【バイタルエリアの仕事人】vol.41 一森純|ガンバ躍進、日産凱旋で涙のワケ。JFLから全カテゴリーを経験、J1との明確な差は?

攻守の重要局面となる「バイタルエリア」で輝く選手たちのサッカー観に迫る連載インタビューシリーズ「バイタルエリアの仕事人」。第41回は、ガンバ大阪にレンタルバックした一森純だ。

大阪府出身で現在32歳の一森は、セレッソ大阪ユース、関西学院大学から、2014年に当時JFLのレノファ山口に加入。がっちりと定位置を掴み、正GKとして1年目のJ3、2年目のJ2昇格に大きく貢献した。

その後、同じJ2でもファジアーノ岡山に活躍の場を移し、ガンバのレジェンドでもある加地亮氏らとの共闘を経て、2020年にG大阪に加入。ついにJ1の舞台に足を踏み入れた。

しかし、絶対的存在で日本代表歴もある東口順昭からポジションを奪えず。2023年に横浜F・マリノスに期限付きで移籍すると、新天地で躍動。アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)でもゴールを守り続けるなど、充実の1年を過ごし、スケールアップしてG大阪に戻ってきた。

迎えた今季は、ライバルの東口が怪我で出遅れるなか、開幕からJ1全試合で先発。16位に沈んだ昨季と打って変わり、首位のFC町田ゼルビアと勝点差2で、3位と好調のチームを、最後尾から支えている。

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2023年は相当苦しかったと思います。帰って来て、チーム全体として変わろうという気持ちがすごく大きいなと感じました。そこに、「やってやろう」という気持ちの新加入のメンバーが上手く融合して、手を取り合ってやれているのは、好調の要因の1つだと思っています。

チームの調子はそこまで悪くない状態のなかで、個人としてはもっともっとコンディションを上げていきたいと思っています。

僕は特別に身体能力があるわけでもないです。だからこそ武器は、データで現われにくいようなところに気を遣って、勝利に導くところかなと。「一森がゴールマウスを守っていたらなんか勝つな」という、そういうプレーヤーを目ざしているので、そこがより強みになるといいなと思います。

昨年はJ1でセーブ率1位になりましたが、手応えはあまりないです。ないと言ったら語弊があるんですけど、どういう状況にあっても不安に駆られていて、「良い感じやな」「手応えあるな」っていう状況にはないです。

常に「もっと良くならないとやばい」という危機感で過ごしているので、生活していてしんどいし、手応えは別にないけど、逆にそれが良い方向に進んでいるのかなと思っています。

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昨季プレーした横浜に対して、強い感謝の思いを抱いているという。今季の第3節で日産スタジアムに凱旋し、サポーターに挨拶をした際、涙を浮かべていた姿は非常に印象的だ。

仲間思いで熱い男は、昨季の開幕直後に期限付き移籍をした経緯から、30歳を過ぎての武者修行で成長を感じる部分、古巣が果たしたACL準優勝への感想を伝えてくれた。

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ヒガシ君、(石川)慧、(谷)晃生(町田に期限付き移籍中)がいるなかで、年末にガンバから「来年もぜひ」と提示を受けて、ヒガシ君、慧、晃生がいようが、ガンバのために全てを出し尽くしてという思いで契約をしましたが…キャンプが終わってシーズンが始まる直前ぐらいにマリノスからオファーをいただき、ガンバにもかなり引き止めてもらったんですけど、ガンバが良い、マリノスが良いというわけじゃなくて、新しい環境に飛び込んだ方が成長するんじゃないかなと思って行きました。

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成長できた部分はもう全てです。ドラゴンボールでいう「精神と時の部屋」に行っていたみたいな感じですね。1年で数年分、成長したみたいな。当時32になる年で、自分自身、年は関係ないと思っているんですけど、ここまで関係なかったんやなと実感した1年でした。

マリノスのサポーターには感謝の気持ちしかないし、正直、心残りな部分も多いです。自分がもうちょっと頑張っていれば、一緒にチャンピオンになれたのにという思いや、来たての前半戦にすごい迷惑をかけたのに粘り強く応援してくれて、最後には『ずっといてくれよ』と声を掛けてくれるようになって。そういうことを考えたら、本当に感謝の気持ちでいっぱいで、挨拶に行った時も温かい声ばっかりだったので、思いが溢れました。

ACLの決勝トーナメントはいちファンとして応援していたので、めちゃくちゃ優勝してほしかったです。でも、それまで苦しい戦いをモノにしてきたのを目の当たりにしていたので、優勝してほしかった気持ちと、本当お疲れ様でしたという気持ちの両面でしたね。サポーターってこういう気持ちなんやなと思いましたね。

JFLでキャリアをスタートさせた一森は、J3、J2、J1と順調にステップアップ。だが、トップカテゴリーでは「日本を代表するゴールキーパーで、日々勉強させてもらえる存在」である東口の控えに甘んじ、試合に出られない状況が続いた。

当時は一体どんな心境だったのか。また、J1と下のカテゴリーでは、プレー面において、具体的にどんな部分で差を感じたのか。

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JFL、J3、J2と来て、J1はもう2つ、3つ上ぐらいの感覚です。J2とJ1は1個しかカテゴリーが変わらないですが、自分自身は下のカテゴリーでやっている時に大きな差を感じていましたし、移籍する時もそう簡単にはいかないと思っていました。

やっぱり個のクオリティは間違いなく違うし、シュートの選択肢が多い分、予測がしづらくて、キーパーとしては難しい部分は大きいのかなと思います。

気持ちの変化としては、当初は「自分だけが良ければいい」という完全に利己的な考えだったんですけど、そこからチームと共に昇格したり、色んな人の支えで自分があると学びながら進んでこられたおかげで、試合に出られていない時にどういう振る舞いをすれば成長できるか、チームのためにどうすればいいかを考えられるようになっていました。

だから、試合に出られていないなかでも少しずつ前に進んでいる感じはあったので、悲壮感は別になく、常に成長を追い求めてやっていた感覚です。

多くのカテゴリーを経験して伸びた部分は、やっぱり人間性や考え方だと思います。下のカテゴリーを経験したから、自分が素晴らしい人間というわけではなくて、下のカテゴリーには下のカテゴリーの良さがあって、すごい情熱を持った選手たちがいたし、色んな思いを背負って、厳しい状況の中でも上を目ざす気持ちなどを学べました。

自分がいざ、目ざしていた場所に到達したとしても、そこに満足することなくやり続けられるのは、下のカテゴリーを経験したおかげかなと思います。

一緒に戦ってきた仲間も、J1の舞台やビッグクラブでの選手生活を目ざしていたなかで、全員が一緒に行ければ良かったんですけど、周りには行けなかったメンバーもいます。そういう人たちの思いも考えられるようになっているので、そこはすごく大きいと思います。

※後編に続く。次回は6月30日に公開予定です。

取材・構成●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)

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