車中生活が続く人も 長引く避難生活に精神的な焦り 能登半島地震から半年 将来への不安は尽きず

■自宅に住めない状況なのに、仮設を申し込めない…

今年の元日に発生した、能登半島地震。多くの人の命や生活が奪われたあの日から、半年がたちました。今の被災地の現実を、関西テレビ・吉原功兼キャスターが取材しました。

ことし1月、石川県輪島市の鳳至公民館を取材したときは、トイレは断水で使えず、ポリ袋で用を足すという劣悪といえる環境の中、最大で300人が身を寄せ合って過ごしていました。

半年たった今は、どうなっているのでしょうか。

【鳳至公民館・七浦正一館長】「今、所帯主が12人で、(避難者は)計16人、これは6 月30日の段階でだいぶ減りました」

かなり減りはしたものの、いまだにここで避難生活を続けている人がいました。

【避難している男性】「俺は仮設の申し込みしてない」

【吉原キャスター】「してないんですか?」

【避難している男性】「いや、私は申し込みしても当たらない。家がつぶれとらんからね。今、仮設入れるのは半壊した人しかダメ」

建設が進められている仮設住宅に入居できるのは、原則、自宅が全壊、または半壊した人に限られています。

こちらの男性の家は、被害が軽微だったものの、家が崩れた親族の荷物などを自宅に運び込んだ結果、生活できるスペースがなくなってしまいました。そのため避難所での生活を選んでいるといいます。

【避難している男性】「だいたい、家を直して出てったとか、あるいは、仮設が当たって出たとかで出て行ってしまった。だから精神的に少し焦りはあるだろうね。みんな当たったから」

■避難所では些細なことがトラブルにつながる

館長として避難所の運営を続けてきた七浦さんは、ここで生活する人が、長引く避難生活にストレスを感じている様子を目の当たりにしてきました。

【鳳至公民館七浦正一館長】「ささいなことで、スリッパの音がやかましいとか、電気はなぜ9時に消すんだとか、色々もめて、私のところに相談に来ましたので。いろんなことを、何とか収めてきましたよ。本当に大変でした」

■「周りに迷惑をかけないため」に車中生活を続ける

厳しい生活を続けているのは、避難所にいる人だけではありません。輪島市内を取材していると、こんな人と出会いました。

半年間、車中泊を続けているという菊谷さん。自宅は1階がつぶれ、全壊状態に。今は、自宅近くの車庫で寝泊りしながら、新聞配達の仕事をしています。

【吉原キャスター】「助手席の椅子を倒しているんですか?」

【菊谷正巳さん(71)】「(助手席を)倒してここで寝られますから」(Qここで夜こうして寝てらっしゃる?)「ええ、そうですそうです」(Q半年間ずっとですか?地震が起きてから)「はい」

【吉原キャスター】「ずっと半年間、車中泊を、なぜしてらっしゃるんでしょうか?」

【菊谷正巳さん】「朝と昼と、反対ですから。(午前)1時半に起きないといかんでしょう。皆さん寝ているときに、私起きて、目覚ましかけて、皆さんに迷惑かけますし」

生活のリズムが人と違うため、避難所で暮らすことを「遠慮」してしまったという菊谷さん。仮設住宅に住めるよう申請はしたものの、まだ当選の連絡は来ません。

【菊谷正巳さん】(Q仮設住宅には住みたい?)「そりゃもちろん。そのためにこうしておるもんですから。夏は暑さと蚊が一番大変だなという気持ちでいます」

■伝統産業の職人「将来への不安は尽きない」

元の生活は、いつ戻ってくるのか。

輪島市の伝統的な産業、漆塗り職人の笠原さんは、4月に自宅に戻り、仕事を再開しました。

【笠原良征さん(79)】「職人から仕事とったらだめやわ。終わりや」

笠原さんの自宅では断水も解消され、生活は少しずつ、前に進んでいるようにみえます。それでも、将来への不安は尽きません。

【妻の美栄子さん】「(不安は)ありますね。なんかみんな、もう一回大きなのがばーんと来るんじゃないかと」

【吉原キャスター】「外を見ると、まだ崩れてる家とかも多いじゃないですか?」

【笠原良征さん】「あるある、ずーっとある」

【妻の美栄子さん】「(元に)戻るかなって感じ。まだ何年もかかるんだろうなって感じで」

【笠原良征さん】「仮設ばっかり見えたやろ。仮設の町みたいやもんね今。街の中は何もない、中心はなくて、まだまだ空き地に全部たっとるもん」

半年前には、そこにあった日常。全てが元通りになる兆しは、まだ、感じることはできません。

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