サンテティエンヌではライバルに「オレがいる限り絶対に試合に出られない」といきなり啖呵を切られた【流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白】#10

サンテティエンヌ時代の松井(C)共同通信社

【流浪のファンタジスタ 松井大輔が激白】#10

海外最初のクラブであるルマンを離れ、同じフランスのサンテティエンヌへ赴いたのが2008年の夏。リーグ優勝10回の名門へ行けば、CL(欧州チャンピオンズリーグ)参戦も夢ではないと思われた。だが、ルセイ監督体制ではほぼ出番を与えられず、新天地でいきなり壁にぶつかった。

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「オマエはオレがいる限り、絶対に試合に出られないからな」

新たなクラブに足を踏み入れると、同じポジションのジェフリー・デルニスにいきなりそう言われ、面食らった。

「ルセイは彼と仲が良くて『来季もジェフリーを使う』とクラブ側に断言していたらしいんです。そこに僕が来た。デルニスにとっては、目の上のたんこぶのように感じたんだと思います」

困難はそれだけではなかった。サンテティエンヌ自体が、混乱の真っただ中にいたのである。

「当時のサンテティエンヌは<会長が2人いる>状態。それぞれが好きな選手を連れてくるし、アシスタントコーチやフィジカルコーチも複数いて、どっちにつくかの派閥争いをしていた。08年夏の段階では、ルセイやデルニスのいた派閥が優位に立っていたから自信満々だったんでしょうね」

■日本人は欧州2つ目の移籍先で苦労する

まさに戸惑いの連続。そんな状態のチームが勝てるはずがない。サンテティエンヌはリーグ序盤3カ月間、まったくと言っていいほど勝てなかった。松井自身も念願のEL(欧州リーグ)参戦を果たし、バレンシアやブレーメンに挑むチャンスを得たが、出番を得たのは後半になってから。

「欧州挑戦に踏み切った時から、欧州の(CLやELの)舞台に立つのが夢だったのに、こんな状態で使われるのは本当に悔しくて切なかったですね」と複雑な胸中を吐露する。それでも11月にルセイが更迭され、新たにペラン監督が就任。取り巻く環境も改善されつつあったが、ルマン時代のような輝きを放つことはできなかった。

「デルニスは干されたけど、自分より少し早くサンテティエンヌに移籍していたベルギー人のミララスがいて、思うように出番は巡ってこなかった。彼はその後、エバートンにステップアップ。確かに能力は高かった。定位置争いは、本当に熾烈で苦しかったですね」

同シーズンの目覚ましい成果は、モナコとの試合で「超ロングシュートを決めたことくらい」と振り返る。

「アタッカーは5回に1回はアシストかゴールという明確な結果を残さなければ、欧州では認めてもらえない。自分は2つ目のクラブだったので正直、余裕はなかった。真司(香川=C大阪)なんかもそうですけど、日本人選手は2つ目の移籍先で苦労する傾向があるのかな、と。僕もここで苦境に追い込まれたのは確かだと思います」

10年南アフリカW杯を目指す自分には時間がない。彼は1年で環境を変える決断を下した。(つづく)

(取材・構成=元川悦子/サッカージャーナリスト)

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