放射性物質を含んだ「黒い雨」を浴び、はしゃぐ子供たち 原爆の絵に込めた被爆者と高校生の想い

17回目を迎えた原爆の絵は、16の新たな作品が生まれました。
その中の1枚の絵を依頼した被爆者と絵に込められた想いを取材しました。

去年10月、原爆の絵を希望する被爆者と生徒が対面しました。
【黒い雨を浴びた被爆者・迫田勲さん(当時85歳)】
「迫田勲でございます。1938年生まれ85歳です」

初参加の迫田勲さん。黒い雨を浴びた被爆者です。
絵を担当するのは。

【持田杏樹さん】
「2年生の持田杏樹です」

迫田さんは、持田さんへ黒い雨を浴びた瞬間の絵を依頼しました。

【二人打ち合わせ】
「これが太田川。このあたりなんです」
「原爆が落ちたってことは何も知らずに」
「原爆という言葉を全然知らないですからね、突然」

迫田さんは、爆心地から19キロ。現在の安佐北区安佐町小河内地区の山中にいました。

【迫田勲さん】
「ぴかっと光ったんですね。一瞬ね。それからしばらくしてどんっていう鈍い音がした。爆風でですね。その山が大きく揺れた。まるで台風のようにですね」

幸い傷などはありませんでした。
何も知らず、そのまま山で子供8人で軍服の材料にする野草を集めていました。

【迫田勲さん】
「黒い雨にあったところはね、ここなんですよ。この上に窯をね、据えて、でここから火を炊く」

集めた野草を、大人が窯で蒸すのを見守っていたそのとき、黒い雨が降りだしました。

【迫田勲さん】
「どしゃぶりの雨がザーと降ってきた。それが当時危険だということは全然知らないものですから、だからこの辺をいっぱいびしょびしょにぬれたりですね」

原爆投下直後に降ったとされる黒い雨は、放射性物質や火災による「すす」を含む雨のことで、この雨を浴びた多くの人たちに健康被害の症状が現れました。
国は、被爆直後の調査で、図の赤い範囲を大雨地域として、援護対象区域に指定。住民を被爆者と認定しました。
その後、黒い雨はさらに広範囲に降ったとして調査や裁判が行われ、被爆者認定区域が拡大しました。これにより2022年、迫田さんも新たに「被爆者」と認定されたのです。

黒い雨にあって77年が過ぎていました。
迫田さんは60歳過ぎた頃、突然苦しみを感じ1カ月入院しました。
診断名は「甲状腺機能低下症」。以来、20年以上、薬を飲み続けます。
黒い雨との因果関係は断定も否定もできないと言われました。

【迫田勲さん】
「原爆の恐ろしいところですよね。そのときだけで終わらないからね。80年近くたった今でも多くの被爆者の方々が恐怖と死におびえている」

「2度と同じことが起きてはならない」
被爆者に認定されたのを機に迫田さんは、去年から、証言活動を始めました。

【迫田勲さんの証言】
「おそらく10年20年たったら、こういう証言者、生の声をお伝えする人はいなくなると思う。だから皆さん一人ひとりが伝承者として伝えていただきたい」

残された時間が限られる中、大勢にわかりやすく伝えたい。そこで自分の体験を絵にしてほしいと依頼したのです。

【二人打合せの様子】
「空をあおいでいた」

迫田さんが依頼したのは黒い雨と知らずはしゃぐ子供たちの様子の絵でした。
持田さんは、戸惑っていました。
今回で17回を数える「原爆の絵」。過去に描かれてきたのは…。
むごい場面ばかりです。

【持田杏樹さん】
「今までその恐ろしいとかそういう印象を与える原爆の絵と、なんか正反対ではないけど、はしゃいでいる様子を描いてほしいと言われて、なんか少し不思議な感じがあるので、どうやって今回の迫田さんが経験した黒い雨を表現していくのか。今回の原爆の絵の制作で一番考えないといけないことだなと」

2人は確認作業を重ねました。

【二人が話す様子】
「これをもう少し小さくして」
「色は黒で、これも茶色だと思う。窯に沿って道がこうあるわけ」
「空は少し見えたと思う」
「顔に打たれたときの雨の感触は?」
「あぶらっこくて、そして大粒で」

【持田杏樹さん】
「自分は小学生入りたての記憶も全然ないのに、迫田さんは鮮明に覚えていてやっぱりどれだけ原爆が人に与えた影響とか印象とかってすごく大きいものなんだなって。はしゃいでいる場面を描いてはいるが、この場面の後の生活とかを今までの証言とかも聞いて考えていると、原爆って本当に恐ろしいなと思います」

【迫田勲さん】
「放射線って目に見えないしにおいもないし、音もないし空気みたいにわからないんですよ。だけどそれが体の中に入ってくると悪さをする。だから私はそれを小さな「毒針」と言っている」

持田さんは、すべてを絵に込めました。
今月上旬、絵が完成しました。

(絵のタイトル)
『突然降り始めた「黒い雨」にはしゃぐ子供たち
~それが放射線を含んだ危険な雨と知らず~』

「ありがとうございました」

【迫田勲さん】
「私の中の記憶が見えるようになったと。これを見られた人が黒い雨がどういうものだったかをわかっていただけたらありがたいと思います」

【持田杏樹さん】
「この絵を見て奇妙に思ってほしい。今生きている私たちからしたら恐ろしいものだとわかっているのに、この絵の中では子供たちが逆にそれを自ら浴びるかのような動作をしていることを奇妙に思って、この絵の前で立ち止まってほしいなと思います」

これから絵は伝えていきます。
2度とこの空から黒い雨が降らないことを願って。

<参考>
●完成した絵は、迫田さんの被爆証言で使われるとともに、持田さんもこの絵とともに、発表をする場があり、様々な形での被爆伝承が行われていく。
●基町高校の原爆の絵は、今回が17回目。これまで191点。今回新たに16点が加わった。

© テレビ新広島