縮まらない“保護猫”との距離…人間へ威嚇をし続けた猫がふれ合いを許してくれた「簡単なきっかけ」

<前編のあらすじ>

夫が老衰で息を引き取り、妙子(77歳)は独りになって寂しくはあったが、もうしばらくしたらまた会えるのだから。と思っていた。

これまで夫の介護に忙しくしていたこともあり、妙子は生きる目的を失ってぼんやりと時間だけを浪費し続けていた。夫がまだ元気だったころ、2人でよく散歩をしたいつもの散歩道を歩いていると、前足をけがした三毛猫に出会った。

家に連れて帰ると、人間に怖い目にでも遭わされたのか、猫は妙子に敵意を剥き出しにしたが、妙子は動物園の職員として働いていた夫の真似をしているようで温かな気持ちを感じていた。猫に「ミー」という名前をつけ、怪我が治るまでのあいだは家で預かることにした。

●前編:夫に先立たれ“独居老人”となった77歳女性に突然訪れた「小さな生きがい」とは?

縮まらない距離

冬が終わり、春になっても、妙子とミーの心の距離はまったくと言っていいほど縮まっていなかった。キャットフードをあげて様子を見ても、妙子の視線があるとミーは決して動こうとはしない。しかし妙子が離れるといつのまにか食べている。ふれ合いを求めようと手を伸ばすと、触るなと言わんばかりにシャーッ! とこちらを威嚇してくる。とにかくとりつく島がなかった。

「ねえ、お嬢さん、せっかく私があんたを拾ったのも何かの縁だろう? もう少し気を許してくれたって罰は当たんないと思うよ?」

妙子は秀樹の持ち物だった書籍をひもで縛る。長らくそのままにしていた遺品整理を、妙子は最近になって再開していた。多少は動けるようになったミーがぶつかったりしてまたけがをしてはいけないと、家のなかを整理することにしたのだ。しかしミーは相変わらず、妙子に心を開くことはなかった。

思えば、秀樹は動物との接し方がとてもうまかった。他人の飼い犬や飼い猫ともすぐに仲良くなることができていた。簡単なコツを教えてもらっておけば良かったと後悔したが、そんなことは考えても仕方がないと自分なりにいろいろ試してみることにした。

ペットショップまで足を延ばし、さまざまな猫グッズを買いそろえてみる。まずはやはり猫じゃらし。妙子はミーに向かってピンクの猫じゃらしを振ってみせた。

「ミーちゃん、これ、好きだろう? ほら」

ミーは確かに今までにない反応を見せる。耳をピクピク動かして、大きく開いた目で猫じゃらしを追っている。この調子で遊んだりできるかもと期待したが、ミーはそれ以上の反応を示すことはなかった。それからも何度か根気強く繰り返してみたが、ミーは飽きてしまったのか反応を見せることすらなくなった。

『もしかしたら、前の飼い主に捨てられたのかもしれませんね』

ペットショップの店員が言っていたことを思い出す。もしそうなら、なかなか心を開いてくれないことにも納得がいった。

『怯えてるのかもしれませんから、無理せず、辛抱強く、お世話してあげてください』

妙子もそのつもりだった。傷つけられたままでいいはずがない。もちろん捨てられた事実をなかったことにはできないが、せめて妙子に拾われてよかったと思えるような時間を過ごしてほしい。

開けた窓からぬるい風が吹く。カーテンが揺れ、穏やかな陽光が差し込んでいる。

出会った日以来のふれ合い

「ミーちゃん、おやつ食べるかい?」

妙子はチューブタイプの猫用おやつをミーに見せた。梅雨に入ったと天気予報が言っているのに、妙子とミーの関係は相変わらずだった。

とはいえ、もうミーの前足はすっかり回復し、ごく普通に歩いたり、食卓に飛び乗ったりできるようになっていた。それでもこの家を出て行かないのは、それなりに気に入ってくれているということだろうか。そう思うと、素直じゃないところまでいとおしく感じられた。

「ほら、おいしそうだね~」

妙子はチューブから少しだけ中身を押し出し、ゆっくりとミーに近づけた。ミーは身体を起こして匂いを嗅ぎ、妙子を見上げた。妙子はほほ笑んでうなずく。もう安心していいんだよと伝えたかった。すると、ミーはお菓子をなめだした。

「あら」

思わず声が出てしまったが、妙子はミーを驚かせないよう慌てて口をつぐんだ。ミーはけがをしてない方の前足で妙子の手を押さえながら、器用にお菓子をなめている。

食べやすくするために本能的にそうしただけだったのかもしれないが、それは出会った日以来のふれ合いだった。

本当は「猫らしい」性格だった

その日を境に、ミーはまるで別人のように妙子になつくようになった。夕食の準備をしている妙子にすり寄ってきては、ミーミーと鳴き声を上げて甘えた。

「あんた、本当は甘えんぼさんだったのかい?」

妙子は頰を緩ませながらその場にしゃがみ、ミーをなでる。ミーはおなかを見せて寝転がった。秀樹から聞いたことがあった。動物がおなかを見せるというのは相手を信頼している証しらしい。妙子はうれしさをかみしめながら、ミーのおなかをさする。ミーがゴロゴロと気持ちよさそうな声を出していた。

しかし、ミーはある日突然姿を消した。

最初はどこか別のところで遊んでいるのだろうと思った。しかし朝食の時間になってもミーの鳴き声すら聞こえてこない。妙子はさすがに心配になり家中を探しまわった。だがミーはどこにもいなかった。

「外に出ちゃったのかも」

妙子はサンダルを履いて、外に出る。ミーが横たわっていた公園の茂みや町のなかを探し回る。何か危険な目に遭っているのではないかと不安に襲われた。足だってまだ治って間もないのだ。

耳を澄まして、あのいとしい鳴き声を探した。家の周りを歩いて回った。しかしミーの鳴き声はどこからも聞こえてこなかった。

ようやく仲良くなれたのに、こんなお別れはあんまりだ。

妙子は普段立ち寄らない路地裏まで足を伸ばした。そうすれば、ひょっこりとミーがかわいらしい顔で飛び出してくるように思えた。

妙子は体力の続く限り捜索を続けた。戻ってきてはくれないかと、玄関に猫じゃらしのおもちゃを置き、毎日の散歩も範囲を広げた。だが、妙子がどこまで歩こうともミーの姿を見つけることはできなかった。

妙子はまた独りになってしまった。いいや、元から独りだった。そもそもミーを置いていたのはけがが治るまでの期限付きのつもりだった。けがが治れば出て行く。それはミーにとっても、妙子にとっても、納得のできる結末のはずだ。妙子は寂しさを押し殺し、自分を納得させた。

しかしいなくなってから2日が過ぎ、3日が過ぎても、ミーの不在に慣れることはなかった。秀樹を失ったときのように、抜け殻になってしまったような毎日が続いた。

「甘えんぼだったのは、私のほうだったのかね……」

妙子は秀樹の仏壇に話しかける。返事が返ってくることはないと分かっているのに心が痛んだ。目のあたりが熱を持ち、視界がにじんだ。そのときだった。

みー、みー。

かすかに聞こえた鳴き声に、妙子は思わず立ち上がった。玄関を開けると、ミーが猫じゃらしをかんで遊んでいた。

「ミーちゃん……!」

妙子が抱きしめようとしゃがむと、ミーは何事もなかったかのように家に入り、リビングに向かっていった。そんな風に堂々と歩くミーの背中を見て、妙子は思わず笑ってしまった。

「何だい、まさかおなかがすいたから帰ってきたのかい? 現金なもんだよ、まったく」

笑いながらも妙子はミーのためにフードを準備する。こんな風に振り回される生活も悪くないなと思った。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

梅田 衛基/ライター/編集者

株式会社STSデジタル所属の編集者・ライター。 マネー、グルメ、ファッション、ライフスタイルなど、ジャンルを問わない取材記事の執筆、小説編集などに従事している。

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