巴金や老舍も…中国の要人や各界代表団を受け入れ、半世紀以上にわたる藤田観光と中国の交流史

藤田観光が運営している「箱根ホテル小涌園」と「椿山荘」は日中国交正常化以前から中国の要人を受け入れていた。写真は箱根。

藤田観光が運営している「箱根ホテル小涌園」と「椿山荘」は日中国交正常化以前から中国の要人を受け入れていた。当時、国交が正常化されていない段階でなぜ中国からの代表団を受け入れることになったのか。なぜ数多くの中国各界代表団が藤田観光の運営するホテルを利用するのか。同社の社友である藤田基彦氏にこれまで中国と築いてきた交流史を紹介していただいた。

62年にわたる藤田観光と中国の縁

藤田観光が運営する代表的な宿泊施設である箱根ホテル小涌園(神奈川県箱根町・1959年開業)と椿山荘(東京都文京区・1952年開業)と中国との縁は1961年までさかのぼる。当時の日中関係は「長崎国旗事件」(1958年)をきっかけに冷え込んでいた時期だったが、常連客で作家の城山三郎氏の紹介で日本中国文化交流協会(当時中島健蔵理事長・1956年設立)が4月17日から2泊3日で中国作家代表団(巴金団長・6人)を箱根ホテル小涌園に案内したのが始まりだった。

同年12月7日、同協会と日本中国友好協会(当時内山完造理事長・1950年設立)が中国文化代表団(楚図南団長・9人)を箱根ホテル小涌園に案内し、歓迎会を椿山荘で開催した。その後、廖承志事務所東京駐在連絡事務所(文京区)主催の「国慶節レセプション」も椿山荘で開催された。箱根ホテル小涌園と椿山荘は日本側受け入れ団体の口コミもあり、中国関係団体の利用が拡大した。

日中国交正常化以前、箱根ホテル小涌園に宿泊した主な代表団は23団体に上る。中には1962年訪日の中国映画代表団(司徒慧敏団長・椿山荘にて歓迎会)、中国卓球代表団(栄高棠団長)、1964年の中国京劇院訪日公演団(張東川団長)、1965年の中国作家代表団(老舍団長・椿山荘にて歓迎会)などが挙げられる。

1972年の日中国交正常化以降、外務省や日中友好各団体をはじめ、中国駐日本国大使館、日中友好旅行社、京都市、奈良市などの友好交流都市自治体からも利用されるようになった。また、1978年には江蘇省と提携して「日中調理師交流」を始め、調理分野だけでなく、ホテル管理・サービスについての知識やスキルなど、日中双方で学び合った。

1961年から現在に至るまでの約60年間、箱根小涌園に宿泊した中国各界の代表団の中には巴金、老舍、趙樸初、夏衍、華君武、侯宝林など著名人が数多く、その名前や言葉を書き記した芳名録の数は50冊にも達した。

2010年5月、中日友好協会、(公社)日中友好協会、藤田観光の3団体共催により、「藤田観光箱根小涌園中国各界代表団墨宝展~揮毫で見る半世紀にわたる日中友好交流史」が北京の「和平宮」で開催された。所蔵の揮毫、芳名録、礼状など数多くの記念品を展示し、来賓には中日友好協会名誉顧問(当時)の唐家璇閣下、林麗韞女史はじめ日中各界の友好人士100人余りが出席した。

日中友好交流をライフワークとする藤田氏

箱根ホテル小涌園で長年中国各界の代表団を接客し、日中友好交流をライフワークとする人物がいる。藤田観光社友の藤田基彦氏だ。藤田氏は1969年に藤田観光に入社し、初勤務地は箱根ホテル小涌園だった。

ベルボーイ、フロント会計を経験した後、フロントクラークとなり、中国担当を先輩から引き継いだ。藤田氏は当時、中国に関する知識を得るため、エドガー・スノーの「中国の赤い星」や、人民中国、日中友好団体の機関誌、雑誌「China Business Review(美中貿易)」などで「新中国」を学ぶ毎日だったという。

藤田氏は、中国の代表団が箱根ホテル小涌園に宿泊する時には、わが家のように感じてもらえるようなおもてなしを常に心がけていた。例えば、中国の音楽と日中両国旗で歓送迎、客室には中国製のふた付き湯飲み茶碗と中国茶(横浜中華街の店から購入)を用意した。夕食前には、訪日団の方々に和服を着付けして集合写真を撮影し、夕食時の箸袋には「熱烈歓迎」と記載し、喜ばれた。翌朝には、前日撮影した写真を各自に贈呈し、芳名録に揮毫をしてもらった。当時、写真は貴重品で、モノクロはもちろん、カラー写真はまさにぜいたく品で、それを贈呈すると非常に喜ばれたという。

このような経験を通して、藤田氏は中国の魅力に目覚め、日中友好交流が自らのライフワークとなった。1978年から2014年まで出張10回、プライベート3回の計13回中国を訪れた。藤田氏は「中国は私の第二の故郷のように思います。特に江蘇省。中国ではいつも誠心誠意に接待されて、中国人には国境を感じさせない温かい人間性を感じ、心が和みます。一言で言うと、帰りの空港で、あぁ面白かったがしんどかった、しかしもう一度来てみたいと毎回思うのが中国旅行です」と当時を懐かしく振り返った。

藤田氏は今後の日中関係への期待を以下のように語り、締めくくった。「以前から懸案の、また延期となっている日中両国の元首の相互訪問が実現できれば両国の関係が改善するでしょう。70年代、80年代のように両国が経済や貿易、文化など各分野の友好関係を再構築することを期待したいです。また、日中関係は今後、日中米3国関係で見ていかなければならない時代となりました。日中米3国の若い留学生がそれぞれの国で学び、友人となり、政治家となったときにはお互い良好な外交関係を結ぶことを期待したいと思っています」。(提供/日中文化交流誌「和華」・編集/藤井)

【藤田基彦氏プロフィール】

藤田観光の元西日本営業本部長兼中国担当本部長。

1946年神戸市生まれ。1969年に藤田観光入社。箱根ホテル小涌園、新宿ワシントンホテル、フォーシーズンズホテル椿山荘、秋葉原ワシントンホテル常勤監査役、西日本営業本部長兼中国担当本部長を経て、2015年に藤田観光を退職。現在は日中友好協会参与、日中協会諮問委員、日本中国文化交流協会会員、日中映画祭実行委員会評議員。

© 株式会社 Record China