裸足の英雄アベベ・ビキラと1960年ローマ大会の伝説【オリンピック珍事件】

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裸足で走り抜き、世界新記録で金メダル

1960年9月10日、ローマの夜空の下で行われたオリンピックマラソン。この日、一人のエチオピア人ランナーが、オリンピック史に残る伝説的な勝利を収めた。その名はアベベ・ビキラ。裸足で42.195キロを走り抜き、金メダルを獲得したのだ。

アベベ・ビキラの物語は、オリンピック参加までの道のりから既に非凡だった。彼はエチオピアの皇帝親衛隊の一員だったが、オリンピック代表選考会では補欠として選ばれたに過ぎなかった。しかし、本命の選手が負傷したことで、急遽アベベ・ビキラが代表に選出された。

ローマに到着したアベベ・ビキラは、靴の問題に直面した。主催者から提供された靴が足に合わず、不快感を覚えたのだ。そこで彼は大胆な決断を下す。なんと靴を履かずに、裸足で走ることにした。

レースは夕刻に開始。暑さを避けるためだったが、それでも気温は20度を超えていた。コースはローマの歴史的建造物を巡るもので、カラカラ浴場やコロッセオなどを通過した。

スタートからアベベ・ビキラは好調だった。序盤こそ先頭集団の中にいたが、徐々にペースを上げていく。30キロ地点で先頭に立つと、最後の難関であるアッピア街道に差し掛かる頃には2位との差を広げていた。

アッピア街道は古代ローマ時代の石畳で、靴を履いていないアベベ・ビキラにとっては特に過酷なはずだった。しかし、彼はまるで苦痛を感じていないかのように走り続けた。むしろ、石畳の感触を直接足裏で感じ取ることでバランスを保ちやすく、裸足であることが有利に働いたようだ。

ゴール直前、マラトナの塔をくぐったアベベ・ビキラは最後のスパートをかけた。世界新記録となる2時間15分16秒でゴール。2位のラディ・ビン・アブドゥルサラム(モロッコ)に25秒差をつけての優勝だった。

アフリカ全体に誇りと自信もたらす

アベベ・ビキラの勝利は、単なるスポーツの勝利以上の意味を持っていた。

当時、アフリカ諸国の多くが独立を果たしたばかりで、国際舞台での成功を渇望していた。裸足のアフリカ人ランナーが、古代ローマの遺跡の中で勝利を収めたことは、アフリカ全体に大きな誇りと自信をもたらした。

興味深いことに、アベベ・ビキラは自身の勝利について淡々と語ったと言われている。

「私はローマを征服するためにエチオピアから来た。私の祖先がそうしたように」という言葉は、エチオピアの古代王国アクスムが一時期ローマ帝国の衰退に乗じて勢力を拡大したことを示唆している。

4年後の東京五輪は靴を履いて2連覇

アベベ・ビキラの裸足での勝利は、スポーツ用品メーカーに衝撃を与えた。高価な靴を履かずして世界記録を更新したことで、靴の必要性に疑問が投げかけられたのだ。しかし同時に、裸足ランニングの可能性にも注目が集まった。

アベベ・ビキラの偉業は、彼の競技人生の始まりに過ぎなかった。4年後の東京オリンピックでは、今度は靴を履いて再び金メダルを獲得。2大会連続のマラソン金メダリストとなった。日本では「裸足のアベベ」として語り継がれている。

1960年ローマ大会の裸足の勝利は、オリンピック史に燦然と輝く名場面。それは単なるスポーツの記録ではなく、人間の可能性と精神力の証明でもあった。アベベ・ビキラの名は、今もなお多くのランナーたちに勇気と希望を与え続けている。



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