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生まれた時の性別とは異なる性で生きるトランスジェンダーと、その母親の歩みをたどった「私があなたを想(おも)うとき 自分の性を生きる」。広島県内のある夫婦は、記事の母子に自分たちを重ねたという。中学2年のわが子もトランスジェンダーだ。「この子に一生、偏見と闘わせたくはない」。1人でも多くの人に理解を深めてほしいと願う。
夫婦には、2人の男児が生まれた。下の子は、幼い頃から兄のお古の戦隊ロボットに目もくれず、ぬいぐるみを好んだ。主張もはっきりしていた。「『かっこいい』より『かわいい』がいい」「○○君って呼ばないで」…。自分のことを「私」と呼んだ。
5歳の七五三。わが子は写真館でドレスに目を輝かせた。はかまも着せたが、表情はさえなかった。夫婦はずっと迷っていた。望む格好をさせれば、好奇の目にさらされかねない。「いつか男の子らしくなるかも」との思いも拭えず、保育園では中性的な服装と髪形をさせた。
だが、園では言動を理由にいじめられたこともあった。それでも「何を言われても平気だよ」と通い続けたわが子。だから、夫婦も覚悟を決めた。息子ではなく、娘として育てるんだと。
年長の夏、本人に望む名前を聞き、家裁に改名届を出した。岡山市の専門クリニックを受診。当事者団体を探し、講演や勉強会にも足を運んだ。
そして事情を説明しようと、入学予定の小学校へ。そこで壁にぶち当たる。
学校側はかたくなだった。スカートも女子トイレの使用も「前例がないからダメ」の一点張り。校長は、わが子を「君」付けで呼び続けた。本人は泣き出した。「私、女の子だよ」
最終的に学校の求めに応じ、医師に診断書を出してもらうことで、やっと「女子」として了承されたという。
だが入学後も不本意なことは続いた。他の児童に事情を説明させてほしいと頼んでも、「子どもには理解できない」と断られた。男女混合名簿も取り入れてくれなかった。何より、わが子の自尊心を傷つけられた。自分の性のことは他言しないようにと教員から諭されていた。娘は「もう誰にも知られたくない」と登校をしぶり始めた。
夫婦は「先生の言葉が子どもにとってどんなに重いか。堂々と生きている子に『隠せ』なんて悲し過ぎる」と憤る。
娘は今、14歳。心を許せる友達ができ、学校に行ける日は増えた。「生理痛がないなんて私、いいとこ取りしてるね」なんて笑ってみせる日もあれば、不安が勝る日もあるよう。2人に「私のこと好き?」と聞いてくる。
夫は今後を見据える。「娘が人生の選択肢を狭められずに済む社会になるよう、親ができることは何でもするつもりです」。最近は仕事をセーブして娘を見守り、講演依頼にも応じている。