すべてを失った男・高知東生が薬物依存を語る「逮捕された瞬間よりも、つらい体験」とは?

2016 年6月24日、俳優の高知東生はすべてを失った。横浜市内のラブホテルに愛人と共にいたところを、麻薬取締官に覚せい剤と大麻所持の容疑で逮捕された。このとき、高知は逮捕した取締官に「来てくれて、本当にありがとうございます」と言ったとされている。28歳と遅咲きの俳優デビューながらも、それまで順調に歩んできた芸能界でのキャリアと信頼を失い、おしどり夫婦と呼ばれた人気女優である妻・高島礼子とも離婚することになった。

懲役2年執行猶予4年という判決が下されたが、拘置所を出た高知を待っていたのは「薬物依存症」という医師からの診断結果とマスコミによる大バッシングだった。どこにも自分の居場所を見つけることができず、高知は自殺も考えたという。

人生のどん底を味わった高知だが、依存症の治療のために「自助グループ」に通うようになる。その中で向き合ったのは、幼いころは祖母に育てられ、小学5年のときに暴力団組長の愛人だった母親に引き取られるも、高知が高校3年のときに母親は自死を遂げた……という複雑な高知自身の生い立ちだった。

現在の高知はそうした体験を講演会やSNSなどを通して語り、自叙伝『生き直す 私は一人ではない』(青志社)や自伝的小説『土竜』(光文社)を執筆している。そして、6月29日(土)からは、高知が薬物所持で逮捕された元人気歌手を演じた主演映画『アディクトを待ちながら』が劇場公開される。逮捕された「あの日」から、高知はどんな道のりを歩んできたのかを赤裸々に語ってくれた。

担当医から「依存症」と言われても実感がなかった

――通称マトリ、麻薬取締官に逮捕された瞬間に「ありがとうございます」と言ったことがwikipediaなどに書かれていますが事実ですか?

高知 本当です。意識せずに口から出てきた言葉ですが、逮捕される1年くらい前から薬物を使う頻度が増え、「このままじゃヤバい。すべてを失うぞ」という意識はあったんです。でも、2人でやっていると、一方が「もうやめよう」と言っても「今までバレてないから大丈夫」みたいなことで、やめるタイミングを逸していたんです。それで、あの日を迎えました。忘れもしません。逮捕された瞬間は、「こんな形になってしまったけど、ようやくやめることができる」という気持ちと「すべてが終わった」という感情が入り混じり、「来てくれて、本当にありがとうございます」という言葉が出てきたんです。

――薬物はいつごろから使っていたんですか。

高知 高知から上京して間もない20歳くらいのころ、ディスコに通うようになり、VIPルームで回ってきたのが最初でした。でも、薬物はずっと使っていたわけではないんです。その後、芸能界に入ってからは10数年間離れていたんです。僕の場合、日常生活の中でガソリンのように覚せい剤を使っていたわけではなく、女性と遊ぶ中での快楽の道具のひとつとして使っていました。自助グループの仲間たちに言わせてば、それはそれでタチの悪い使い方だそうです。俳優業と並行してやっていたエステサロンの経営がうまく行かず、今から振り返ればそうした現実からの逃避としても使っていたんだと思います。

――薬物依存症という認識はなかった?

高知 ないです。保釈された際に、主治医の高木俊彦先生から「薬物依存症です」と言われて初めて知ったんです。それまでの自分は、根性論や精神論で生きてきたので、「病気」だと言われても理解できなかった。浅はかなんですが、「自分は運が悪かった」というふうに捉えていたんです。

――拘置所を出てからが大変だったようですね。

高知 1年目はいろいろな片付けやけじめをつけなきゃいけないことがあって、忙しかったんです。それまでエステサロンでがんばってくれていたスタッフの新しい職場も探さなくちゃいけなかった。つらかったのは2年目からです。友達が借りてくれたアパートの一室に引き篭もるように暮らしていたんでが、やることがないのでついテレビのワイドショーや雑誌が目に入ってしまうんです。自分に関するあることないことから、だんだんないことないことが書かれようになり、日本中の人が僕のことを嫌っていると思うようになったんです。すべてを失ってしまうことが現実のものになることは、想像以上の衝撃でした。自分を責め続け、どんどん自分を追い込んでしまいました。たまに親切に声を掛けてくれる人がいましたが、宗教の勧誘かネットワークビジネスの誘いでした。「金のカエル」の置き物も勧められました。「家の目立つところに置けば、明日から人生ががらりと変わりますよ」と言われましたが、十数万円という金額を聞いて断りました。そんな話ばっかりで、本当に人間不信に陥り、人に会うのが嫌になっていましたね。生活費も底を尽き、「俺はこの世にいないほうがいいんじゃないかと」とどんどん悪いほうに考えてしまうわけです。「おふくろも自死だったし、俺も結局はこういう結末なのかなぁ」と。

――そんなときに「ギャンブル依存症問題を考える会」代表の田中紀子さんと知り合った。

高知 田中紀子さんの名前は以前から知っていました。僕が逮捕された際に「ありがとうございます」と言ったことを、マスコミは「反省していない」「ふざけている」と叩いたんですが、田中紀子さんだけがSNSで「ありがとうございますという言葉は、依存症の当事者がホッとした気持ちと本当に終わったなという気持ちが混ざって出てくる、依存症者あるある言葉だ」と擁護してくれたんです。僕が日記代わりに呟いていたTwitterに、田中紀子さんが「会いませんか?」とダイレクトメールをくれました。でも、そのときの僕は人間不信に陥っていたから、「落ち着いてから」と返事を出したのに、すぐに「近くのレストランを予約しました」と連絡が来たんです。人の話をまったく聞かない、図々しい女性だなぁと(苦笑)。でも、その強引さが彼女ならではの愛情だったんです。本人も「ギャンブル依存症」だった過去の持ち主でした。多くの依存症当事者たちに会い、回復の成功例を見てきた彼女に対しては、初対面なのに会ったその日に7時間もずっと自分のことを話し続けることができたんです。すごく安心感を覚える一方で、また騙されないかなという不安もありましたね。

――田中紀子さんに勧められ、薬物依存症の人たちによる「自助グループ」に参加したわけですね。

高知 それも強引でしたね(笑)。半信半疑でした。田中紀子さんには自分のことを洗いざらい話すことができましたが、何で見ず知らずの人たちに自分のことを話さなくちゃいけないんだと。何の得があるのか分からなかった。自助グループに参加する本質が理解できずにいたんです。参加してしばらくは、芸能界にいた習性から、その場を盛り上げよう、楽しませようと話を盛ったりしていました。笑顔で参加していましたが、心の奥では芝居して、演じている自分がいました。でも何回か参加しているうちに、自分の体験をぶっちゃけて話すひとりの参加者の言葉に、すごく感動したんです。自分と同じように考えている人がいることが分かって、心が洗われるような感覚でした。気持ちよかった。それまでは弱さを他人に見せちゃいけないと思い込んでいたのが、自分の弱さを正直に打ち明けられている姿が、かっこいいと感じるようになったんです。それからは、他の人の話も耳に入ってくるようになりました。

――自助グループのメンバーから「高知さんの怒りの根源は、お母さんにある」と指摘され、激昂したこともあったそうですね。

高知 自分でも忘れようとしていた過去です。そこを他の人に触れられたことで、自分が考えている以上の反応をしてしまった。でも、自助グループの仲間たちと出会い、「12ステップ・プログラム」(アルコール依存症者のために米国の自助グループの創始者たちが知恵を出し合い、完成させた12段階のプログラム)についても知り、自分の過去を振り返ってみることにしたんです。自分が幼いころから持っていた道徳観は自分が勝手につくったものですが、それは歪んだ認知の中から生まれたもので、自分にとっての生きづらさにもつながっていたんです。その生きづらさから逃避するために、薬物に走っていた。僕にとって大切なことは、薬物を絶っていかにクリーンに生き直すかではなく、自分の歪んだ道徳観に向き合うことでした。僕ひとりでは決して気づくことはできなかった。でも、自分自身の認知の歪みに向き合うのは、とてもきつかった。薬物使用以前に、これまでの自分を思い返し「なんてサイテーな人間なんだ。生きている価値ないなぁ」と思いました。ありのままの自分を認めるのは苦しかった。逮捕された瞬間より、つらかったです。それまで自分を大きく見せようと懸命になっていたけど、それは全部うそなんだと。今では自助グループは自分が成長するための重要なプロセスとなっています。一生、付き合っていくつもりです。

豪華な顔ぶれが集まった「花の16年組」

――高知さんが執筆した短編小説集『土竜』を読みました。自身の複雑な生い立ちに小説執筆を通して真剣に向き合い、また家族や友人の目線に立って自分自身を客観的に見つめていることが印象に残りました。

高知 ありがとうございます。そう言ってもらえると、本当にうれしいです。母親のことを僕はずっと嫌いだったんですが、『アロエの葉』という短編小説を書くことで、母親の若いころについて想像をめぐらして考え、母親は不器用なりに僕のことを愛してくれていたんだと気づくことができました。『シクラメン』は実際に僕が通っていた小中学校にいた女の子をモデルにして、少し世界観を足して書いたものです。子どものころから、ずっと気になっていた記憶を見つめ直したものです。小説を書いているときは思い出したくない過去も甦り、泣くこともありました。でも、小説を書くことで素晴らしい友人がいたことも思い出せましたし、「ごめんなぁ」という気持ちも自然と湧いてきました。それに、自分なりにがんばって生きていた自分をようやく許せることができたんです。

――同期の自助グループの顔ぶれ(元プロ野球選手の清原和博、元うたのおにいさん・杉田あきひろ、元NHKアナウンサーの塚本堅一)が豪華です。

高知 豪華と言っていいのか……。これも田中紀子さんが命名してくれたんですが「花の16年組」と(苦笑)。いや、でも、うれしいですよ。2016年に薬物事件を起こした逮捕者ではなく、「花の」と呼んでくれたことで、前向きな気分になれます。同期のメンバーで励まし合って、サポートしあっています。苦しみを分かち合えた仲間たちのためにも、支え合える場所はこれからもずっと温めておこうと思っています。それが自分自身のためでもあるんです。

――改めて、高知さんにお尋ねします。「依存症」は克服できますか?

高知 依存症は回復できる病気です。ただし、1人では苦しまないでください。手を挙げて、「助けて」と堂々と言ってください。病気に罹(かか)ることは、恥ずかしいことじゃないです。世の中は叩く人ばっかりと思うかもしれませんが、そうじゃありません。理解してくれる人もいっぱいいます。僕が今日という日を過ごすことができているのも、そんな人たちのおかげなんです。

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映画『アディクトを待ちながら』
監督・脚本/ナカムラサヤカ プロデューサー/田中紀子
出演/高知東生、橋爪遼、宍戸開、升毅、青木さやか、中村優一、中山夢歩、下田大気、塚本堅一、武藤令子
製作/ギャンブル依存症問題を考える会
配給/マグネタイズ 6月29日(土)~7月5日(金)、新宿K’s cinemaにて公開
※初日舞台あいさつほか、連日イベントを予定
https://www.addict-movie.com/

●高知東生(たかち・のぼる)
1964年高知県出身。1994年にTVドラマ『西遊記』(日本テレビ系)で俳優デビュー。さまざまな映画、ドラマ、バラエティー番組に出演。2016年に覚せい剤と大麻所持で逮捕。2019年に「依存症予防教育アドバイザー」の資格を取得し、 依存症問題の啓発活動を始め、2020年にTwitterドラマ『ミセス・ロスト インタベンショニスト・アヤメ』で俳優復帰。自叙伝『生き直す 私は一人ではない』(青志社)や自伝的小説『土竜』(光文社)など作家としても活動している。

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