獣医が「99.9%無理」とさじを投げた瀕死の子猫 諦めなかった小児科医の思い通じた「奇跡の猫」

林かおる先生と五郎丸【写真提供:写真提供:林かおる】

猫を家族の一員としてお迎えする方法として、保護猫の譲渡を選択する人が増えています。そうした保護猫をお世話し、行き場を失っている猫の命を守るため、積極的に行動している人たちは少なくありません。コラムニスト・峯田淳さんが、保護猫活動について連載する企画。今回は大阪府堺市の小児科医と保護猫についてのお話、前編です。

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獣医もさじを投げ… 瀕死状態だった早産の子猫

かつて商人の街として栄えた大阪・堺に、「奇跡の猫」がいます。「五郎丸」という名前の8歳になるハチワレの猫です。何が奇跡か――。

母猫が保護された際、パニックになって早産してしまいます。産まれたのは5匹。わかったときには、すでに4匹は息絶えて冷たくなっていたのですが、1匹だけまだほんのりと温(ぬく)かったそうです。それでも呼吸はしていません。とっさに羊水を飲んでいるのではと思い、口で汚れを吸い取って心臓マッサージを施します。すると、生き返る兆しを感じて、急いで動物病院に連れていったそうです。

しかし、獣医は「これは99.9%無理やねえ」とさじを投げてしまいます。でも、絶対に助かる、いや助けたいという思いで連れ帰り、2時間おきに1ccの注射筒、シリンジで粉ミルクを口の中に少しずつ流し込み続けました。五郎丸は生命力も強かったのか、懸命の看病が実り、元気な赤ちゃん猫になり、今では写真のような堂々たる立派な成猫になりました。

生後間もない頃の五郎丸と【写真提供:林かおる】

五郎丸を育てているのは、堺市で小児科・林医院を開業している林かおる先生です。

「普通、子猫が産まれたときの体重は100グラムくらいだそうです。五郎丸は半分の50グラム以下、30~40グラムくらいでした。人間なら1000グラムにも満たない体重だったかもしれません。猫の場合は人間と同じような、医療環境があるわけではありません。五郎丸に奇跡が起きたと今でも信じています」

手のひらに、すっぽり収まるほど小さかった五郎丸【写真提供:林かおる】

「私は小児科医ですから」 小さな命への思い

林先生は五郎丸への思いをこう語ります。

「私は小児科医ですから常に子どもを助けたいという思いがあります。あのときは、そんな思いが家中に伝わり、夫や姉が一緒に看病してくれたことも大きかったです。その結果、生きるか死ぬかをさまよった五郎丸が今も元気に生きている。しかも、うちにいる猫のなかで五郎丸は一番、人に懐いている猫です。

名前はラグビーの人気選手だった五郎丸歩選手からつけました。当時はラグビーで五郎丸選手が活躍していました。この猫(こ)も五郎丸選手みたいに、たくましく育ってくれたらいいなという思いを込めました」

ミルクをあげている動画もありました。五郎丸はキーキーと声を上げ、必死にミルクを吸おうとしていました。

「最初はネズミみたいに小さくて、手のひらに乗るくらいだったんですよ。それが体重50グラムを超えたときは本当にうれしかった。この猫は人間の手から飲ませてもらったミルクで育った猫やから、人慣れしている。それにとっても賢くて」

五郎丸の母猫はまだ生きていますが、乳がんであることがわかり、手術したばかりだそうです。こちらは病気からの回復を祈るしかありません。

林先生の自宅でお世話されている保護猫の一部【写真提供:林かおる】

「黒が多い猫は割と賢いことが多いですね」

林医院は4棟続きの堺の豪邸です。そこに50匹以上の保護猫が住んでいます。4棟は複雑な構造で、中で行き来できる構造になっています。林先生に、たくさんある猫の部屋を案内してもらいました。

最後に案内された4棟目の奥の部屋を見ていたら、向こうからハチワレの猫がやってきて、足元にすり寄る素振りを見せながら、プイッと通り過ぎていきました。あとから詳しく話を聞いた五郎丸が、その猫でした。つまり、来客を知って、わざわざ挨拶に来たということのようでした。

見送りに来てくれた五郎丸【写真:峯田淳】

五郎丸はやっぱり賢い猫だと思います。帰り際、林先生に呼ばれると玄関脇の階段を降りて来ました。最初はひょっこりはんのように、こちらをうかがいながら。最後は近づいてきてお見送りしてくれました。長年、猫を見てきた林先生が「黒が多い猫は割と賢いことが多いですね。五郎丸はその典型かもしれない」と言うのを聞いたとき、ハッと思い出しました。

今は亡き我が家のジュテ【写真:峯田淳】

最初に我が家にやってきて、3年前に死んだハチワレのジュテのことです。手足は見事に白い靴下を履いたソックス猫。「ジュテ」は現在飼っている3匹よりも、明らかに賢く、人間を値踏みするようなところさえありました。

林先生は堺の名士としても、豪邸住まいやたくさん猫を飼っていることでも有名で、バラエティ番組に出演したことが何回もあります。ちなみに、4年前には五郎丸も取り上げられています。

次回は50匹以上お世話している保護猫活動について。

峯田 淳(みねた・あつし)
コラムニスト。1959年、山形県生まれ。埼玉大学教養学部卒。フリーランスを経て、1989年、夕刊紙「日刊ゲンダイ」入社。芸能と公営競技の担当を兼任。芸能文化編集部長を経て編集委員。2019年に退社しフリーに。著書に「日刊ゲンダイ」での連載をまとめた「おふくろメシ」(編著、TWJ刊、2017年)、全国の競輪場を回った「令和元年 競輪全43場 旅打ちグルメ放浪記」(徳間書店刊、2019年)などに加え、ウェブメディアで「ウチの猫がガンになりました」ほか愛猫に関するコラム記事を執筆、「日刊ゲンダイ」で「前田吟『男はつらいよ』を語る」を連載中。

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