「銭湯の聖地」救ったのはカリスマ京都大生 掃除サークル再建、店主助ける 「風呂は命の洗濯よ」

「銭湯に恩返ししたい」と語る竹林さん(京都市東山区・東山湯温泉)

 「聖地」と呼ばれる陰で、高齢化などを背景に廃業が続く京都市の銭湯。年を重ね、重労働が負担になっている店主らを少しでも手助けしたいと、京都大学生らでつくる「京大銭湯サークル」が、営業を終えた未明の銭湯で風呂掃除を続けている。このほど会員が100人を超えたが、今年3月には一時的に会員がゼロとなり、存続が絶望視されていた。一気に立て直したのは、風呂を心から愛し、「銭湯に恩返ししたい」とまで語る1人のカリスマ京大生だった。

 4月23日午前0時30分過ぎ、営業を終えた左京区の東山湯温泉に、Tシャツと短パン姿の京大生と同志社大生計11人が集まった。

 「目地をしっかり掃除してください」。3代目会長の竹林昂大(こうた)さん(26)=工学部=が声をかける。むきむきの筋肉と短髪が快活な印象を与える。周りからは親しみを込めて「チクリン」と呼ばれている。

 号令一下、「銭湯の渋い感じが好き」という京大院生アレクサンダー・プラットさんらが男女の湯に散らばり、たわしなどを使って一斉に磨き始める。竹林さんは、熱気が残る風呂場で汗をしたたらせながら、誰よりも一心不乱に汚れを落とした。

 メンバーは週2回、同温泉の掃除を手伝う。通常、1時間程を費やし、帰路につくのは午前2~3時。体力的にしんどい上に、電車もバスもない時刻のため、遠方の学生の場合、近くの友人宅に泊めてもらうといった備えが必要になる。決して楽なサークル活動とは言えなさそうだが、それでも10人前後が毎回集う。

 今の活気からは想像しづらいが、2021年に発足した同サークルは、新型コロナウイルスの感染拡大で思うような活動ができず、今年3月にはメンバーがゼロになった。危機に立ち上がったのが竹林さんだった。

 名古屋市出身。親に叱られる程の長風呂で、祖父母の家にある立派なしつらえの風呂を磨き上げるのも好きだった。「無心で汚れを落とすのが楽しかった」と思い起こす。

 地元ではスーパー銭湯などに通った。「家では味わえない開放感がある」と話す。その後、愛知県屈指の進学校・旭丘高から京大に進んだ。受験した際も東山湯温泉に足を運んだほど風呂が好きな竹林さんにとって、個性あふれる老舗がひしめく京都は楽園だった。「家を借りる時も、風呂なしで探した。銭湯に通い詰めるのが前提だった」と笑う。

 愛をさらに強くしたのが京都での日々だった。コロナ感染が広がった折、「進路を誤ったのでは」などと人生に悩み、布団から出られず、鬱々(うつうつ)と過ごしていた。外出し、人と話すきっかけを生んだのが、お気に入りの銭湯だった。肩書が意味をなさない場所が、ありのままの自分を受け入れてくれた。サウナでのたあいない会話、芯から温まるお湯…。次第に活力を取り戻した。「銭湯に救われた。『風呂は命の洗濯よ』というアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のせりふは、まさにその通りと感じた」と振り返る。「銭湯に救われた。恩返しをしたい」という言葉は実体験に裏打ちされている。

 竹林さんは同サークルには入っていなかったが、緊急事態を耳にし、消滅させるわけにはいかないと一念発起。前会長に談判し、快諾を得て3代目会長に就いた。

 「リーダーシップを取り、何かを成し遂げるのが得意」という自らの強みを生かし、快進撃が始まる。同サークルのX(旧ツイッター)に寄せられたままになっていた大量のメッセージに返信。活動再開を伝えると、参加希望が寄せられた。Xやインスタグラムを使った発信にも力を入れる。京大の新入生歓迎の祭では、肌寒い中、裸に温泉マークを書いて、チラシ1500枚を配った。

 体を張ったかいもあり、会員はあっという間に100人を突破した。8割を占める京大のほか、立命館大、京都産業大、同志社女子大、京都女子大などの学生が名を連ねる。山口県出身で、山登り後の風呂が最高という同志社大の西村領真さん(20)も情熱に感化された1人だ。「インスタグラムを見て楽しそうと思った。風呂を支える側になれるのが魅力。営業後に時間をかけて掃除し、わずかな睡眠でまた営業を始めるという大変な思いをしながら銭湯が開かれていることも分かった」と言葉に実感を込める。

 活動への共感は京都を超えて広がる。看板商品「イヨシコーラ」を「湯上がり後の新定番」とうたい、6月23日には東京都内の各銭湯で変わり湯「イヨシコーラの湯」を開くなど、浴場との連携に力を入れる伊良コーラ(東京都)が応援に名乗りを上げたのだ。コーラを提供し、イベントも構想する。藤原直人さん(30)は「銭湯に興味を持つ人が増える活動をしてほしい」と期待を込める。

 左京区の繊維製造会社「TKC合同会社」からは、風呂をテーマにしたTシャツやバッグの寄贈も受けた。

 今夏には、伝統文化の盛り上げにも一役買う。京都府舞鶴市の銭湯で合宿し、掃除を手伝い、地元の火祭りにも関わるという。多種多様な試みを通じ、銭湯にも地域にも入り込んでいく。

 3代目として順調な滑り出しに見えるが、「始めは勢いがあるもの」と分析する。その上で「継続できるシステムをつくりたい」と頭をひねる。

 京都市内の銭湯は、竹林さんが入学した19年に約100軒だったのが、24年春には約80軒となった。店主の高齢化と施設の老朽化など、展望は明るいとは言えない。銭湯が減っていく様子を目の当たりにするだけに、「人数が集まったので、東山湯温泉だけでなく、他の銭湯も手伝いたい。僕たちを必要とする人がいれば何でもしたい」と話す。

 京都の銭湯文化にどっぷりつかり、その一翼を担っていくため、鍛えられた筋肉と頭脳を生かしていく。「僕は銭湯のある町にしか住めないので、京都を出られる気がしない。銭湯を支える一助になっていきたい」と言葉に力を込める。

体に銭湯マークを書いて、新入生らにPRする竹林さん(竹林さん提供)
集まった京大銭湯サークルのメンバー(京都市左京区・東山湯温泉)
掃除の方法を助言する竹林さん(中央)
「銭湯に恩返ししたい」と語る竹林さん

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