【オリンピック珍事件】史上最も奇妙で混乱したマラソン 1904年セントルイス大会

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脱水症状や熱中症で完走わずか14人

1904年のセントルイス五輪で行われたマラソンは、オリンピック史上最も混乱し、奇妙な展開を見せた。灼熱の暑さ、ほこりっぽい未舗装の道路、そして選手たちの予想外の行動が相まって、まるでコメディ映画のような様相を呈した。

大会当日、気温は32度を超え、湿度も非常に高い状態だった。選手たちは過酷な暑さと乾燥した空気の中、40キロを走らなければならなかった。さらにコースの大部分が未舗装で、車や馬が通ることで巻き上げられるホコリが、選手たちの呼吸を困難にした。

レース中、多くの選手が脱水症状や熱中症に見舞われ、完走できたのはわずか14人。中には幻覚を見始めた選手もいたという。体調不良以外にも、南アフリカのレン・タウは犬に追いかけられてコースを外れ、1時間以上も逆走してしまった。

車でショートカットがバレて失格

しかし、このレースで最も驚くべき出来事は、優勝候補の一人だったフレッド・ロルズの行動だった。ロルズは途中で体調を崩し、9マイル地点で棄権。しかし、その後、彼は驚くべきカムバックを果たし、トップでゴールしたのだ。

ところが、祝福の声が上がる中、衝撃の真実が明らかになった。ロルズは実は、棄権後に友人の車に乗せてもらい、コースの大部分をショートカットしていたのだ。11マイル地点で再び走り始めた彼は、まるで何事もなかったかのようにゴールテープを切った。

この不正は、別の選手のコーチによって発覚。ロルズは失格となり、金メダルは3時間28分53秒で2位だったトマス・ヒックスに贈られた。

繰り上げ金メダルも“禁止薬物”

しかし、ヒックスの勝利にも疑問符が付いた。彼はレース中にストリキニーネ(当時は興奮剤として使用されていた)と卵白を混ぜたカクテルを飲んでいた。

ストリキニーネは現在は有毒物質として知られているが、当時は少量で使用すると興奮作用があると考えられていた。この物質は中枢神経系を刺激し、一時的に筋肉の反応を高め、疲労感を軽減する効果がある。これにより、ヒックスは長距離走に必要な持久力を維持し、他の選手よりも有利な状態でレースを進めることができたと考えられる。

さらに、ストリキニーネには痛覚を鈍らせる作用もあるため、過酷なコンディションの中でも身体的な苦痛を感じにくくなった可能性がある。

現代の基準では完全な禁止行為だが、当時はこうした「補助」が許容されていた。ヒックスの使用したストリキニーネは、今日のドーピング問題の始まりとも言える。

1904年のマラソン競技は、現代のオリンピックとは大きくかけ離れた、ある意味で荒唐無稽な様相を呈していた。しかし、この出来事は、後のオリンピックにおける規則の厳格化や選手の安全管理の徹底、さらにはドーピング対策の必要性を認識させる重要な教訓となった。

今日では笑い話として語られるこのエピソードは、オリンピックが真のスポーツの祭典として進化していく過程で、避けては通れない貴重な経験だったと言えるだろう。



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