いまだ語り継がれる22年前の「猪木問答」の舞台裏、蝶野正洋が激白「本当だったら会議室でするべき話」

師匠・A猪木のダーのポーズを取る蝶野正洋

猪木の付き人を命名された深夜、目が覚めた

“黒のカリスマ”蝶野正洋が23日、東京・新宿で開催されていた「超 燃える闘魂 アントニオ猪木展」(20~26日)でのサイン会のために姿を現した。サイン会の前には、期間限定で復活した「猪木酒場」でもトークイベントに出席。今回はイベントを終えた蝶野を直撃し、師匠である猪木に関する話を聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)

「最近もう昔話をしたらね、永遠に喋ってられますね」

トークイベントを終えた“黒のカリスマ”蝶野正洋がニコリと笑いながらそう言った。サングラスをしていても、蝶野の笑顔は認識できる。

今回のイベントでは、猪木、坂口征二VS橋本真也、蝶野(1990年2月10日、東京ドーム)の試合映像を見ながら、当時を振り返っていた。

蝶野はかつて、猪木の付き人を務めていたこともあるだけに、スラスラと猪木話が口から飛び出してくる。

そんな蝶野に対し、「A猪木に関する最初の衝撃はなんでしたか?」と訊(たず)ねると、やはり「新日本の道場で、猪木さんの付き人の命名を受けた日の夜、寝ていたら夜中に目が覚めちゃったってやつですかね」と答えた。

詳しく話を聞いていくと、それは道場に貼り出された一枚の紙に書かれていたという。

「その時は、猪木さん、坂口さん、藤波辰爾さん、木村謙吾さん、長州力さん……いや、維新軍(長州軍)に一人みたいな感じだったかな。そんな発表がされていたんですよ。その当時、俺らは下っ端だったけど、結構、人数がいっぱいいましたから。俺らの上に獣神サンダーライガー、佐野(直喜)さんも畑(浩和)さんもいたし。で、俺らが笹崎(伸司)さん、ノガちゃん(野上彰)、フナちゃん(船木誠勝)、三銃士(蝶野、武藤敬司、橋本真也)……だから9人ぐらいいるんですよ」

そのなかで、猪木の付き人を蝶野が担うことになった。

「どっかで猪木さんの付き人は出世頭になるというのはあるから、みんな憧れてるわけじゃないですか。だから、なんで俺が選ばれてんのっていうよりも、もう、とにかく前の先輩たちの付き方は見てますから。で、俺の前は後藤(達俊)さんとライガーさんが付いていた。その時の縦関係もそうだし、猪木さんの付き人の緊張感は、やっぱ他の人と全く別格なんですよ」

ひとつひとつ聞いて行くと、やはりというか、当然、「天下のA猪木」という雰囲気が伝わってくる。

「たとえば猪木さんが道場に来たら、みんな直立して。帰って行く時もみんな勢揃いして、みんなでバーって走って行くキャデラックを送って、もう車がみんなの前を通り過ぎると、『お疲れ様です』ってみんなが頭を下げる。まるでヤ○ザの世界なんですけど(苦笑)。実際、それまでほとんど猪木さんとは接点がないわけだから、いや、ヤ、ヤバいよと。そっちの意識しかなかったですね。これが藤波さんなんかだと、年齢も10歳しか違わないし、結構、距離が近いんですよ。だから若手の感覚もあるし、優しく、ちょっと声をかけてくれたり。もちろん、もう距離は全然違うんですけども」

「猪木酒場」でのトークイベントで蝶野は、1990年にA猪木と肌を合わせた試合について語った

猪木だけは他の誰とも違う、別格中の別格

では、猪木と同格だった坂口の場合はどうなのか。

「もちろん、坂口さんも別格の方なんですけども、やっぱ道場にちょこちょこ来て、若手の選手を焼肉に連れてってくれたり、そういうケアはものすごいやられていたんでしょうね。他には家にも呼ばれたりとかして、みんな若い選手を育てようじゃないけど、そういうことをものすごいやっていると。その点、猪木さんはそこからもう先の人なので、合同練習とかじゃなく、忙しかったから夜中に来て2時間ぐらい練習したりとかスケジュールも違ったりしてましたからね」

要は、A猪木だけは他の誰とも違う、別格中の別格だったという。

「見た目の印象は、ホントのホントにあのままですよね。テレビで見た。テレビのまま。ただ、周りがもう『猪木さんは総長だから、お前らわかってんだろうな』と。ちょっとしたミスが出たらどうなるかって、周りがやっぱ気をつけていたからね。これが坂口さんや藤波さんだったら、ちょっとミスってもそこの関係性でなんとかすればいいけど、猪木さんは違うと。これはもう新日本の顔だし、もうプロレスラーの顔だし、やっぱ一緒に行動してればわかりますもんね。羽田空港に行ったり、東京駅とか名古屋駅に行ったら、人がドワーッと集まってきちゃう。やっぱそこをちゃんと対応できるのか。そこは付き人が間に入って、『すいません!』ってやらなきゃいけないし。他の先輩方はそこまでにはならないですから」

さて、改めてA猪木のすごさが分かった上で、蝶野と猪木の関係性を語っていくと、絶対に避けては通れない場面がある。それが、いわゆる「猪木問答」と呼ばれる場面だ。

時は2002年1月末、新日本プロレスから武藤敬司、小島聡ら複数の選手が契約を更改をせずに、複数名のスタッフを引き連れて新日本を離脱し、全日本プロレスに移籍した。理由は諸説あってひとつには決められないが、当時の新日本は大揺れに揺れたことはあきらかだった。

そして迎えた新日本プロレスの札幌大会(2002年2月1日、北海道立総合体育センター)。
蝶野は、自身の試合を終えると、「新日本には神がいる」と猪木を呼び込み、同時にリング上に永田裕志、中西学、棚橋弘至、鈴木健想(現・KENSO)らがこれを囲み、猪木による「お前はなんに怒っているんだ?」という問いに対し、各々が自身の思いをマイクを使って伝える、という、今思うと、前代未聞の場面が現出される。

「要は、新日本の中に長州さん、藤波さん、坂口さんたちも現場にいるんですけども、(社内の騒動に)対応してなかったんですよ。っていうのは、その後、長州さんも(新日本を)出ちゃうじゃないですか(※WJを旗揚げる)。みんながそういう飛び出す準備みたいなのをしてる中で、武藤さんが先に出て行って。で、それを知らない若手の残るべだろうと思ったメンバーを引き連れて行ったから、猪木さんは怒っていて。あと、社内のほうもみんな最後どっかでグループに属して、みんな出る準備をしていたんですよね。だから俺、全くそれがわからなくて、現場でおかしいなと。本来は藤波さん、長州さんが選手を集めて説明をするはずなのに、永田たちに聞いたら状況も分かってないし、説明もなかったっていうから、これはヤバいなって思っていたんですね」

そこで、蝶野は会場に来ていた猪木の控室に向かい、直談判を試みる。

「『猪木さん、今日の自分の試合が終わってなんかありましたら、猪木さんを呼びますから』って伝えたら、猪木さんが『分かった』って。だから音響の担当者に、『もしかしたら試合が終わったら、猪木さんを呼ぶかもしれないから、準備だけしといてくれ』って言って。タイミングとかは、自分の中でタイミングがあれば呼ぶし、タイミングがなければ呼べないしっていうので、その時になったらタイミングがあったんで、俺が『新日本プロレス、このリング。我々には上に一人、神がいる』ってタイミングでバッとやって、音楽かけてね」

「おめえはそれでいいや」誕生!

正直に言えば、蝶野がそこまで出たとこ勝負に近い感覚であの場にいたとは思っていなかった。

「でも俺、どっちから猪木さんが出てくるか分かんなかったですよね。そしたら、猪木さんは(入場ゲート前に)待機してくれてて。それで出てきてくれて。自分はとにかく猪木さんがK-1とかPRIDEとかそっちに引っ張られてたから、猪木さんから『プロレス』という言葉をその時にどうしても出してもらいたかったと。そしたら猪木さんは、そんなことよりも会社が瀕死の状況なんだという話をしていましたよね」

たしかあの時、猪木は新日本のカネの流れを知る経理担当のスタッフが全日本に移ってしまったことを、「新日本の心臓部、秘密を持っていかれた」という言い方で表現し、怒りを顕にしていた。

「猪木さんはたぶん、長州さんたちのその後の動きも分かっていたんでしょうね。だけど藤波さんたちも反旗を翻している状態だったから、もう会社が成り立ってないですよ。そしたら、そこに一人、手を挙げていヤツ(蝶野)がいると。俺が手を挙げてる人間にされちゃったんですよ。俺は単純に、おかしいんじゃないですかと言いたかっただけなんだけど、じゃあお前がやれっていうね(苦笑)」

蝶野としては、単純に「ファン目線で考えて、ここで何かを手を打たないとイメージも悪いと。だから、まずは親分(猪木)にもう1回、もう1回こっち見てもらいたいと、そういうあれ(意図)だったんですけどね。別に会社のことは状況もわかってなかったから」と話した。

「だから、本当だったらあれは会議室でするべき話なんですよね。でも会議室でやったら、それは多分ひっくり返るし、変えられちゃうんですよ。だからあの場でやりたかったんですよね」

実際、あの日のリング上で蝶野は、「現場責任すべてを俺に任せてほしい。リングの上は俺が仕切る!」と宣言していることから、神である猪木に対し、言質(げんち)を取った格好だったが、瀕死の状態だった新日本は、それから3年9カ月後の2005年11月には、株式の51%以上をユークスが所有したことで、A猪木体制から徐々に別の路線にシフトしていくことになる。

ともあれ、「猪木問答」から22年以上経ってもなお、猪木が口にした「お前はそれでいいや」「ヤツらに気づかせろ!」「見つけろ、てめえで!」といった言葉が語り継がれていることを考えると、猪木と蝶野を含め、あの日のリングで発せられたエネルギーの交錯は、今だからこそ再考すべきではないかと考える。

「後からいろいろ考えると、現場の声は、あそこで若手も呼んで声を聞くっていう、あの辺の対応がやっぱすごいね。もちろん、あの場の時間を稼ぐ面もあるし、自分がこの後どういう方向に話を持っていくのか。何のストーリーもあるわけがない現場だったけど、やっぱ猪木さんの反応はすごいですよね」

最後に蝶野はそう言って、猪木の取った行動を絶賛しながら、サングラスをキラリと光らせた。“黒のカリスマ”によるA猪木伝道師の役割は、まだまだこれからも続いて行く。

(敬称略)“Show”大谷泰顕

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