【解説】安倍元首相銃撃事件で辞職の奈良県警元トップが不動産・建設会社社長に「このままでは壊れます」事件後の日々

2年前の7月、安倍晋三元首相が銃撃を受け死亡した事件の責任を取って辞職していた奈良県警の鬼塚友章元本部長が、全国でスマートホームなどの事業を展開する不動産・建設会社「HESTA(ヘスタ)大倉」の社長に就任した。

鬼塚氏は2022年7月8日、奈良市の駅前で参議院選挙の応援演説をしていた安倍晋三元首相が銃撃を受け、死亡した際の奈良県警本部長で、事件翌日の記者会見で「警護、警備に関する問題があったことは否定できない。本部長として痛恨の極みで、27年余の警察官人生で最大の悔恨だ」と謝罪。また警備の検証を終えた49日後には「私自身、個人的に敬愛する安倍元総理がお亡くなりになったとの知らせを受けて、図りしれない衝撃と責任の重さに押しつぶされそうになる毎日でありました」と胸の内を語り、引責辞任した。

それからまもなく2年、鬼塚氏は照明や空調などをインターネットに接続して快適な住まいを目指すスマートホーム事業などで、地方創生や生活の安全に貢献する会社の社長として再出発することになった。

民主国家の根幹をなす選挙の現場で、国政に強い影響力を持ち続けていた元首相が撃たれ、亡くなるという惨事の後、その責任を背負って辞めた彼の2年はどんな生活だったのか。

事件があった年の年末、とある会に同席した際に、本人から話を聞く機会があった。

このままでは壊れますよ

安倍元首相が撃たれ、亡くなったことを受け、鬼塚本部長はもとより、警備担当の幹部、現場の責任者らは責任の重さにおののく毎日で、スタッフ全員が毎日メンタルを病んでいないか、数時間おきに定時連絡をして無事を確認する状況だったという。そして、まもなく辞職を迎えるころになり、本部長自身が眠れなくなっていることに気がつき、カウンセリングを受けた。「このままでは壊れますよ」と言われたという。しかし引責辞任の決断は、彼にとっては避けがたい選択だった。

1995年に警察庁に入庁した鬼塚氏は、主に警備畑を歩み、警視庁や内閣情報調査室で北朝鮮を担当。在イタリア日本大使館の一等書記官も務め、警察庁では総理大臣の外遊の警護をする警護室長として世界中を飛び回った。同乗した政府専用機の機内などで安倍元首相の人柄に触れ、官僚としても警察官としても親しみを覚えていたという。「私自身個人的に敬愛する安倍総理が」という言葉は、そのあたりの経験から来たものだろう。そんな彼が事件を防げなかった責任を取って辞職することは、自然なことだったのかもしれない。

ところが彼の辞職については「元首相の命を守れなかったのだから当然だ」という批判と同時に、若手の警察官僚の間では「仕事の失敗で職を失うのか」という動揺も走ったという。そんな話が彼の耳にも入り、心を痛めた。

鬼塚氏が新天地として選んだのは大阪で創業し、全国で会員制リゾートホテルやマンション販売、スマートホームなどを手がける不動産・建設会社だ。AIやIoTを活用し、犯罪や事故を未然に防ぐ街作りも手がけているという。大切なものを守ることができなかった過去については、今後も背負い続けていくのだと思うが、暮らしや街の安全を守ろうという新しい一歩を応援したいと思う。
【執筆:フジテレビ社会部長 勝又隆幸】

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