岡崎慎司「現役を振り返れば後悔だらけ」でも……

By 岡崎 慎司

 

6月17日に引退会見を行った岡崎慎司。ピッチからは退くことになるが、常に「自身」と「日本サッカー」の未来の成長を願い続けた日々は変わらない。

ともに学び続ける新たな「ダイアログウィズ」の前に岡崎慎司の引退会見を全文でお届けする。

引退会見あいさつ

岡崎慎司(以下、岡崎)皆さん改めて岡崎慎司です。まず最初にヨーロッパで引退した自分にこういった引退会見の場を作っていただいたDMMさんとシント=トロイデンさんに本当に感謝したいです。

またこんなにたくさんのメディアの皆さんが駆けつけてくださってありがとううございます。久しぶりの方もいたりなど、自分自身も久しぶりに緊張してるんですけど、それでもやっぱり自分にとっては皆さんとは、プロとして向き合ってきて、すごくいろんな思い出があります。

これから質疑応答などがあると思うんですけど、皆さんからの質問に答えながら、改めて自分もサッカー人生を振り返りながら思い出を話していけたらなと思います。

今日、引退会見できるというのが楽しみだったので、本日はよろしくお願いします。

シーズン中の引退発表は奥様からのアドバイス

ーー岡崎選手をおつかれさまでした。まず、引退を決めた理由をお聞かせください。

岡崎 そうですね... 引退を決めた理由は、まずは膝の怪我が一番の理由だったんですけど。

昨年のシーズンがスタートしてから、ずっと膝の痛みを抱えながらプレーしていて、プレーができなくなるまで結構半年ぐらい痛みを抱えながらやっていたんですけど、その時にいろんなことを考えながらプレーしていた。

フィンクさん(現シント=トロイデン監督・トルステン・フィンク氏)とは「岡崎必要だけど、こういう場面では使えないな」という会話が増えてきていてて、自分も「そうだよな」と。

また練習では若い日本人の選手がいたり、若いベルギーの選手がいたり、これから上を目指そうとしている選手たちと会話したり、当然、彼らはすごくリスペクトくれます。

その中でプレーしていく中で、自分はやっぱりすごい悔しい思いをしながら練習や試合をしていて、彼らというより自分がもっと要求できるぐらい、あの頃だったらもっとこういうプレーができたよなていうのが毎日、毎練習毎試合思いながら、いや、俺だったらもっとあそこ行けて、でも試合ではそういう理想の動きが出来なくて、その繰り返しを昨シーズンずっと続けていて、最後に昨シーズン前半最後ぐらいにプレーできないぐらいの怪我になってしまって。

その時にサッカー人生でたぶん初めて辞めたいと思ったし、初めて辞めたいって思った時に、これが引退なのかっていう風に自分がもう燃え尽きてしまったというか...。

今まで諦めたことは一回もなかったんですけど、諦めるという決断をそのときにした時に、もちろん引退するっていう気持ちの中で、このまま終わりたくないっていう気持ちが自分の中に芽生えていて。

なのでなんかサッカー選手の続きを自分は作りたいという思い、ヨーロッパで作りたい、作っていきたいという新しい挑戦をしたいというのが芽生えた時に、サッカー選手じゃないなというのを決めてしまって自分の中で、

そこからもう今そういうふうに決めてしまうと、やっぱりそこに一直線になる人間だと改めてその時思ったんですけど、引退して、それでもその時に初めて奥さんに話した時に、いや、それは絶対早くみんなに言って、僕はシーズン最後までやって、いきなり辞めてもいいかなとかっていう相談をしたら、やっぱりそこは応援してくれた人たちにとって伝えるべきだっていうところで、その時発表を2月ぐらいにしたっていう理由はその理由があった。

やっぱり皆さん自分のことをどう思ってもらっているかわかんないですけど、僕は結構みんなのためにとか、ファンのためにというよりは、自分がこうしたいっていう思いで今までやってきて、結構わがままにサッカー選手として家族には迷惑かけてきたんですけど。

それでもそれを貫いて最後までやりきろうというのを決めて、ただその挑戦の続きが自分で作れるって思ったからこそ、辞めれてたという部分はあるので、どっちかというと自分にとってはポジティブな決断に最終的には至ったということですね。

ーーありがとうございます。続いて自分自身の選手生活の中での後悔などはありますか。

岡崎 後悔だらけというか。ある意味。

自分が目標を口にしたものはほとんど達成できてないって思っていて、ワールドカップ優勝であったり、北京オリンピックであったり、プレミアリーグで2桁であったり、ビッグクラブでもプレーしてませんし、セリエAだプレーしたいっていう、4大リーグでプレーしたいっていう夢も達成できなかったですし。

あとは40歳まで現役を続ける最後の目標を決めてたんですけど、ワールドカップもワンチャンあると思っていて、でも今回そういう決断をしたというのは、やってきたことに対する後悔というのはないんですけど、ほとんど記憶に残っているのそういう悔しさ。

ただ、自分がここまで来れることを想像していたかというとそうではないので。ということは、やってきたことは間違いではなかった。なので次の人生、その先を見れたなっていうのは思っています。

ラストマッチの花道、岡崎慎司はなぜ愛されるのか?

岡崎選手は予定の20分間を上回る51分間プレー©️STVV

ーー最後の試合はピッチをする際に40の選手が集まって花道を作られましたが、その時の気持ちはどんな気持ちでしたか。

岡崎 想像していなくて。当日もフィンク監督が前半20分でいいだろうっていう話で。「いや、20分じゃダメだろう」っていう会話して。

当然、練習もほとんど参加せずに1週間だけ参加して、監督も自分のコンディションを気にして、そうやって言ってくれたと思うんですけど、自分がそこをターゲットにしてラスト5か月やってきたので、監督と話して、最後45分出て、ラスト5分で終わってその時にはこれで終わりかなと。

ああいうふうに、両チームをやってもらえるということもそうだし、胴上げもそうだし、改めてやってきて良かったなっていう思えたっていうのは良い終わり方だったなというふうに思いますし、本当にシント=トロイデンの選手たちであったり、ルーベン...対戦相手の選手たちにも感謝したい。

あれは1人のシント=トロイデンのセカンドGKの選手が言ってくれたみたいなんですけど、そういった人がいなければあれもなかったと思うので、本当にリスペクトされて終われたのかなというふうに思っています。ありがとうございます。

ーー本当に周りの方からリスペクトされて愛される岡崎選手というイメージがあるんですが、その愛される秘訣はズバリ何だと思いますか。

岡崎 愛されているのかどうかもわからないですけど...(笑)

ただ先程も言ったんですけど、自分自身が結構一直線に自分のやりたいことをやっていて、正直に、ひどい人間だなんて思う部分もありますし、失敗ばかりしてきたりとか、本当に周り、近い人であればあるほど迷惑をかけてしまっているんだろうなと思うんです。

ただそのぶん、自分がやることに対して責任を持ってやるっていうことに関しては間違いなくやってきてると思うし、関わってくれた方には何か、そういう関わってくれた人に対して損はさせたくないとか。あとは応援してくれた人に自分自身の最後を見せたいとか、見せたいなって思える。そういう責任とか覚悟は誰よりも持っていると思います。

プレミア優勝、W杯のゴール、ウエスカ、香川真司

ーーありがとうございます。先ほど悔いしかないという話があった現役生活ですが、そのの中で印象に残っている試合と、印象に残っている代表・クラブ、それぞれで教えてください。

岡崎 ほぼ全部印象に残っています。

クラブでいうと優勝したレスターでのシーズンはニューカッスルのオーバーヘッドかな。

やっぱりプレミアリーグにいって、まずフィットするためにやったハードワークであったり、チームの潤滑油みたいなところを一番に認められてしまったがために、45分であったり、60分で変えられるっていう数もめちゃくちゃ多かったシーズンで。

ある意味、その悔しさは自分しか知らない、周りはあんまりそういうことはわかってなくて。どこで自分が証明するかっていったらやっぱりゴールしかなくて。

ストライカーとしてゴールを取りたいっていうのとは別に、見返したい、監督であったり、選手が岡崎はこういう選手だという枠を超えたいっていう。

自分の人生結構そういう、特に海外ではそうやってやってきたんですけど、そういったものの印象的なゴールの1つとしてオーバーヘッドは記憶に残っていると思います。

代表に関しては、ワールドカップで歴史的なゴールが正直自分が欲しかったゴールなので。それがないっていうので悔しさの方が残ってるんですけど、それでもやっぱりワールドカップ予選の最終予選、ワールドカップの南アフリカ戦のゴールであったりは、嬉しかったゴールっていうのはたくさんあります。

ーーありがとうございます。お話の中でのプレミアリーグ初優勝の時の話がありましたが、あの試合は優勝が決まった瞬間、どんな気持ちでしたか。

岡崎 そうですね。嬉しかったいうのは、凄い本音の部分で。

優勝する決まるまでの直前までさっきも話したと思うんですけど、点を取りたい、でもチームのためにこうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない、その先にゴールがないといけないということは考えて、試合に出るために必死にやったシーズンでした。

優勝決まる前にトッテナムとチェルシーの試合をヴァーディーの家で見ていた時まではあんまり考えてなかったんですけど、でも、優勝できるかもしれないってなったときに、「優勝するんか」っていうのがすごく自分の中にあって、記憶にも残っていて、優勝するっていうのはこういう気持ちなんだと。

今まで、ウエスカでの優勝もすごく嬉しかった。でもやっぱりレスター優勝というのは他の記憶の人にも今でも残っているし、これからも残ると思っていますけど、そこに関われたっていうことは嬉しい。

ーーありがとうございます。ワールドカップ3大会出場、そして日本代表歴代3位の50得点をあげられました。この記録を残せた理由は、ご自身の中で何だと思いますか。

岡崎 自分が今言われたことに、満足していないということです。

もっと取れたし、もっと重要な記憶に残るゴールを取れると思ってやってきた。その貪欲さというか、そう言われること自体が悔しいという中で、ひねくれての考えなのかもしれないけど、そのメンタリティーがあったことが、今言われた記録にも残っているものなんだ思います。

ーーその悔しいと思う瞬間も多々あったと思うのですが、現役生活の中で一番苦しかった時期、そしてそれをどのように乗り越えたか教えてください。

岡崎 苦しかったのは、やっぱり日本代表を外れて最後の4年間ですね。

やっぱり苦しかったというより、改めて日本代表でプレーするっていうことのやりがいを感じて、やっぱりあそこで活躍してワールドカップ出たいという思いでやってて、当時スペイン2部にいてここからのし上がっていくという。

香川真司も同じ境遇にいたので、彼とそういった話をすることですごく救われた部分はあるし。正直言うと、それまではそういう話をあまり深くはしたことはなかったんですけど、同じ境遇になって、今からワールドカップ目指そうなという話をして、やっぱり助けられたし、向こうも刺激にはなったと思う。

その存在があったからこそ、最後に自分のキャリアの4、5年、代表に入れていない時期を頑張れたのかなと思います。

「選手として叶わなかったW杯優勝を監督で」

ーーありがとうございます。これからセカンドキャリアが始まりますが、どんな未来を描いていますか。

岡崎 先ほど、シント=トロイデンさんのアンバサダーをさせていただくっていう話もいただいたんですけど、やっぱりヨーロッパに拠点を持っていて、そこに選手であったりスタッフであったり、ヨーロッパで戦う場が、チャンスがあるっていうことの重要さっていうのは、やっぱり日本の皆さんには知っていただきたいなと思います。

いかにあそこで競争していくのが難しいのか競争していくことの難しさを次の世代に伝えていきたいというのは、自分の役割だとは思っています。

ただ、サッカー選手として戦ってきたように、自分がこれからの人生にも、やはり戦いの場が欲しいと一番引退する時に思ったので、そうなってくると監督かなって。自分の中で一番ヨーロッパで監督をしたいってずっと思っていて。

すごく単純な理由なんですけど、日本のサッカー選手がヨーロッパに挑戦しているのに、自分は日本に帰って、そこから海外をもう一回海外挑戦するのかっていう、甘い気持ちで、この選手たちを超えていけるのかって考えると、僕もまだ挑戦しないといけないなと思いましたし、単純に格好つけたいというか。

そういう選手の苦労は知っているだけに、環境に甘えてしまったらどんどん自分を。なんでしょうかね今のアジア、これまで海外で味わってきたのか。ヨーロッパで挑戦するっていうことで、まずは監督。で、今この会見の前にも1週間後、10日ぐらい、イングランドで講習を受けてきて、そこでも大きな壁になると思うんですけど、そこはスタートしていて、あとは自分の、10年前からアカデミーを作ってて、そこでやっぱり子供たちを見ていながら、自分はヨーロッパで挑戦し、そして挑戦してる時に、やっぱりヨーロッパの環境の多さであったりとか、グラウンドであったり、プレーする環境であったりの中ですごく日本であってほしいというのがあったんで、それでアカデミーの方でもすごく自分の中で仲間であったりパートナーと一緒に作り上げていった。今アカデミーが今アンダー8から18まであって、トップチームがあって、でもさらに。マインツっていう地域に様々なバサラマインツっていうクラブがあって、バサラ兵庫っていうクラブとバサラマインツというクラブの2拠点で日本から世界っていう改めてそこへの挑戦というのは、クラブとしても仲間たちと挑戦していきたいなっていうありますんで、セカンドキャリアっていうところで言うと、ちょっと説明が長くなってしまったんですけど、バサラマインツっていうクラブが、今6部に所属してます。そこで自分がトップチームの監督をやるというのが決まっていて。なのでまずすぐにでも経験、監督の経験をできるというこの仲間であったり、パートナー、バサラマインツで一緒にやっている滝川第二高校の先輩がいるんですけど、その先輩と一緒にやっていこうと考えているので、具体的にそこで始めるというのがこれからのセカンドキャリアのメイン。

滝川第二高校の先輩・FC BASARA MAINZ山下喬氏との対談動画はこちら

【岡崎慎司×山下喬】在独19年監督が見るドイツサッカーの文化

ーーヨーロッパでの挑戦もその先にいつか日本の代表の監督、コーチをしている姿を見たいというサポーターはいると思うんですが、それも挑戦したいと思いますか。

岡崎 自分の挑戦の目標がそこで、ワールドカップで優勝で、プレーヤーとして達成できなかったので、やっぱり監督としては目指すところはそこだと思っています。監督としての挑戦はそこですね。やっぱり日本代表監督であったり、ワールドカップ優勝がメインの自分の目標で。ちょっと話が違うんですけど、日本のサッカーを考えた時に、ワールドカップ優勝という目標は自分としては監督としての目標なんですけど、やっぱりヨーロッパの当たり前で環境にある強さというものがある中で、それを実感していく中で、やっぱり日本サッカー界が世界を目指していくっていうのが、ワールドカップで優勝することが目標というよりはもっと、環境であったり。ヨーロッパでも戦えるスタッフであったり、メディアであったり、そういう戦える人たちがもっと必要だと思っているので、そういった人たちのきっかけになるようなことも是非やっていきたいと思います。

ーーありがとうございます。最後に、清水エスパルスから始まり、代表、欧州の各チーム、そして多くのサポーターが応援してきました。サポーターの皆さんにメッセージをお願いします。

岡崎 いや、本当にヨーロッパで引退するっていうことで。清水エスパルスに特に感謝の気持ちを伝えたいというのは自分の中ではあって、やっぱりプロ生活始まって最初の6年間が日本で、そこで出会った人であったり、プロ生活を始めるっていうことがあったからこそ、海外での厳しい環境であったりにギリギリ耐えて、そこから勝ち残ってきたと思ってるので、そういう意味では本当にたくさんのクラブ、関わったクラブ関係者でありながら、特に清水エスパルスであったり、その前の滝川第二こうこうであったり、宝塚FCであったり、自分を育ててくれた日本での23、サッカーで17年ですかね日本でやったのは。本当に日本で育ててもらったというそれを胸に海外でもその後プレーしたので。たくさんの人に感謝の気持ちがありますし。日本代表としても、皆さんが応援してくれたからこそ走れた。走り切れたのかないうふうに思います。本当に感謝します。

ーー代表質問以上とさせていただいただきます。岡崎選手ありがとうございました。

岡崎 ありがとうございました。

岡崎慎司を支えた家族、反骨心、信頼

ーー支えてくれた家族の方にですね、何かメッセージがありましたら教えてくえださい。

岡崎 本当に家族がいなかったら、多分。ここまで長くサッカー選手としてプレーできてなかったと思いますし。そうですね。感謝の気持ちもありますし、特に。海外に行ってからというのは、一緒に苦労をして一緒に成長していけたと思っています。たくさん失敗もしたと思いますし、何か家族と一緒に成長して子どもが成長していったりとか、サッカーで自分がやりたいことができてたりとか、そういった生活があったからこそ、基盤があったからこそ、やっぱりサッカーの辛さというものを乗り越えられたと思います、本当に感謝したいと思います。

ーーさっきのニューカッスル戦のゴールだったり、逆にウズベキスタン戦みたいな泥臭いゴールだったりマルセイユルーレットやってみたり、すごく泥臭いディフェンスしたり、岡崎選手のプレーやキャラクターには幅があると思うんですけど、岡崎選手が現役生活の中でこういう所見てくれてるや、こういう評価をしてくれてるんだなって嬉しく思ったチームメート・監督もファン、誰でもいいんですけどこういうところ見てくれている評価してくれている嬉しく思えた。瞬間プレー、人間性、何でもいいんですけどありましたら教えてください。

岡崎 やっぱり行動があるかどうかですね。言葉とかそういう、行動っていうのは、例えば監督であったりしても、褒めてても、それでも45分とか60分で代えられたりとか、どっちかというと反骨心で生きてきた人間なので、下手って言われたら下手じゃないし、じゃあそれを証明するかっていうのがずっとやってきた人間なんで、なんでそういう甘い言葉っていうのはすぐ疑ってしまうというか、それよりもやっぱどれだけ自分に向き合ってくれてるか、特に、言葉にしてもそうですけどに自分を理解してくれるっていうのは、何か。見抜けるというか自分がそう思いながらやってくれてるんだって思える瞬間っていうのはたくさんありましたし、そうなったらそうなったで、それで終わらないから俺はって、自分でも思うんですけど、難しい生活だなって、ただ先ほども言ったんですけど行動というか証明してもらえれば、自分も信頼してというか、そういう部分です。

「指導者として悔しさを経験して、また吸収して成長していきたい」

ーー岡崎選手、今まで長い間ありがとうございました。それで今ライセンスを1週間取りに行ってきたっていう話だったんですけどの時にてたという話だったんですけど、イングランドでやっているライセンスはどういうレベル。

岡崎 それはUEFA Bの。時間をかけてとるコースなので、だからまだ。単純に勉強しているっていう状態で、まだ取れた取れないというのはこれからのことなんですけど。自分が英語を勉強し直してやってること自体がすごく不思議なんですけど、そこも目標を決めて、ヨーロッパで戦いたいっていう、選手ではなくて、指導者でってなるとやっぱり2つの難しさを感じながら、その10日間でもすごい収穫というか、やっぱり選手と指導者の違いが特に感覚で生きていた人間なので選手としては。それを1から説明できるようにならなきゃいけなかったり、また指導者というのは違うと思うんですけど、それも面白いというか、サッカー選手であった時、引退に向かっていく時に省いていくっていうのが多いというか。できないこととできることを分けていって、スペシャルに、特化していくというかに時間をかけていたんですけど。今はまたそれがサッカー選手で一番最初に始めたいろんなものを吸収していくっていう、そういう時間が今からスタートするので。そういう部分ではすごくワクワクしてますし、反骨精神という意味では、その壁にぶつかったこと自体もまたスタートなのかなっていうふうに思って、なかなかしんどい時間でした。10日間は。

ーーので、そのライセンスの後、結局最後はUEFAプロを目指すと思うんですけど、それが何年ぐらいの計画で、今バサラマインツで監督をするっていうって言ってますけど、それをやりながら可能なのかどうか、ビジョンっていうのを教えてほしかったです。

岡崎 ビジョンっていう、計画自体はそこまでなくて、まず時間がかかることだろうとは思ってますが、やっぱりサッカー選手で監督でやってきた人間がいきなり指導者になります。っていうのはなれないっていう10日間でも思ったんで、そういう意味では5年、10年かかっても目標を持ちながら。

ただ仲間にも感謝なんですけど、自分が10年間アカデミーを作った状態からここまで仲間のおかげでバサラグループっていうのが全アカデミーあってトップチームあって日本にもあって、海外にもあってっていう選択肢がたくさんあるっていう形で、自分が監督になりたいって言った時に、やっぱりそういう場があるっていうのは普通の人はないと思うので、本当にそこはチャレンジの場があること自体が、そこがあるから、そのサッカー選手を辞める、即決できたというか、すぐに自分が戦える場がある。やっぱり悔しいとか、そういう環境にないと人間慣れてしまうって自分は思っているので、ヨーロッパできたこの環境を自分は離れたくないっていうので、なので今度は指導者として悔しさを経験して、また吸収して成長していきたいっていうのがあるので。仲間のおかげで。今挑戦の機会があるっていう。そこでスタートさせて、計画はないけど、時間をかけてでも監督としてのキャリア、キャリアと言うよりは実績とか経験つけて、本当の実力があればどこでもやれるっていうのは、あとはでそれを証明するだけだと思ってる。まずですね。そこからスタートできるっていうことは感謝してます。

今だからわかるダイビングヘッド練習の意図

ーーこれからサッカー選手を目指そうという少年少女に対して岡崎さんからメッセージをいただけますか。

岡崎 めっちゃシンプルかもしれないですけど、諦めるなっていうその一言。考えれば手段がそれだけじゃないと思うので。自分自身はそこ。

当然、反骨精神っていうのは。自信がないと反骨する気持ちも生まれないと思う。やっぱり自分は認めたくないっていう想いでやってて、だから結果的に苦手なことも通常レベルとかベースの部分までは上げていって、それがあるからこそ自分の得意なものが伸びたりして、そういう意味では諦めず考え抜いていて考え抜いた。

諦めるっていう時はやっぱり勝手に来るなって今回思ったんで。

怪我があったりとかわかんないですけど、それまでは諦めなくていいんじゃないかと思います。

ーー岡崎選手のダイビングヘッドについて聞きたいんですけども、ジュニア時代のコーチから教えと把握しているんですけど、どのような教えで生まれたのか、またどんな特訓があり、今に生きているのか教えていただけますか。

岡崎 今の時代、なかなか話しづらい(笑)

ライセンス講習でもあったんですけど。イングランドでもあんまりヘディングするなって言われてるみたいなんで。

それを聞きながら綺麗事やろ、とか考えていたんですけど、ただ教えはただダイビングヘッドをする意図だけではなくて、格好つけてる前に届くかどうか分からないところダイビングにして体投げ出してトライしてみろっていうメッセージだったと思います。

今はそれを理解できます。ダイビングヘッドを今も同じようにやっているわけではないのですが、メンタリティーだけは今も染み付いてます。

なので諦めるなっていうメッセージの一つに、トレーニングでダイビングヘッドや飛び込むことをやるというのは理にはかなっているのかなと今は思います。

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