最速ランナー田中希実に殻を破らせた感情の文章化 「勝って当たり前は凄く苦しい」からの転換点【日本選手権】

女子800メートル決勝で力走する田中希実(中央左)【写真:奥井隆史】

陸上日本選手権

今夏のパリ五輪代表選考会を兼ねた陸上・トラック&フィールド種目の日本選手権最終日が30日、新潟・デンカビッグスワンスタジアムで行われた。女子800メートル決勝では、今大会2冠の田中希実(New Balance)が2分05秒14の7位。主戦ではない種目に立ち向かった。3種目を戦い抜き「勝って当たり前の扱いは凄く苦しい」と悩みを抱えつつ、感情の文章化が成長のきっかけの一つになったことを明かした。

どんな種目でも負けたくはない。田中は思い切りぶつかりにいった。雨の決勝。序盤は最後方から展開し、400メートルを過ぎて先頭へ。16歳・久保凛もついてきた。残り300メートル付近で先頭を奪われ、後続の選手たちもスパート。苦手なスピード勝負で置いて行かれ、16歳の新星に初優勝を譲った。「おめでとう」。素直に勝者を称えるために寄り添った。

今大会5レース目。主戦種目でもないが、言い訳は皆無だった。

「優勝したこともないのに優勝のために仕掛けるような小ざかしいことをするのではなく、本当に挑戦者の気持ち。最下位になっても構わないような気持ちで走るべきと思っていた。仕掛けどころをつくらず、行きたいところで行けた。いい意味で私らしさ、変に順位を意識して負けたというより、自分の走りをして負けることができたと思う」

28日に1500メートルで5連覇。参加標準記録を切り、2種目めの五輪出場権を掴み取った。29日は800メートル予選の2時間15分後に5000メートルで3連覇(4度目の優勝)。3年連続2冠を達成し、ともにぶっちぎるレースだった。収穫の多かった日本選手権。最終日を終えた後、最近の心苦しさを隠さなかった。

「(5月の)セイコーゴールデングランプリの時は国際大会に出ると通用しない。国内では勝って当たり前の扱いを受けてしまう。そこが苦しいし、自分への怒りもある。自分らしく行かせてくれないと感じてしんどい時もあります」

ただ、この間に成長を感じるきっかけがあった。

女子800メートル決勝に出場した田中【写真:奥井隆史】

「一人で悶々とするのではなく、文章化してみたりして…」

田中はTHE ANSWERにて自筆コラム「田中希実の考えごと」を連載中。今大会前に掲載した第5、6回では「オリンピアンとして考えたこと」と題し、近年の苦しみやアスリート観をありのままの文章で表現した。感情の文章化などが競技にも繋がるという。

「一人で悶々として自分の中に閉じ込めるのではなく、文章化してみたり、家族に自分の想いを伝えたりして、発散できるようになったのは一つの転換点でした」

「自分の中でイライラが溜まった時とかに逃げるのではなく、ちゃんと向き合うこと。それを今はまだ文章で書いたりすることでしか表現できないのですが、他の人に伝えること、外向きに意識を置くことが大事。今は一方通行で交流が下手なのかなと思いますが、それができるようになったら、もっと競技でも充実度が増してくるんじゃないかなと」

2021年東京五輪は1500メートル8位入賞。がむしゃらに走り、快挙を掴み取った。22年オレゴン世界陸上は3種目に挑戦。昨年ブダペスト世界陸上は5000メートルで8位入賞した。着実に成長し、パリ五輪へ向かう。

だが、パリ五輪への想いを問われると、「今までで一番いい状態でパリ五輪に行けるのですが、それがちゃんと表現できるかわからない」と涙。今大会の好タイムにも「これぐらいが最低限と思っていたことがただできただけ。1500メートル(の内定)はいいことだと思うんですけど、全然嬉しいと思えなくて」と厳しい。

どんなに考えてもあと1か月で大舞台はやってくる。

「今よりいい状態でパリを迎えたい。今回と同じように駆け抜ける期間にしたいと思います」

殻は何度でも破ればいい。

THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada

© 株式会社Creative2