【6月27日付編集日記】棒をのんだ話

 〈うえからまっすぐ おしこまれて とんとん背なかを たたかれたあとで 行ってしまえと いうことだろうが〉。石原吉郎の詩「棒をのんだ話」の一節だ

 ▼石原のシベリア抑留経験を踏まえれば、ソ連によって抑留者に押し込まれた棒は、人を人として扱わない不条理。それを受け入れなければ生きられない〈なっとくづくの あいまいさ〉が収容所にあった。ただ尊厳を傷付けられたことへの抵抗か、棒を飲んだ側は歩かず〈つっ立ったままだ〉

 ▼改正地方自治法により、国が非常時の対応などを自治体に指示する権限が広がる。災害や感染症、武力攻撃などの個別法で対処できない場合の特例だが何せ想定外ゆえ、国でも発動例を説明できないらしい

 ▼指示権の乱用で、国と地方の関係が、対等から上下に逆戻りするのではないかと懸念されている。一方、上から下りてくる指示に不自由さを感じつつも、自治体はそれに従っていれば、非常時の対応の責任を直接背負わずに済む。そんな自治体の腹の内も垣間見える

 ▼〈なっとくづくの あいまいさ〉は国と地方の間にもある。棒を押し込まれる時も恐らく来る。ならば、その痛みから逃げず、自らの意志で歩める地方でありたい。

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