あの時思い、心寄せて 能登半島地震、発生から半年

能登町でボランティア活動をした影沢勝宏さん=南陽市

 能登半島地震では、発災直後から本県の多くの人々が現地に入った。支援や被災者との交流は現在も続いている。半年が過ぎ、被災地の様子は少しずつ震災前に戻りつつあるという。だが現地の被災者は「揺れがあると、あの時を思い出す」と、まだ落ち着かない日々を送っている。

約束のサクランボ、交流今も・影沢さん

 石川県能登町の社会福祉法人礎会(石井良明理事長)は、複数の福祉施設を運営している。高齢者の入所施設が損傷し、入所者は近くにある同会の関連施設に身を寄せ、今も避難生活を送る。南陽市の就労継続支援B型「いちょうの家」で職業指導員をしている影沢勝宏さん(57)=白鷹町十王=は、今年2月、現地に駆け付けボランティア活動を行った。能登との交流は現在も続いている。

 影沢さんは2月、同会で障害のある人たちが利用している「自立支援センターみずほ」で1週間ほど活動した。いちょうの家で職業指導員として花の栽培などに携わっている技能を生かし、同センターの利用者が野菜などを栽培しているビニールハウスの補修、ひび割れた耕作地の修復作業に当たった。

 「山形はサクランボが有名なんだ。時季になったら送るよ」。被災しながら作業をする利用者に、影沢さんは土を耕しながら約束した。同センターには先週、本県産のサクランボ「佐藤錦」が2箱届いた。影沢さんには早速、お礼の電話があったという。「ありがとうございます。影沢さん、みんなも覚えてますよ、山形弁話す人って」

 能登町は能登半島の北東部に位置する。震災直後は道路に亀裂が入り、建物の多くが壊れ、水道も止まった。影沢さんがボランティアで入った発災1カ月後でも状況は変わっていなかった。同センター職員の石井絹子さん(45)によると、同町では道路の補修は進んでいるが、上下水道が復旧したのは3月下旬になってから。新施設は建設中だが、高齢者が入所できる代替施設はなく、依然としてお年寄りたちは同センターに避難しているという。

 影沢さんは、仕事の関係でその後は被災地に行けてはいない。「当時のことを思い出さない日はなく、再び現地の人たちの役に立ちたい。サクランボが、少しでも癒やしになればうれしい」と願いを込めた。

 現地の石井さんは「時々余震があって、緊急地震速報が鳴ると、あの時を思い出してしまう。復旧は進んでも心はまだ地震の前には戻っていない」と話す。サクランボは入所者や利用者らと味わった。「いまだに山形から心を寄せてくれていることが、何よりもありがたい」と語った。

変わるニーズ、今後は生活再建へ・本県社協

 被災地ではボランティアが復旧に向けた大きな力となる。被災者のニーズを把握し、こうした支援とマッチングするため、山形県社会福祉協議会は石川県志賀町の災害ボランティアセンターに職員を派遣している。「被災した人たちが求める支援は日々変わってきている。これからは生活再建に向けたサポートが必要になる」と、山形県社協職員の山口大希さん(33)は指摘する。

 山口さんの活動は本紙取材班が2月に取材した。山口さんは5月にも現地に入った。能登半島は本県の庄内地域同様、瓦屋根の多い地域。落ちた瓦の撤去は進んでいるが、壊れた家の解体は進んでいないという。仮設住宅に移るなどして、避難所生活の人は少なくなったが「元の家に住むか、他に移り住むか、決めかねている人は多い」と説明する。

 当初は家の外の瓦や崩れたブロック塀、建材などの撤去の要請が多かったが、ニーズは変わってきている。志賀町は住宅の門や庭に灯籠が多い地域。そのほとんどが倒れた。「灯籠を建て直したり、撤去してほしいという求めが出てきた」と山口さん。倒れたままだと、当時のことを思い出すからだという。

 山形県社協は7月から、より被害の大きかった珠洲市に活動拠点を移す。山口さんは「職員も被災した現地の社協のサポートと、日常生活の再建に向けた活動をする。何より、被災者の心のケアが重要になりそうだ」と今後を見据えた。

住民から被災状況を聞き取る山形県社会福祉協議会の山口大希さん=2月16日、石川県志賀町

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