タレント見栄晴さん「嫁にステージ4のがんと言ったら我に返り涙が溢れた」【その日その瞬間】

見栄晴さん(C)日刊ゲンダイ

【その日その瞬間】

見栄晴さん(57歳/タレント)

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下咽頭がんのため休養し、4月に復帰を果たした見栄晴さん。がんを宣告された瞬間や手術をせずにステージ4からの完治を目指している今の思いを聞く。

2年ほど前から喉に魚の骨が刺さったような痛みを感じていたんです。たばこも酒もかなりやるので、そのせいかなと気にせずにいました。昨年末から痛みがきつくなったので、年明けの1月10日に耳鼻科で診てもらったら、喉の写真を撮った時点で「うちの病院で診られる状態じゃない」と言われました。「がんの疑いがある」と。

■手術をすると声が出なくなるので抗がん剤と放射線治療を

大きい病院を紹介されたのですが、予約は自分で取らなければならないと言われ、帰り際、看護師さんから「予約がなかなか取れないかもしれませんから『がんだと思うので早急に予約をお願いします』と言ってください」と言われて。耳鼻科の方たちはがんだと確信していたんでしょうね。

その病院は翌日の11日に予約が取れて、カメラで撮影した担当医の先生に「がんの可能性がかなり高いです」と言われ、がんだった場合どのような治療法があるかを僕から聞きました。

手術か、抗がん剤治療と放射線治療のどちらか……。手術だと声帯を取って声が出なくなるということなのでその選択肢はない。「もしがんの場合は抗がん剤と放射線治療でお願いします」とはっきり伝えました。

「僕はテレビに出る仕事をしているので声が出ないのは困るんです。タレントの見栄晴といいますが、先生はご存じないですか」とマスクを取ったら「すみません。知りません」と(笑)。まあ、若い先生でしたから。

芸能界で長年やってきて声の大切さを説明し、納得していただきました。

検査結果が出た18日は僕のターニングポイントです。大きな病院ですから、受け付けを機械で済ませるのですが、耳鼻科に何時に行くなど予定が印刷された紙が出てきて、「放射線科○時」とも書いてあった。その文字を見た時に「やはり、がんなんだ」と実感しました。

耳鼻科で、担当医の先生と部長もいらして、「下咽頭がんのステージ4です」と宣告されたんですけど、最初に耳鼻科に行ってからわずか1週間でしたし、受け止める余裕がなかったですね。抗がん剤と放射線の治療の説明を受けている間も頭は真っ白でした。

次に放射線科に行き、手術しない理由を再度話して、マスクを取ると女性の先生は僕のことを知ってくれていて納得してもらえました。

「耳鼻科と放射線科のチームで頑張りますから病気と一緒に闘っていきましょうね」

その一言が心強くて勇気をもらいました。というのも、僕はこの年まで大病をしたことがなく、手術も入院も経験がないからすべてが未知の体験。

治療を詳しくお話しすると、放射線がトータル35回で、平日5日やると7週間かかる。抗がん剤は投与したら2週間空けなきゃいけなくて、1週目、4週目、7週目と3回やると。2つの治療が合わせて7週間。

さらに体力が戻るのに1カ月。トータルで仕事に復帰できるまで3カ月はかかる。その日はそういう説明を聞いたり、いろいろな検査で朝9時から終わったのが午後2時くらい。

その間、嫁から着信が何度か入ってました。嫁にはがんかもしれないとは伝えてあったんですが、電話すると、「どうだった?」と言うので、僕は「がんだった。ステージ4」と。そう口にした瞬間、初めて我に返ることができ、涙が溢れてきました。先生の話を聞いたり言われた通り検査していたので、それまではあまりにも実感がなく、嫁の声を聞いて急に現実のものとして受け止め、ショックを感じました。

家では嫁と相談し、子供には早期発見のがんと嘘をつきました。本当にいろんなことがあった一日でした。

治療の期間は入退院を繰り返すので、問題は仕事。「治療のために、もし番組を辞めることになったら家族の生活はどうなるのか……」と。

「競馬予想TV!」は土曜の生放送の司会を25年以上もやらせてもらっていて、捻挫で1回しか休んだことがないんです。でもいつから休めばいいのか決まらないと治療を開始できない……。一番の不安は「自分は復帰できるのか」ということ。治る保証はないし、治っても番組に戻らせてもらえるのか。芸能界は自分の都合で休んだり復帰したりはできませんからね。

プロデューサーに下咽頭がんを報告すると、「見栄晴さん、必ず戻ってきてください。だから安心して治療に専念してください」と言ってくれました。うれしかったです。

僕の代わりに誰かを探すより、番組で一緒の横山ルリカちゃんがやってくれたらいいなあと思いました。すごく努力家ですし。そう伝えたらプロデューサーも「同じ考えです」と言ってくれました。

おかげで同じ月の27日の番組でがんで休むことを公表し、すぐに治療に入れました。

寿司を食べたら醤油の味がまったくしない

2月2日に入院し、先にお話ししました治療を行いましたが、よかったのは副作用がそんなになかったこと。僕の放射線治療の場合は、だいたいの人が口内炎だらけになり出血したり、食べるのがつらくなるらしいんですが、僕はなぜかまったく平気でした。

味覚障害も起きるといわれてましたが、1回目の退院後に、家族でお寿司を食べてみました。すると醤油の味がまったくしない。味覚障害の始まりでした。

味がないと食欲は簡単に失うんだとわかりました。でも、食べないと体力が落ちるから頑張って食べて。

ただ、なぜか甘みだけは残っていたので、甘いものを食べるのだけが楽しみでした。人によっては甘みから失う人もいるらしいから、人それぞれですね。もっとも、甘みもその後なくなりましたが。

先生から抗がん剤治療は抗がん剤を含むいろいろな点滴をしながら、たくさんの水分を飲んで頑張って1日2~3リットルのオシッコを出してくださいと言われました。

出した量を書いた紙を見た先生が「すごい! 1日で7リットルも出てる。新記録だ」と(笑)。でも、顔や足がパンパンにむくみ、5キロは太りました。むくんだ分もオシッコで出さないといけないのでその分の水も飲み、夜中もトイレに行き、寝不足になりながら頑張りました。

看護師さんからは「頑張ってますね」と言われ、褒められるとうれしかったし、やる気も出ました。

そんな治療を繰り返しながら3月末で放射線治療もすべて終わり、味覚の方は4月の中旬に「ちょっと味がするかも」と感じられ、今はストレートな甘い、辛い、しょっぱいなどは戻りました。出汁の味とか深い味はわからないけど。でも、味を感じられることに感謝です。

■番組に含んで復帰したらスタジオのライトが眩しかった

番組に復帰したのは4月20日。3カ月ぶりのスタジオはライトが眩しく「帰ってきたなあ」と実感が湧きました。25年以上通った場所ですから、退院して自宅で番組を見てる時は不思議な感覚でした。変わらず競馬予想してましたけどね(笑)。

5月にCTで転移していないと確認。今は経過観察で1カ月に1度診てもらう形に。

今では大好きなお酒もたばこもやめています。人は大病をしないとやめられないのかなと思いました。大病してもやめられないのは競馬でした(笑)。

ですが、平日は毎日治療で、土日は暇でしたから、競馬といういい楽しみを持っていたなと思います。

今の体調は治療の副作用による首のむくみで喉がはれたり、声がかれたりはしますが、心は至って元気です!

これからも先生たちとともに前向きにがんと向き合っていきたいと思います。これからも競馬番組と見栄晴をよろしくお願いいたします。

(聞き手=松野大介)

▽見栄晴(みえはる/本名・藤本正則) 1966年11月、東京都出身。82年に「欽ちゃんのどこまでやるの!」の見栄晴役で人気に。欽ちゃんファミリーとして活躍。「競馬予想TV!」(フジテレビONE)のMC担当。

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