松本サリン事件30年 元捜査員が証言「極秘捜査班」 薬物ルート調べ…事件から3週間でオウム真理教に辿り着く

松本サリン事件から6月27日で30年。前代未聞のサリンを使った事件を薬品ルートから調べ上げ、「秘密裡」に教団に迫った捜査班があった。恐怖と使命感、そして無念さ。「極秘捜査」に当たった元捜査員が30年前の記憶を語った。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「一体どうなってるんだと。この捜査をどんどん進めていった中で、本当にこれでサリンを作るとすれば、もう日本終わっちゃうよと」

長野県警の元幹部・上原敬さん(69)。長く刑事畑を歩んできた。30年前は「サリン」を追う「薬品捜査班」の班長。退職した今も記憶は鮮明だ。

原因物質は猛毒の「サリン」

捜査一課長の会見(1994年7月3日):
「有機リン系の有毒物質が検出された。その物質はサリンと推定される」

8人が死亡、600人以上が重軽症となった未曽有の事件。猛毒の「サリン」が原因物質と判明したのは事件から6日後のことだ。

記者リポート:
「きょうも毒ガス発生の謎解明に向けて捜査が行われました」
「化学に詳しい5人の警察官を中心に新たなプロジェクトチームも発足しました」

化学の知識見込まれ「薬品捜査班」班長に

そのプロジェクトチーム「薬品捜査班」の班長を務めたのが上原さん。大学で学んだ生物化学の知識を見込まれてのことだった。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「(サリン合成に)必要な薬品は何なのか、その薬品は日本のどこで作っていて、誰が買ってるのか。これを把握すればおのずとサリンを作ったものがわかるんじゃないかと捜査が始まるわけです」

「化学兵器」として認知されていたサリン。一方で「農薬から作れる」「偶然にできることもある」などとする説も報道される状況だった。そこで、上原さんたちは専門書を読み込み、全国の研究者を当たって、まず製造方法をつかむ。

調達ルート調べると…「得体の知れない人物」

次に薬品の調達ルート。合成に必要な薬品を扱う会社の取引を片っ端から調べた。

するとー。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「『ジメチル』(サリン合成前の物質)の捜査の中で浮上してきたのが、なんか得体の知れない人が買っていきましたよ、みたいな連絡があって」

辿り着いたのは…オウム真理教の道場

7月19日、捜査班は薬品を仕入れた人物の住所に辿りつく。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「その住所がオウム真理教の世田谷道場だったんです。(信者が)望遠鏡でずっと監視してるとか、外を見ているとか、カメラを持って写真撮影したり。やばいなということで、直接当たれなくて帰ってくるんですけど(捜査班の上司らが)尾行されたって言うんです。これはえらいところだと、尾行をまいて帰ってきた」

教団が初めて捜査線上に 秘匿捜査が始まる

事件発生から22日、初めて「オウム真理教」が捜査線上に浮上した。さらに調べると、ペーパーカンパニーがさまざまな薬品を大量に購入していることも判明。緊迫度が増す一方、慎重さも要されたと言う。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「(捜査が)オウム真理教に向いてるっていうことがわかると、長野県警は宗教弾圧をすると言いかねない。言論で攻撃してくることもあるだろうし、直接的に暴力でくる場合もあるかもしれない。要するに捜査の混乱が起こるだろうと。それなら、これは秘密にしておこうと。その辺から秘匿捜査が始まる」

河野義行さん犯人視に「違和感」

上原さんたちが秘密裡に捜査を続ける一方、捜査本部は、容疑者不詳のまま第一通報者・河野義行さん宅の捜索を実施。その後、別の捜査班が事情聴取も。河野さんを犯人視する報道が続く。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「われわれの捜査の中で出てきたのはオウムだけなんですよ、怪しいのは。なぜ皆さん、河野さんを注目しているのか不思議だったし、違和感を感じていました。(サリンは)一般の家でできない、作れない。捜査班の一つで、(河野さんの)事情聴取も必要だろうとは思いますけどね」

大量の薬品購入に…恐怖と使命感

その後も上原さんたちは薬品の購入歴や運送状況を捜査。翌年2月、想像を絶する「全容」をつかんだ。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「(サリンを合成する)出発物質はダミー会社4社を通じてオウムは180トンを購入してた。この調子でサリンを作っていれば日本終わっちゃうよ。それを救うのは俺たちかもしれないな、みたいなことでね、うちのチームはそう思っていた」

あとは事件との関連を示す証拠の捜査。

あとは事件との関連…その矢先に

しかし、その矢先…。

1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生。

またしてもサリンがまかれ、死者13人、5800人以上に中毒症状が出た。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「地下鉄(サリン事件)が起こってしまって、そういう面では非常に残念だと思うし、何かやりきれない気持ちはある」

警視庁と捜査内容共有 強制捜査へ

その後、これまでの捜査内容は警視庁とも共有され、教団施設の強制捜査へと一気に進み、サリンの製造者、実行犯の特定につながった。

合同捜査本部に加わった上原さん。サリンを製造し、殺人予備罪に問われた男性信者の取り調べを担当した。

男性信者を取り調べると…

製造プラントなどを事細かく説明する信者。しかし、多くの人の命を奪ったことへの反省や後悔は感じられなかったと言う。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「ワーク(修行)と称してそういうものに没頭させられていた。それで踊らされているっていうか、そういうことをやったのが若者。だから本当につらさというか、宗教の怖さっていうのかな。ひしひしと感じた」

信者の一言に驚愕

取り調べで「最終的にどのくらいのサリンを作る予定だったのか」と尋ねると…。

「1日2トン、合計70トンです」

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「(ある文献には)『7トンを東京上空にまき散らせば、山手線の内側は4分間で死の街となる』と。東京で7トンだから、10個の都市を壊滅することを考えていたんじゃないかな。(教団は)ヘリコプターも持っていた。麻原はそういうことを考えていたんじゃないか」

大き過ぎる被害 消えない記憶

30年前、恐怖と使命感に駆られて行った捜査。上原さんの記憶から消えることはない。

県警元捜査員・上原敬さん(69):
「亡くなった方もいるし、まだ苦しんでいる方もいる。被害が大き過ぎちゃって、もうこんな事件は起きてほしくないし、起こってもらっては困るなと」

(長野放送)

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