女優・柚希礼音「あなたが受かったおかげで努力をしてこられた方が一人落ちている」宝塚トップへの転機となった両親のひと言と“天性の役”である理由

柚希礼音 撮影/有坂政晴

歴史ある宝塚歌劇団において、6年にも渡りトップスターの座を務めた柚希礼音。その華のある男役の姿は、いまも語り継がれている。宝塚退団後は、ミュージカルやコンサートを中心に幅広い役柄に挑戦。ファンを魅了し続ける当代きってのスター、柚希礼音の人生の転機とは?

背筋をピンと伸ばした姿勢で、颯爽と現れた柚希さん。まるで舞台の上のような振る舞いに、取材陣も息をのんだ。男役として長年、舞台に立ち続けた柚希さんだが、子どものころは虚弱だったという。

「実は、子どものころは身体が弱かったんです。でも、少林寺拳法を習ったことで、だんだんと強い身体になっていった。周りから“将来は少林寺拳法で日本一”って言われていたのですが、ずっとクラシックバレエに憧れていました。仲の良かった友達が、クラシックバレエを習っていて、私も興味があったのです。でも少林寺以外の習い事はすぐ辞めてしまっていたので、親から“飽き性だからバレエはダメ”って言われて、習うのを1年間我慢しました」

それまで習ったことがなかったバレエだが、柚希さんのバレエへの情熱は消えなかった。

「1年たってもバレエをやりたいという気持ちが強かった。そこで、ようやく親も折れてくれて小学校3年生から習い始めました。周りよりは遅いスタートだったのですが、始めてから2年後にはコンクールで入賞しました」

柚希さんといえば、バレエで鍛えられたしなやかな肉体から繰り出されるダイナミックなダンスが魅力だ。

「他の習い事はすぐに飽きてしまっていたのに、バレエだけは毎日通ってのめり込んでいきました。通っていた教室は、コンクールなどでも入賞する人が多く、とても上手な人がたくさんいるバレエ教室だったので、楽しみながらも毎日クタクタになるまで稽古してました」

両親の勧めがきっかけで宝塚への扉を開くことに

自分から習いたいと言って始めた、クラシックバレエ。それが柚希さんの人生をどんどん変化させていった。

「中学は帰宅部で、来る日も来る日もバレエの練習をしていました。高校もバレエ推薦で進学しました。将来、何になりたいかって考えたときに、アメリカン・バレエ・シアター(注:ニューヨークに拠点を置く、世界最高峰のバレエ団)のテストを受けようって思いました。
高校2年生のときに受験に向けて準備をしていたところ、両親は“海外のバレエ団で成功するのはほんの一握りの人だけ”ということも分かっていて、体型的にもバレリーナには向いていない私を、なんとかやる気をなくさずに踊れる道はないかといろいろ調べてくれて、宝塚を勧めてくれたんです」

柚希さんは入団するまでは、宝塚に興味があまりなかったという。

「それまで両親も私も、宝塚の舞台を見たことがなかったのですが、“バレエのコンクールで3位以内に入賞ができなかったら宝塚を受ける”という約束をし、受けることに。せっかく受けるのだからと、初めて宝塚を見に行ったらすごく感激して。そこから受験に必要な歌も習い始めました。試験まで2か月余りでしたが、その間は必死に練習をし、なんとか合格をいただきました」

毎年合格者が40人という、倍率10倍以上の狭き門をくぐり抜けて、柚希さんは宝塚音楽学校に入学した。

「自分でも合格をいただいたときはびっくりしました。でも宝塚の事をあまり知らなかったので、最初はカルチャーショックが強すぎて、“向いていないかもしれない……”と弱気になりました。辞めたいと思ったときに、両親に“あなたが受かったおかげで、すごく努力をしてこられた方が一人落ちている。その人のためには初舞台までは頑張りなさい”って言われた。そうやって毎日、稽古を続けるなかで、だんだんと宝塚が好きになっていきましたね」

宝塚音楽学校時代は、寮には入らずに、大阪府大阪市の自宅から通っていたと話す。

「私の学年は遠方から入った子が多かったので、私も寮に入りたいと言いましたが、満員で、大阪市から通うことになりました。クラシックバレエでも上下関係はしっかりとしていて、先輩方からいろんなことを教わっていた。でも音楽学校では、バレエとは違う舞台に立つために大事なことをいっぱい教わるので、本当に驚きました」

天性の“男役”である所以(ゆえん)

柚希礼音 撮影/有坂政晴

戸惑いながらも、必死で周りについていこうと思っていたという柚希さん。毎日が新鮮だったという。

「芝居だけではなく、歌のレッスンも大変でした。声楽では『コールユーブンゲン』(注:声楽の教本)をやるのですが、それまでカラオケしか歌ったことがなかったので、歌の基礎からきちんと教えていただき、毎日が猛勉強の日々でした」

柚希さんは、最初から男役を目指していたのではないという。

「“男役で”というのは、身長で決まりましたね。身長が172cmあり、背が高いので男役でという分け方でした。バレエを習っていたころは、わざと身を縮めてみたり、華奢に見せようとしてきたんです。それが宝塚に入ったら、この肩幅や大きめの手も男役の場合は全部良いって言われたんですよ。“みんなは肩パットを入れて大きく見せているのに、あなたは肩パット入れなくても形がいい”なんて言われましたからね(笑)。
あとはなによりも、自分が男役を演じるということが最初は上手くできなかった。私は踊りたくて宝塚に入ったので、芝居の授業になると“こんなセリフ、恥ずかしくて言えません”って思っていました」

現在の柚希さんの姿からは意外だが、バレエ以外はすべて音楽学校に入学してから学んだため、思うような成績が出せなかった。

「お芝居と歌は、成績も下のほうでした。でも音楽学校は、バレエやタップ、日舞とかダンスの試験が多い。だから試験では、良い成績だったんです」

最初は親の勧めで受験した宝塚だったが、音楽学校に入学してからは、どんどん魅力にとりつかれていった。

「音楽学校のときにすごく仲が良かった同期が、『歌劇』や『宝塚 GRAPH』(宝塚の情報誌)を見ながら、”この方は? ““花總まりさん”と、俳優さんの名前当てクイズを出してくれて、それからどんどんハマっていきました。当時はまだ先のことがみえていない状況だったので、その時にやっていることが楽しい感じでした。だから自分がトップになりたいだなんて、到底考えてもいなかったです」

明るい口調で、宝塚時代を振り返ってくれた柚希さん。ソファに座る姿ですら、絵になっていた。その何事においても全力で振る舞う姿勢から、プロとしての覚悟を感じた。

柚希礼音(ゆずき・れおん)
大阪府出身。俳優。1999年85期生として宝塚に入団。初舞台後、星組に配属。新人公演や主演を重ね、‘09年に星組トップスターに就任。6年に渡りトップスターを務めた。’15年5月に退団後も、ミュージカルやコンサートなど精力的に活動。第30回松尾芸能新人賞、第65回文化庁芸術祭賞演劇部門新人賞、第37回菊田一夫演劇賞を受賞。退団後の主な出演舞台に『COME FROM AWAY』、『LUPIN~カリオストロ伯爵夫人の秘密~』『マタ・ハリ』など。‘24年8月には、今年で開催5回目を迎える『REON JACK5』の公演を控えている。

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