朔日(7月1日)

 きょうは朔日。年12回の「ついたち」だ。広辞苑によれば、こもっていた月が出始める意とか。この日生まれの名前の由来ともなっている。日本近代詩の父と称される萩原朔太郎もその一人▼作品は憂鬱[ゆううつ]と孤独に満ちる。「野鼠」の一節を引く。〈どこに私らの幸福があるのだらう 泥土の砂を掘れば掘るほど 悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか。〉。苦悩の泉のようだ。県民なら思い浮かべるかもしれない。13年前の不条理な災厄に涙した肥沃[ひよく]な大地を▼葛尾村野行[のゆき]地区の復興拠点の避難指示が解除され、先月で2年が過ぎた。田んぼが青苗で満たされる日は、まだ遠いという。農家は避難先からなかなか戻らず、高齢化が進んでいる。跡継ぎは容易に見つからない。土を荒らしたくはないと、よそから通い、手入れする村民もいる。行政が線引きを変えても、厳しい現実は残る▼〈さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが 野鼠のやうに走つて行つた。〉と詩は結ぶ。朔太郎は気付いていない。野に生きる小さな命にも、人間にも明日へと高鳴る胸の鼓動があることを。悔恨を開墾に変えて。ゆっくりでいい。ひと月前より、豊かな古里を取り戻す。<2024.7・1>

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