バレーボール石川真佑 マジメで恥ずかしがり屋な性格から“私が変われた理由”

6月14日、悲願のパリオリンピック出場を決めたバレーボール女子日本代表。ネーションズリーグ、予選ラウンド終了時の世界ランキングで出場権が決まった。さらに、決勝ラウンドでも中国・ブラジルを倒し、主要国際大会では10年ぶりのメダルとなる銀メダルを獲得の快挙を成し遂げた。

そんな今大会、チーム2位の総得点をたたき出した若きエースが、石川真佑・24歳だ。

彼女は今シーズン、初の海外挑戦に挑んでいた。
飛び込んだのはイタリア中部にある芸術の都・フィレンツェ。街中を歩いていると…。

石川真佑:
普通に街を歩いていても建物とかきれいだし、オシャレですね。

フィレンツェは、街全体が”屋根のない美術館”と呼ばれるほど、歴史のある建物が多いが…。

石川真佑:
私、中に入ったことないんです。

美術館も「外から見て終わり」なのだという。

ここでは何もかもが初めての経験。そんな彼女が日本を離れた理由、それは「自分を変えたい」その一心だった。

チームメイトは、「彼女はもっとイタリア人のように、私たちのように厚かましくなっていい」「真面目すぎる。もっと闘争心が欲しい」などと話す。

イタリアに渡った半年間で、心も技術も大きな変化を遂げた石川真佑。その成長の理由を探る。

真面目でストイック

男子日本代表のエースでキャプテン、石川祐希を兄に持つ彼女。そんな兄から見た、妹について聞いてみた。

石川祐希:
ストイックだと思います。僕以上に。能力は妹の方があると思っているので。

相手の守備を見極めて、丁寧にコースをついて打つ。それが石川真佑の持ち味。

長野・裾花中で全日本中学選手権優勝。東京の名門・下北沢成徳高校に入学すると、高校1年生ながらスタメンとして春高全国制覇。さらにU20世界選手権でも史上初の世界一に輝いた。

すべての礎は真面目な性格。2023年、日本代表の合宿でも・・・。

石川:
結構、私が最初(に来る)時が多い。それが普通。

こう語るように、毎朝一番乗り。毎日、練習開始の1時間45分前に来て、一人で準備運動。

そんな石川だが、自分を出すのが苦手で、どちらかといえば引っ込み思案。黙々と、淡々と、自分の道をきわめたいタイプだ。

それでよかった。あの瞬間までは。

初めて挑んだオリンピック

東京五輪、予選ラウンド突破に向けて負けられない韓国戦はフルセットの大激戦。最終セット14対13で先にマッチポイントをつかんだ日本。勝利をかけた最後の1本は、石川に託される。

しかし、これを決めきれず、同点に。その後も石川は決めきれず、逆転負け。

次戦のドミニカ共和国にも敗戦した日本は、25年ぶりの予選敗退。これが、彼女にとって初めての大きな挫折となった。

さらに追い打ちをかけるような大スランプ。

戻せない、歯車。自分を、許せなくて。

抜け出せないまま挑んだ、2023年9月のパリ五輪予選は、全試合控えスタート。

勝てばパリ五輪出場が決まる、最終ブラジル戦。石川は第2セットから出場した。

しかし、石川はここでも決めきれず、フルセットの戦いも、日本は敗戦。試合後には

石川:
結果が出なかったので、自信をもって出来たって言うのは難しいですね。強くなって、勝ちます。

パリへの切符は持ち越しに。石川は涙をのんだ。

覚悟のイタリア

その1週間後、石川はイタリアに渡る。とにかく「自分を変えたい」と。初めての移籍、初めての海外。成功できる保証はどこにもない。

まずは居場所を作ること。自分をわかってもらうこと。でも、それが難しい。もっと自分からとわかってはいるのに。

週に1度、石川はイタリア語の勉強を続けた。

自分から動かなければ何も進まない毎日。日本にいたときは寮で暮らし、食事は準備してもらえた。でもここでは、自分で買い物をして、自分で作って。

その中で、発見も。レシピは適当でも、食事は思った以上に大丈夫。

その変化は、コートでも。とにかく笑顔で意思表示。少しくらい文法が不正確でも、とにかくしゃべる。

一番近くにいたフィレンツェのチームメイトも、彼女の変化を感じ取っていた。

チームメイト:
彼女はシャイなので、昔は話しかけられるのを待っていました。でも最近は彼女の方から話しかけてくれるようになりました。

気が付くと、チームの輪の中に。

石川:
日本でも積極的にやって行かないといけないなと思っていますし、それで自分自身が主導的になって行くと思うので、やって行くしかないです。

イタリアは教えてくれました。力の抜き方と、切り替え方と。心の遊ばせ方を。

変化した心と技術

2024年3月。シーズンを終え、笑顔の帰国を果たした石川。すると4月の紅白戦では、以前とは見違える姿を見せた。

もともとは照れ屋なはずが、セット間に眞鍋監督からマイクを渡されると。

石川:
チャオ!石川真佑です!いつも応援ありがとうございます。

堂々たるあいさつで大役を全う。

日本代表の眞鍋監督は、石川のアタッカーとしての進化に気づいていた。

眞鍋監督:
石川、生き生きしていましたね。(イタリアで)常に高いブロックを前にして打っていますから、今までと違ったスパイクの打ち方を、本人はマスターしたんじゃないですかね。

身長174㎝と小柄な彼女は、イタリアで相手ブロックにスパイクを当てて意図的にボールをコート外に出す“ブロックアウト”の技術を徹底的に極めました。

石川:
(フィレンツェの)監督からもブロックアウト狙えと言われた。この身長でやっていくのに必要なところも試合の中ですごく感じたので。

世界の高さと戦うすべを見つけた石川。イタリアでの大活躍がその証。彼女は、ブロックアウトを武器に、リーグ10位の総得点をあげた。

石川:
何かのきっかけがあったとかじゃないですけど、今までだったらうまく行かない時になったら、それをどうにかして変えなきゃ、と思うけどうまく行かない。
自分がそれを意識しすぎて、逆にから回しして出来ないっていうのがありました。今はそうなったときに自分がしっかり割り切って、次こうしたらいいやとか、次に次にっていうのが前向きに考えられているから、すぐ切り替えができているなっていうのはあります。
変わりましたね。

2024年のネーションズリーグでは、15試合中14試合でスタメン出場。予選の福岡ラウンドでは、フルセット負けを喫したカナダ戦で途中交代した石川。

それでも、試合後の取材では「すぐ切り替えたい」と話し、次のセルビア戦ではチーム最多の17得点と有言実行。すぐに結果を出した。

準決勝の相手は、パリ五輪でも対戦が決まっているブラジル。またもやフルセットの大激闘に。

ここで、石川は最後の1点をブロックアウトでもぎ取り、日本を決勝に導いた。

6月24日、銀メダルを手に帰国した石川。

石川:
自分自身も最後1点を取り切ることができて本当に良かったです。あの場面で最後自分に(トスが)回ってきましたし、そこで点を取り切れたというのは、自分自身が成長できたことを感じるプレーでした。
これがパリのいい結果につながるようにやっていきたいです。

石川真佑は誰よりもわかっている。これはまだ、夢の途中であることを。新しい自分が完成するのは、きっと、パリオリンピックの舞台。

パリ五輪の組み合わせ・試合日程が決定

パリ五輪のバレーボール女子の組み合わせ抽選会が行われ、世界ランキング7位の日本はB組に入った。

初戦は4位のポーランドと日本時間7月28日(日)20時から。第2戦は1位のブラジルと8月1日(木)20時から。そして第3戦は20位のケニアと8月3日(土)20時から戦うことが決まった。(世界ランキングは6月17日時点)

1次リーグは12チームが3組に分かれて総当たりで争い、各組上位2チームと3位のうち上位2チームの計8チームが準々決勝に進む。

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