能登牛や揚げ浜式製塩、特産守る 地震発生から7月1日で半年

(写真上)石川県産ブランド牛「能登牛」を肥育する池崎さん。「早く牛舎を建て替え、能登のために安定供給していきたい」と語る=石川県能登町・池崎牧場(写真下)能登の伝統技術「揚げ浜式製塩」で濃縮された海水を釜で煮詰め、塩に仕上げる真酒谷さん=石川県珠洲市・珠洲製塩

 能登半島地震から半年となる中、石川県内では依然として一部で通行止めが続き、観光業に影響が出ている。観光業を支える地場産業も復興の途上で、畜産や伝統産業に携わる関係者は「観光が復活し、多くの人に来てもらいたい」と切実な思いを語る。

 ブランド牛「食べに来て」

 「多くの人に食べてもらえるよう、価格を安定させたい。被災した牛舎を建て替え、出荷頭数を増やしたい」。石川県産ブランド牛「能登牛(うし)」を生産する池崎牧場(能登町)の池崎泰志さん(35)は、叔父の宏行さん(72)と2人でブランド牛の安定供給と消費拡大を目指している。

 6棟ある牛舎のうち20頭ほど入る1棟が損壊し、雨漏りで肥育を続けることが困難となった。現在は約80頭を肥育して年間30頭前後を出荷しているが、牛舎の被災によって年間出荷頭数が数頭ほど減ったという。別の牛舎に牛を移動するため出荷を2カ月ほど早めたりする対応も余儀なくされた。被災した牛舎は公費解体される予定だが、解体と建て替え時期は未定で、先の見通せない状況は続く。

 能登牛の出荷頭数は少なく、ほぼ石川県内の飲食店や旅館で消費される。このため観光客の増加がブランド牛の消費拡大につながると期待する。被災して廃業を決めた同業者もいる中、池崎さんは「ブランドを守っていきたい。そのために観光客や県外の人に食べてもらいたい」と前を向く。

 揚げ浜式製塩「伝統絶やさない」

 能登半島の最北端で古来受け継がれる「揚げ浜式製塩」にも影響が出た。工場が被災した珠洲市にある珠洲製塩の山岸順一社長(88)は「従業員の生活を守り、伝統の灯を絶やさない」と懸命だ。

 珠洲製塩は生産拠点の第2工場の釜や煙突、屋根が被災した。復旧作業を進める中、2月14日に難を逃れた第1工場で塩作りを再開した。珠洲の伝統産業でありながら、塩作り工程を体験見学できる観光業の側面も持つ。新型コロナウイルス禍で観光客が減少していた中での被災。主要道路の通行止めも重なり、復興への道のりは厳しいが、山岸社長は「お客さんに珠洲の塩を届けたい」と強い思いを語る。

 一方、うれしい悲鳴もある。輪島市の自宅が全壊し、住み込みで働く真酒谷(しんざかや)淳志さん(29)は「この半年で6年分のネット注文を全国からいただいた。応援してもらい、ありがたい」と感謝する。

 天候を読んで海水をまき、火の調整が必要な釜炊き作業。時間と手間をかけて生まれた塩は歯応えがあり、程よい塩味と甘みがある。真酒谷さんは「地震でなり手がいなくなり、産業が消滅する可能性もある。この塩を守っていきたい」と釜を見つめた。(記事と写真ともに報道部写真映像課・石井裕貴)

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 能登牛 石川県内で肥育されている黒毛和牛で、きめ細かい肉質と上質な脂が特徴。同一基準で格付けされた肉質、肉色などの優れたものを県内の肉用牛関係団体で構成された能登牛銘柄推進協議会が認定し、「能登牛証明書」を発行している。県全体の2023年度出荷頭数は1257頭だった。

 揚げ浜式製塩 海水をくみ上げ、砂の塩田にまいて塩分濃度を上げ、釜で煮詰めて塩を作る製法。伝統技術は約1300年前から絶えることなく受け継がれ、藩政期には能登の重要産業として奨励された。国の重要無形民俗文化財に指定されている。

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