帰宅すると、知らない人が家で寝ていて…24時間『鍵を開けて自宅を開放』していた男性。理想のコミュニティを追究する若者に迫る

日常屋さんを名乗り、人々に多様な日常を提供するというライフワークに取り組む北祐介さん。自宅の住み開きや移動式実家、メタバース上の架空都市など活動はリアル・バーチャル問わず多岐に渡る。

1995年生まれで福岡県出身の北さんは、高校時代演劇部での活動に注力し、多摩美術大学に合格。演劇の道を志した。しかし、入学直前にこのままでいいのだろうかと疑問を持つ。

「正直、勉強したくないという程度の気持ちで進路を考えていたところもありました。母からも、あなたは本当に演劇をしたいのかと問われてしまいます。悩んだ結果、居場所がなかった高校時代を踏まえ、日本の教育に対して強い気持ちが芽生えました」

浪人を経て、立教大学文学部へ進学。教育学を勉強することになった。塾講師をしたり、教育系NPOで活動したりしながら、最強の先生になりたいと考えた。しかし、大学2年生の頃に考えが変わる。

「教育に対する疑念が湧きました。どんなに素晴らしい教育をして子どもを育てても、出て行く先の社会に受け皿がないとダメだと思ったんです。新しいものを生み出せる力をつけても、社会では言われたことをきちんとやることが求められている。そこから、社会を変える手段として、コミュニティ作りに関心を持ちました」

自宅でワークショップをしている様子

東京都板橋区で当時一人暮らしをしていた北さん。もともと、料理を作るのが好きで、友人を自宅に招いて食事会のようなことをしていた。また、ワークショップを開発するために、さまざまなワークショップに自らも勉強で参加していたとき、ある方が自宅でワークショップを開催していたという。

「自宅ってこんなふうに活用できるのかと思いました。そこで自分もやってみようと。好きな料理と合わせて、ちょうど塾で社会の担当だったので、食べる地理講座を始めました。これがとても好評でしたね」

そこから北さんが始めたのが住み開きだ。自宅を一般開放することである。当初は地理のワークショップ会場だったが、休学して福岡に帰郷したときには、社会を変える新しいアイデアを作るワークショップの場として自宅を開放した。その後、半年間だけ卒業のために復学するも、短い期間のために家を借りるのが面倒でホームレス生活をした北さん。その後、都内のPR会社で働くことになり、改めて関東で自宅を借りた。そこで住み開きを再開する。

関東で住み開きしていた時の様子

「今度は、24時間365日自宅を開放しました。住み開きの究極形態ですね。家に鍵をかけず、誰でもいつでも入っていい。自分がホームレス生活をしていたときに欲しかった空間を作りました。自宅の扉が開いて、初めましてってことは何度もありました。夜中に知らない人が入ってくることも、誰かが自宅で寝ていてそこに自分が帰宅することもよくありました。自宅の中の家具や備品はすべて貰い物で、壊れても盗まれてもいいかと思っていましたが、そもそも盗まれませんでした。主に、上京して何かするぞっていう若者が集まりましたね。旧Twitterでの告知や、当時の勤務先の社長の紹介、同じように住み開きをしている仲間からの紹介なんかで1年間に100人くらいが来ました。諸経費は月500円のファンクラブをオンラインで作り、賄いました。もちろん寛容な大家さんだったからできたことです」

退職後、知人から奈良の山奥の古民家を譲り受け、そこでも田舎でゆったり過ごしたい人向けに住み開きを続けた北さん。しかし、結婚を機にパートナーから反対され、3年間ほど住み開きはお休みしていた。しかし、離婚が転機となる。

「離婚することが決まり、でもしばらくはまだ同居する予定でした。でもせっかくなので住み開きを再開したいと思いました。そこで、自宅ではなく外でやればいいかと思い、移動式実家というものを始めました」

移動式実家

自家用車に、寝袋と板を組み合わせて作ったお手製のこたつを積み込み、時には予告して、時にはゲリラ的に許可を得て公園や駐車場などの路上にコタツを置く。その場違いさに立ち止まる人々に、お茶やみかんを出すという活動だ。1年間で、福岡、大阪、静岡、東京など各地で行った。

「なんなんですかこれは!と驚かれましたね。通りすがりの方だけでなく、場づくりに興味のある方がわざわざやってくることもありました。路上での予期しない出会いが面白かったです。実家らしきものが醸し出す不思議な安心感が心の距離を近づけてくれました」

このようにリアルな場でのコミュニティ作りに取り組んできた北さんだが、新型コロナウィルスの感染拡大の影響を大いに受けることになる。そこで取り組んだのが、バーチャル自治体という新しいスタイルでのコミュニティ作りだった。

令和市の街並み

「コロナ禍で新しい人との出会いがなくなり、既存の人間関係の殻に閉じこもる状況に問題意識を持ちました。そこで、何の特徴もないコミュニティを仲間と共にインターネット上に作ることにしたんです。名付けて仮想自治体『令和市』です」

メタバース空間に半年間限定の架空都市を作った北さん。毎年1月10日に活動を開始し、7月24日にすべて壊してしまうというルールだ。人間の四十九日のように、破壊して1ヶ月後には葬儀も行う。参加者は匿名で、翌年参加する場合は名前を変えて参加する。

「解散せずに一つの場所に人が留まり続けると、新しい人が参入しにくくなります。そこでこのルールを作りました。破壊してからは令和市の話題を一切出さないのもルールです。コミュニティの特徴を聞かれても、表現に困るくらい多種多様な方々が集まりました」

初年度は架空都市に路線図を作り、参加者が好きな場所に住所を作りバーチャルな自宅を構えたという。公民館や市民大学、郵便局に文化センターなど参加者たちによって次々と生まれていった。浅草のゲストハウスや三軒茶屋のシェアハウスを基盤とした現実社会にあるコミュニティともコラボし、令和市上にそれらのバーチャル版コミュニティを作る取り組みも行った。

「架空都市を作りながら人々が交流するだけでなく、学び合いのコミュニティという側面も生まれました。メタバースや、ChatGPTなどの技術について学びます。でも、とても詳しい人が講師となって教えるのではなく、ちょっと勉強した人が主導してみんなで学び合うので、講座ではなくコミュニティとして機能していましたね」

昨年までは毎週火曜日夜に定例会を行なっていたが、今年はそれも廃止。運営サイドは何もしないことにした。

「4年目を迎えて、より多様な人が集まるコミュニティにするために、何もしないことでいかに特徴を作らないようにするかを取り組んでいます。参加者は、自分から動かないと本当に退屈なので、結果何かするという雰囲気を作り出しています」

現在、メタバース上のコミュニティ作りと並行して、奈良県の自宅の住み開きも再開した北さん。今は、完全に初めましての人を招くことはなくなったというが、自宅をフリースクールとして活用したり、訪れた人に食事代だけいただきあえて退屈な日常を過ごしてもらう取り組みをしている。

「コロナ禍が終わり、人々の交流は再開しました。ですが、閉じたコミュニティで過ごすことに慣れてしまったからなのか、分断が進んだ社会のように感じます。政治、価値観、など様々な分断です。やっかいなのは、当人たちは気づきにくいことです。新しい人と会っていると思っても、同じ価値観を共有した大きな、でも閉じたコミュニティの一員と出会っているに過ぎないのです。引き続き多様な人が分断を超えて出会うコミュニティ作りに取り組んでいきたいと思います」

遠足企画の様子

「将来的には公園を作りたいと思っています。公園って美術館や飲食店ほど文脈が強く求められなくて、誰でも何の制限もなくて入れる。管理人も常時いるわけではない。固定の土地だけど、ただ街の中に漂流している存在だと思います。コミュニティを作るときに、固定の場に対してコミュニティを作るというアプローチもありますが、私は漂流したコミュニティを大切にしていきたいと思います」

北さんの活動は、一見すると理解が難しい取り組みかもしれない。しかし、コロナ禍を経て、現代人が直面する分断の時代に、正面から真摯に体当たりで向き合っているように感じた。

北さんは、定期的に遠足や地方でのサバイバル企画、青春18切符の旅企画などをしている。活動の様子はXやnoteなどで発信中だ。日常屋さんに興味が湧いた方は、まずそのようなイベントにぜひご参加していただきたい。北さんの作る新しい世界への扉が開かれることだろう。

谷村一成

© 株式会社ゼネラルリンク