44歳の専業主婦、パク・ヨンハの急逝で韓国語を勉強→51歳で字幕監修者に「自分で稼いだお金で墓参りできたことは、私にとって大きな意味がありました」

ヨンハのスクラップブックや本誌の追悼増刊号を持参してくださった花岡さん。ページをめくるたびに笑みがこぼれていた(撮影:加治屋誠)

主婦から51歳で字幕監修者に。“推しに出会って運命が変わった”彼女の人生に迫る。

その後の成長は目覚ましかった。

勉強を始めてから3年後、教室の先生の勧めで弁論大会に出場。「韓国と恋に落ちた私」という題名で4分間のスピーチを行い、14人中、3位の成績を収めた。

「ふだんの生活にどのように韓国を取り入れているかといった内容で、〈犬にも韓国語で話しかける〉といった話をしながら、日韓が理解し合えたら、と締めくくりました。最後の発表者だったので、ものすごくドキドキしていたのですが、本番は、まるで天使が降りてきたみたいに夢心地で、楽しかったんです」

転機は、なにげなく受講した映像字幕の会社の公開講座。初めて字幕翻訳を付ける経験をした。

「1秒につき4文字などの字幕のルールがあり、自分で秒数をカウントしながら、字幕翻訳を付けていく。これがすごく面白くて、韓国語を仕事に生かすことを考えるきっかけになりました」

もっと実力を伸ばしたい。そう考えた花岡さんは、地元・埼玉の教室をやめ、東京の在日本韓国YMCAに転校。講師に押し切られる形で最上級クラスに入ることに。

「授業は全て韓国語で、講義の内容も政治経済や歴史など、濃いものでした。関心のないことになると、てんで言葉が理解できず、授業についていくために泣きながら予習をしていました」

でも、不思議と勉強が嫌になることはなかった。

「この背伸びでだいぶ鍛えられ、力がついた実感もありました」

1年後、字幕制作会社が開催する映像翻訳講座を受講し、修了試験では1位を獲得。

「私以外の参加者は全員、すでに字幕翻訳の仕事をしていたので、まさか自分が1位になるとは」

自信をつけた花岡さんは、韓流コンテンツ配給会社の大手、コンテンツセブンの求人に応募。高倍率のなかで採用が決まった。

当時51歳。会社勤めの経験のない自分が、なぜ高倍率のなかから選ばれたのか。

「採用が決まったときはとても驚きましたが、おそらく、日本語力だけでなく、言葉の組み立て方や選び方なども評価されたのかなと思っています」

そして、人生初の会社員生活がスタート。

「仕事のことよりも、毎日の通勤電車が心配でした(笑)」

と振り返ったが、当時の日記にはこうつづられていた。

《今日から3連休。入社して1ヶ月、ずいぶん仕事(パソコン)も覚え、監修作業はめっちゃ楽しい。

赤坂を歩くとき、なぜここを歩いているのか なぜここを歩けるのか 思う。それは採用されたからであり、ここに入っていいよと席を準備されたから。それは 本当に自分の力でつかんだもの。だから、歩くたび とても楽しい》

自分の“居場所”を得た花岡さんは、見習いからすぐ一人前の字幕監修者へと成長。採用試験時に、エクセルという言葉自体初耳で、町のパソコン教室に「エクセルって何ですか?」と駆け込んだことも笑い話となった。

そして’19年11月、韓国の盆唐メモリアルパーク(京畿道城南市)を訪れた花岡さんは、墓地の入口の花屋さんで購入した小さな花束と、ヨンハと飲もうと用意した焼酎を手に墓へと向かった。

ようやく彼の眠る地を訪れることができた喜びで、坂道を上る足取りも軽かった。

「韓国人のファンが先客でいたんです。その方はお祈りをしたり、枯れ草を摘んだりと、なかなか立ち去る様子がない。

15分ほど待って、『私もお祈りをしてもよろしいですか』と声をかけると、すぐに譲ってくれたのですが、今度は、お墓の横で携帯電話をかけ始めて、病院の予約がどうのこうのと。さらには、通りがかりのおじさんたちにも声をかけられて……」

静かな墓前でしっとりとヨンハに語りかける自分を想像していたが、この予想もしていなかった展開に「何か違う!」と心の中で叫んだ。

「それでも、なんとか気を取り直して挨拶をしました。墓碑のヨンハの写真に向かって、『とうとう来ました。ありがとう』と手を合わせました。

そして、ますます大きくなる電話の声をよそに、持参した焼酎をお墓にかけて、自分も飲み、ヨンハと一緒に焼酎を飲むという夢がかなえられました」

念願の墓参りは、思いもよらずにぎやかなものとなったが、「ヨンハも噴き出しているだろうな」と、天国の彼に思いをはせた。

「2人の息子の子育てもあり、ヨンハが亡くなってから9年もかかってしまいましたが、字幕監修者として自分で稼いだお金で墓参りできたことは、私にとって大きな意味がありました」

■勉強はつらかったらやめていい。「好きだから、“ついやっちゃう”が大事です」

最近、花岡さんは、

「勉強が続く秘訣はなんですか?」

と聞かれることが増えたという。

しかし、花岡さん自身、常に伸び悩みもある。それでも続けられるのは、やはり、「好きだから」。

勉強も、仕事も、モチベーションを上げるためには、好きと感じる気持ちがいちばん大事だ。だからこそ、あえて言う。「つらかったらやめてもいい」と。

「人って、好きだったらどんなにできなくてもやると思います。つらいと感じるのは、おそらく、それが好きではないからで、自分が楽しみながら打ち込めるものを探すべきだと思います。

というのも、昨年、趣味でチェスを始めたんです。面白いのでどんどん探究心が湧くし、時間があるとつい遊んでしまうのですが、それは好きだからで、この“ついやっちゃう”が大事なんですよ」

まさに、好きこそ物の上手なれ。

好きなドラマを繰り返し見るのもおすすめの勉強法だ。

「ふだん、家事をしているとき、ずっと韓国ドラマを流しているんですが、30~40回、同じドラマを見ているうちに、セリフや役者さんの表情をマネできるようになるんです。きちんとしたシャドーイングとは別ですが、口マネしているうちにセリフを丸暗記。ふとしたときに言葉が出てきて、『使えた!』ということもあります」

長らく苦しめられたうつ病も、仕事を始めて2年が経ったころに寛解。働くことを反対していた夫はというと、こちらも渋々ではあるが、認めてくれている様子も。

「働き始めた当初、『俺の前で疲れたと言うな』と言われましたが、韓国語でぼやくようにしていたので、それがよかったみたい(笑)」

と笑顔の花岡さん。

苦しいとき、常に味方でいてくれた子供たちも、いまは社会人。2人とも、夫の実家に言われるがままに国立へ進学することはなかった。長男は、自分のやりたい神学の学部に絞って合格。それぞれに目指す道を力強く歩いている。

昨年、長男の結婚が決まった際には、両家の顔合わせを横浜ランドマークタワーで行った。

そこは、20年前の’04年6月、ヨンハの日本デビューアルバム『期別』発売記念ショーケースが行われた思い出の地。場所を選んだのは長男夫婦だったが、その偶然にヨンハとの絆を感じたという。

「彼の生前には、直接本人を見ることができませんでした。でも、遺された出演作品や映像、インタビューなどの活字から、ヨンハの誠実さや飾らない人柄、成長のために惜しまない努力などをひしひしと感じ、いっそう大好きになりました」

なかでも、忘れられないヨンハの言葉がある。

「僕の小さな願いは、みなさんが元気でいること、少しでも幸せになれるように頑張ること、時が経っても夢をなくさないこと、それだけです……」(パク・ヨンハsummer concert 2005より)

その言葉を思い出しては、自分を奮い立たせ、努力を重ねてきた。

そして、こうして自分が世間に出ることで、ヨンハを知る人もいるかもしれない、と花岡さん。

取材日は、あいにくの天気だったが、「雨男のヨンハが会いにきてくれたんですよ」と言いながら、うれしそうに空を見上げた。

(取材・文:服部広子)

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