【提論2024】少子化対策と子育ての現実 平野啓一郎さん

容易でない「3人以上」

少子化が国家的な問題と目されるようになって既に久しいが、この間、政府の対策は進まず、人手不足は、俄(にわ)かに現実的な問題として、様々(さまざま)な業種で顕在化している。

政府によると、2070年には、8700万人まで日本の人口が減少するとの予測だが、昨今の出生数の急減を見る限り、更(さら)に厳しい数字となるであろう。

人口は今後、移民をよほど大量に受け容(い)れない限り、増えることはまずない。人工子宮が開発され、女性が出産する必要がなくなれば、可能性はあるかもしれないが、これは技術的な課題とは別の倫理的な議論を経ねばなるまい。

子供を産む女性もいれば、産まない女性もいる。それについては、完全に個人の自由な判断であり、また事情であって、他人や、況(ま)してや国家が口出しすべきことではない。産みたいのに産めない人の支援は行うべきだが、産まない人がいる以上、ともかくも数字上は、パートナーを得て産む人のうち、かなりの割合が3人以上産まなければ、人口減少には歯止めがかからない。これはしかし、まったく非現実的だろう。従って、少子化対策とは、どこまでいっても、人口減少の時間稼ぎでしかなく、底を打つ見通しさえないのである。

◆ ◆

実際、子供を3人以上持つことは、どう大変なのか?

何よりもまず、女性の肉体的精神的負担があり、キャリアの中断がある。これは1人でも2人でも生じる問題だが、回数が多くなれば、影響も増大する。出産や子育ての経験が、仕事にも、また人生にも、良い効果をもたらすことは多々あろうが、だからといって、そのマイナス面が帳消しになるわけではない。

養育費、教育費の増加も同様である。マンションを買うにせよ、1人増えれば、数百万円から数千万円単位で高額になる、より広い物件を考えなければならない。

子供たちの受験勉強の期間も長い。東京の私立中学の受験のように、小学4年の時から、3年がかりの準備となると、大学入試を終えるまで、10年間ほどは、ずっと誰かが受験の準備をしている、という状態となり得る。

そもそも、親の数より子供の数の方が多いというのは、特に小さな頃には大変な苦労である。食事に入浴、こども園の送り迎え、寝かしつけ、読み聞かせ、泣き止(や)ませること、おとなしくさせること、怪我(けが)をしないように見守っていること。……核家族の場合、頼る当てがない。実家やその近所に住んでいて、親が積極的に子育てを手伝ってくれるならば助かるが、複数の子供がそれぞれ3人以上、孫を儲(もう)けているとなると、容易ではないだろう。

◆ ◆

夫婦のどちらかが残業したり、出張したりすれば、「ワンオペ」となることも少なからずある。

乗り物の移動でも、両親と3人の子供からなる5人家族では、例えば、タクシーに乗る際に、1台では収まらない。盆正月の帰省の際にも、電車や飛行機が2列の並びの席しか空いていなければ、子供1人分があふれてしまう。乗り物酔いの世話も、3人となるとてんやわんやだろう。

どれもこれも、今更言い立てることではないと思われようが、3人以上、子供を持つことを検討するカップルは、既に2人の子供を育てているのであり、彼らがもう十分と判断するのは、まさにこうした経験の蓄積からである。

政府の少子化対策は、婚活の促進や経済支援が中心であり、それらには一定の効果が期待されようが、こうした具体的な多岐に亘(わた)る苦労がある限り、多くの子供を育てようという意欲は、なかなか高まらないであろう。

© 株式会社西日本新聞社