米ロックバンド、クレイジー・タウンのシフティ・シェルショックが死去

クレイジー・タウンのシフティ・シェルショックが死去した。49歳だった。ロサンゼルス検視局の記録によると、『バタフライ』で知られる同バンドのフロントマン、シフティ(本名セス・ビンザー)は24日(月)に亡くなっており、現在死因は不明となっている。

長年薬物依存と闘ってきたシフティだが、2012年に意識を失い入院し昏睡状態が続いた後退院、訃報の8週間前にはインスタグラムにこう綴っていた。「俺は闘う人というより愛する人だ。しかし俺が闘う代わりに愛する必要がある相手は自分自身だ。ミスター・シフティの真の愛。しらふで生きること、そして感謝」

依存症と闘うセレブが出演する『セレブリティ・リハブ』や『ソバー・ハウス』にも出演していたシフティ、1992年にクレイジー・タウンの共同フロントマンとなるブレット・マズアと出会い、最初はブリムストン・スラッガーズという名前で活動、1999年に同バンドが結成され、1年後にはオジー、シャロン・オズボーン主催の「オズフェス」の一員としてツアーを予定していたものの、シフティが酩酊状態で、窓から椅子を放り投げ逮捕される事態となっていた。

2002年にリリースされた同バンドの『バタフライ』は全米シングルチャートで2週間首位をキープ、オーストリア、デンマーク、ノルウェーといった海外でもナンバーワンを獲得した。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの1989年のアルバム『母乳』から『プリティ・リトル・ディッティ』をサンプリングした同曲も収録されたデビューアルバム『ザ・ギフト・オブ・ゲーム』は150万枚以上売り上げるヒットを飛ばした。

しかし、2002年のセカンドアルバム『ダークホース』が伸び悩み、同バンドは解散することとなるも、2007年に再結成し2009年にはステージに復帰、2015年にサードアルバム『ザ・ブリムストン・スラッガーズ』をリリースする。

2017年にはメンバーらが脱退したことで、シフティはバンド名を「クレイジー・タウンX」に変更、2019年にはカナダのオンタリオ州でツアーバンが大型のシカ、ヘラジカと衝突し、シフティ含めメンバーらが病院で打撲や切り傷の手当てを受けるに至っていた。

他にも同バンドは昨年のツアー中、シフティとボーカルのボビー・リーヴスが流血する喧嘩をしたものの、ツアーが続行され話題となっていた。

ポール・オークンフォールドとの2002年のコラボ曲『スターリー・アイド・サプライズ』などソロ活動もしていたシフティ、プライベートでは2人の女性との間に息子がそれぞれ1人おり、強盗未遂やドラッグの販売、使用など頻繁に警察沙汰を起こしていたことでも知られている。

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