「唸らされてばかり」ミルクマン斉藤さんを悼んで【華崎陽子】

映画評論家・ミルクマン斉藤さん(本名:斉藤和寛)が亡くなって半年あまり。関西を拠点にしながらも数々のメディアに寄稿し、その類い稀なる洞察力と情報量をもって鋭く作品に切り込む論評は多くの映画人、読者から支持を集めた。その生前のご功績を偲び、ミルクマンさんとともにLmaga.jpの映画ブレーンとしても活躍いただいた映画ライター・編集者の華崎陽子さんに追悼文を寄せていただいた。

左より、映画評論家の春岡勇二さん、生前のミルクマン斉藤さん、華崎陽子さん(2023年)

ミルクマン斉藤。映画好きなら絶対に目にしたことのある映画評論家の名前だろう。とにかく、ミルクマンさんの書く文章はインパクトがあって嘘がなかった。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきりしているのも小気味よく、ミルクマンさんと好みが被ると訳もなく嬉しくなった。

そんな畏敬の念を抱くような存在だったミルクマンさんと初めて話したのは、何かの試写の後だったと思う。驚くぐらいの気さくさで「おもろかったよな〜?」と話しかけてくださったときはすごく嬉しくて、勢い込んで話したものの、あのシーンにあんな意味が!? と思えるならまだしも、自分の知識が足りずちんぷんかんぷんだったことも。過去の作品はもちろん、音楽やアートへの造詣も深く、その博識ぶりには唸らされてばかりだった。

ミルクマンさんに『大阪アジアン映画祭』の暉峻創三プログラミング・ディレクターへのインタビューをお願いしたときは、同席して会話を聞いていたにも関わらず、改めて文字で読むとその面白さとアジア映画の博識さにうならされた。過去の映画祭で上映された作品の監督や俳優の名前がすぐにその年の作品と繋がり、どんどん話が広がっていくのは、毎年、映画祭でほぼ全ての作品を網羅しているミルクマンさんならではだと感服させられた。また、『バンクシーを盗んだ男』公開時にミルクマンさんのトークイベントでMCをさせていただいたときも、お客さんと同じようにアートへの造詣の深さに驚かされた。

試写の後、『ラストナイト・イン・ソーホー』のときは、エドガー・ライト監督がオマージュを捧げた映画やスウィンギング・ロンドンと呼ばれる60年代カルチャーへの礼賛について。『アメリカン・ユートピア』のときは、元トーキング・ヘッズのフロントマン、デビッド・バーンの偉大さについて。『TAR ター』のときは、映画の登場人物が誰を示唆しているとか、指揮者の世界の裏話やクラシック音楽について、たくさんたくさん話してくださった。映画にまつわることを楽しそうに話しているミルクマンさんの姿が今でも目と耳に焼き付いている。

今でも、試写室に行けばミルクマンさんがいて、試写室を出ればいつもの笑顔で「おもろかったな〜」と、私の知識が及びようもない映画の蘊蓄を教えてくれそうな気がする。

文/華崎陽子

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