短い青春の時間が交差する光景を切り取った、切なくも美しい映画だ。

興味深いのは、これを長編映画初監督作として撮り上げたのが、実生活で一卵性双生児のワンウェーウ&ウェーウワン・ホンウィワット姉妹だということ。彼女たちは、まるで本作『ふたごのユーとミー 忘れられない夏』の主人公たちがそのまま大人になったような2人なのだ。それだけに、双子特有の関係や感情が繊細に、かつ説得力を持って、作品内で表現されている。何せ、双子にしか双子の感覚は真に理解できないのだから。

しかしこの青春映画には、それだけでは説明のつかないような、特別な感情を喚起させる“何か”が備わっているように感じられる。その“何か”こそが、作品に輝くような美しさを加え、本作を傑出したものにしているように思えるのだ。ここでは、その正体が何なのかを解き明かしていきたい。

監督はたしかに双子だが、じつは出演者はそうではない。本作で主演を果たした新人俳優ティティヤー・ジラポーンシンは、主人公ユーとミーを1人2役で演じている。2人が同時に画面内に映し出されるカットが無数にあるが、特殊効果や顔の出ないボディダブル(代役)などを駆使した映像マジックによって、双子を作品世界で創造しているのである。

撮影当時17歳だったというティティヤー・ジラポーンシンは、プロデューサーがたまたまInstagramの写真画像から発掘したというが、本作はまさに彼女あってこその内容となった。初出演だけあって、まだまだ演技巧者ではないものの、そのパフォーマンスはみずみずしさに溢れ、観客の心を強く掴むだろう。その姿や演技は、『ノルウェイの森』(2010年)で俳優として鮮烈なデビューを飾った水原希子を想起させるところがある。シャネルのアンバサダーも務めるなど、ジラポーンシンもまた活躍の場を大きく広げつつある。

そんな彼女の10代の輝きを数多く捉えた本作は、それだけでも貴重なものになっていくのかもしれない。作中で「ミレニアム」を迎えようとする主人公たちの、未来に対する不安や漠然とした希望は、まさに10代の終わりを見据え、新しい世界へステップアップしようとする自身の象徴にもなっているといえそうだ。

ジラポーンシンが演じる双子ユー&ミーは、何をするにも一緒という仲の良い役柄だ。双子にしかできないコンビネーションによって、食べ放題の飲食店や映画を1人分の料金で済ませる悪だくみを成功させるなど、双子であることを最大限に利用する“したたかさ”も持っている。本作の物語は、そんな彼女たちが親の都合によって、田舎の祖母の家に住むこととなった夏の時期の騒動を切り取っている。

劇中で2人が歌うのは、ちょうどミレニアムの時期にタイで人気があり、監督2人もファンだという、女性デュオ「Triumphs Kingdom」の楽曲だ。エンディングテーマともなっている「You and Me」は2人の絆と来るべき運命への不安を象徴し、「ハンカチーフ」は芽生えた恋心を表すなど、2人の心情がそれぞれの曲に投影され、ストーリーそのものを暗示している。

物語の軸の一つは、両親の不和が離婚に発展し、生まれたときから一緒のユー&ミーが離ればなれになってしまわないかと思い悩むエピソードからなっている。ここに登場する要素で必然的に想起されるのは、ドイツの児童文学『ふたりのロッテ』だ。何度も映像化されているこの作品は、偶然に出会った双子の姉妹が、別れた両親の仲を取り持とうと画策するといったストーリーが展開していく。

とはいえ現実には、子どもの都合や感情が、いつでも大人の人生の判断に優先されるわけではない。そればかりか本作は、離婚だったり従来の家族像から逸脱すること自体を、ネガティブには捉えていないようだ。むしろ子どもたちの側が大人の生き方を温かく見守るような逆転現象が起きている。そしてそこにこそ、監督の現代的な社会観が垣間見えるのだ。そういう意味で、いわば本作は現代版『ふたりのロッテ』だといえよう。

そしてもう一つの軸となるのは、恋愛要素だ。2人の前に現れるマークという爽やかな少年にユーは強く惹かれ、これまでの双子だけの濃密な関係に亀裂が走るのである。ミーは嫉妬のような激しい感情を抱いて不機嫌になってしまうのだが、それが果たしてマークへの恋愛感情なのか、ユーを失いそうになる危機感なのか、自分でも判然としない。このような言葉にできないミーの曖昧な思いや、奔放で周囲の人を惹きつけるミーに複雑な感情をおぼえるユーの思いを、ティティヤー・ジラポーンシンは演じ分けている。

マークを演じるアントニー・ブィサレーも、本作で映画初出演を果たした。ベルギー人の父とタイ人の母を持つ彼は、タイ語以外に3つの言語を習得しているマルチリンガルで、ジラポーンシン同様に国際的な活躍が期待され、タイの新時代を担う俳優と見られる一人である。

これまで映画では幾度となく、親しい2人が1人の人物に惹かれることで関係性が危うくなってしまう三角関係が描かれてきた。それを代表するのが、フランソワ・トリュフォー監督の『突然炎のごとく』(1962年)であり、ジャン=リュック・ゴダール監督の『はなればなれに』(1964年)であるだろう。当人にとっては深刻な事態だが、どこかコメディ風でふわふわとした軽やかな印象をも与える、この種の作品の特徴は、日本の少女漫画の雰囲気とも接続されているところがある。

意中の人の目を8秒間見つめようとする作戦や、気持ちを確かめるために双子が密かにスイッチするなど、少女たちのたわいのない計画と、それにいちいち翻弄されてしまう少年の姿は、まさに3人の閉じた世界で展開されるからこその、軽妙さに溢れている。より近い年代の作品でいえば、『藍色夏恋』(2002年)や『花とアリス』(2004年)などアジアの作品もまた、その特徴に当てはまる。三角関係といえば、かつてはヒロイン1人に男性が2人という構図の印象が強かったが、女性目線での逆パターンが同程度に見られるようになったのも、時代の流れによる変化への対応だといえよう。

このように本作の特徴にフォーカスしていくと、過去の時代を舞台にしながら、青春映画、恋愛映画の定型を描き、既存の作品が描いてきた要素を貪欲にとり入れながらも、あくまで現在の感覚を焼き付けようという、相反する動きが同時におこなわれているということが理解できる。それが、「Y2K問題」が取り沙汰されていた「ミレニアム」という、時代の転換点に関連づけられているところが、軽やかな展開を描きながらも、本作からただならぬものを感じる理由なのではないか。三角関係の閉じた世界を囲み、大人の世界や大きな時代の流れが背後で常に動いていくのだ。

そして、ここでの転換点は、もちろんユー&ミーの人生の岐路にも重ねられている。人生はさまざまものを取捨して、新しい場所に踏み出そうとするからこそ、成長があり価値があるといえる。そして変化があるからこそ、過ぎ去った時代が美しい瞬間だったと思い返すこともできるのである。本作『ふたごのユーとミー 忘れられない夏』は、まさにこの結節となる一瞬を描いたことで、人生が強く輝く一瞬を映画のなかに封じ込めることに成功したといえるのではないだろうか。

(文=小野寺系(k.onodera))

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