「ごめんなさい。もう運転しない」
被告の男性(47)=京都市=が今年2月、京都地裁の公判で謝罪した。白髪の交じる小柄な背中が、小刻みに震えた。
重い知的障害があり、車に乗りたい衝動が抑えられずに窃盗を繰り返してきた。既に11回服役し、成人後の大半は刑務所にいた。今回、男性は2年余りの服役を終えた後、地域で2カ月生活し、逮捕された。それでも前回よりは長かった。
「自由とは何か」。長年の支援者は考え込んでいた。
■排除ではなく「居場所」に…
「司法と福祉の連携」をかけ声に、国は男性のような「累犯障害者」への取り組みを広げてきた。2009年、障害のある受刑者らを出所時から円滑に生活支援へつなげる「特別調整」の制度を創設。男性はその対象だった。
ただ、司法から橋渡しされた先の地域社会が、排除に走ることなく「居場所」となるには、なお重い課題が横たわる。
男性は昨年7月、京都刑務所を出所した。「車以外の楽しみを経験する中で、自然と罪を犯さないでいることを目指した」。ケアプランを担った市東部障害者地域生活支援センター「らくとう」(山科区)の相談員、中村嘉男さん(51)は振り返る。
施設入所は男性が拒んだ。中村さんも、服役し罪を償い終えた以上、いつ食べ、いつ寝るかを自ら選べる場所に戻りたいのは当然と考えた。ただ関係者には「リスクが高い。施設へ入れるべき」「無防備に刺激過多の世界へ追いやる」と案じる声もあったという。
グループホームへ入居できなかった男性は、地元に近い住宅街の民家に落ち着いた。介護事業などを手がける株式会社「テイクケア」(伏見区)が経営する障害者向け物件だ。
社長の石原武史さん(43)は「行き場のない人の受け皿づくりはニーズが大きい。ビジネスとして成立させたい」と話す。
近隣住民の一部には物件への反発があるというが、「支援の仕組みをしっかり整え、隙を与えなければ問題はクリアできる」と今も思う。安定して暮らし続けられる居場所を得るには、地域の理解が欠かせないと実感している。
■「見守り」か「監視」か?
京都市は、男性に通所以外は常時、就寝中も含めてヘルパーが交代で付き添うことを認めた。ケアプランを作った中村さんは、この支援体制が社会で経験を積むためには必要だったとしながらも、「監視」の性格も帯びていたと自覚する。
ヘルパーの一人として加わった「訪問介護まごのて山科」(山科区)の統括マネージャー、岡山潤平さん(44)は「『見守り』が『監視』になれば、逃げたくなるのは分かる」とし、「そうならないために良好な関係をつくることが僕の仕事」と考えていた。
男性が通った就労支援施設「道のさち」(同区)の管理者、河島久恵さん(50)は「一生懸命働き、生き生きとしていた」と語る。
他の利用者と昼食を共にして談笑し、職員の顔と名前を覚えて会話した。彩色でアート作品を生み出す仕事に黙々と励んだ。作業を重ねると色使いは多彩になった。河島さんには、男性が自らの存在を周囲に認めてもらえるのを喜んでいるように映った。
「社会にいるのが短いから、『やりたいこと』を知らないだけなんじゃないか」
男性は後に、塀の外で楽しかったのは「ご飯を作ったり、買い物に行ったりすること」だったと答えた。そんな地域生活は昨年9月26日に急転する。
夜間に個室の窓から外へ抜け出した。関係者には想定外の事態だった。近くの駐車場にあった軽ワゴン車に乗り込んで、車内に置かれたままだった鍵を差して無免許運転し、京都府警に逮捕された。
「乗りたかった」。3週間後、勾留先の警察署で中村さんと面会した男性は神妙に答えたという。「彼を責めても次にはつながらない」。面会直後の取材に、中村さんがつぶやいた。
■服役に何の意味?
なぜ自らが反省しているのかを男性はどこまで理解できているのか、中村さんには疑問だった。懲罰で衝動を抑制できないのは明白。服役は「家に帰れない経験」でしかない。だからこそ、リスク含みでも地域での暮らしを一刻でも長く続けてもらいたかった、と中村さんは悔いた。
男性は常習累犯窃盗などの罪で起訴された。京都地裁であった裁判には、中村さんによる「更生支援計画書」が提出された。14年前に関わり始めた当初、男性は他人を信用できずにいらつき、通所先の規則を守れなかった。そこからの歩みが「自分を待つ支援者がいるという安心感や信頼感が、より人間らしい変化を生み出した」と記されていた。
累犯障害者への福祉はまだまだ弱いと中村さんは言う。それでも、高齢の母親と離れ、ヘルパーが伴走する地域生活になじめた今回の日々は前進であるとともに「支援の在り方として一つのモデルになる」と力を込めた。
だが、車への衝動をコントロールするために重ねてきた試行錯誤は服役で再び途切れてしまう。
■検察「徹底した矯正教育を」
今年3月7日の公判で、検察側は懲役4年を求刑した。男性には規範意識が欠如しており、心からの反省と再犯防止のためには徹底した矯正教育が必要だ、と強調した。弁護人は「(男性は)車に乗りたくなったら、中村さんらに相談すると決めた」と訴え、同2年を主張した。
京都地裁は同月21日、男性が心神耗弱状態だったと認定し、懲役2年の実刑判決を宣告した。
翌日、京都拘置所で男性は中村さんと接見した。公判で弁護人が言及した取り決めについて、「約束やで」と念押しされると、何度も「はい」とうなずいた。刑務所に楽しみはある? との問いに男性は即答した。
「ないです」
控訴はなく、地裁判決は4月5日に確定した。