不妊治療は想像をはるかに超えた大変さ。夫にひどい言葉を投げつけたことも【エッセイスト・潮井エムコ】

一度は「妊娠はできないかも」とあきらめそうになったけれど、つらい不妊治療を乗り越え赤ちゃんを迎えることができました。

高校時代の家庭科の授業を書いたエッセイ「学生結婚と子育て」がSNSや各種メディアで大反響を呼んだエッセイスト、潮井エムコさん(31歳)。私生活では夫と3年間の不妊治療を経て、2024年1月に待望の第1子を出産しました。エムコさんに妊娠前から出産までのことについて、話を聞きました。全2回インタビューの1回目です。

【39歳で2児のママまんが家インタビュー】第二子を望んでの不妊治療の日々。卵が採れなかったり、胚移植日と長女の保育園行事が重なったり・・・

精神面も肉体面も経済面も、想像をはるかに超えた大変さ

――夫さんとは子どもをもつことについてはどんな話をしていましたか?

エムコさん(以下敬称略) 夫はもともと同じ高校の2学年上の先輩で、20歳のときに再会したのがきっかけでおつき合いを始め、私が25歳、夫が28歳のときに結婚しました。

私は幼少期に母親との関係があまりうまくいかなかったり、両親の仲が悪かったりと、自分の家族とのいい思い出があまりなかったんです。だから自分が結婚したら楽しい家庭を作りたい、とずっと思っていました。幼稚園教諭と保育士の仕事をしていたことがあるのですが、その資格を取ったのも子どもが好きだったからです。結婚前から私が子ども好きで、子どもを欲しがっていることは夫もわかっていました。私は結婚してすぐにと考えていたけれど、夫は「まだいいんじゃない、いつでも大丈夫だよ」とのんびりした感じでした。

――不妊治療をしようと思ったのはいつごろでしょうか?

エムコ 結婚してしばらくたっても一向に妊娠する気配がなかったので、27歳のときに私たち夫婦が妊娠できる状態かどうかを検査しました。その病院では問題ないと言われたので、1年ほど通院しながらタイミング法を試したんですけど、妊娠することはできませんでした。

2人で話し合い、不妊治療の段階を進めようと決めて、より専門的な病院で再検査すると、そこで男性不妊との診断がつきました。医師から「人工授精は難しそうだからすぐ体外受精にしましょう」と言われ、そこから私たち夫婦の本格的な不妊治療が始まりました。

不妊治療をしている友人たちから治療の体験を聞いていたので覚悟していたつもりでしたが、いざ自分が当事者になってみると、精神面も肉体面も経済面も、その負担の大きさは想像をはるかに超えていて驚きました。

治療で感情がコントロールできなくなるつらさ

――不妊治療に取り組む中で、大変だったことは?

エムコ 体外受精するためにはまず私の卵巣から卵子を採るのですが、私はこの採卵の段階でつまずいてしまいました。採卵の前には卵胞を育てるために、1週間ほど継続してホルモンの分泌を促す自己注射を行うのですが、私の場合はこの時期に精神の浮き沈みが激しくなってしまうのが本当に大変でした。

最初は注射が痛いとか怖いとかもあったけれど、そんなのどうでもよくなるくらい、精神状態が不安定になることがつらかったです。ホルモンバランスの乱れによるものなのかもしれませんが、たとえるなら月を見た狼人間のような・・・強制的に別人になってしまう感覚で、自分で自分の感情をコントロールできなくなってしまいました。夫にもきつく当たってしまったし、床にひっくり返って「ワー!!!!」と、暴れたことも何度もあります。

――精神的に不安定になりながらもその治療を続けたんですね。

エムコ なんとか耐えながら注射を続けて、採卵をしに病院に行ったのですが、直前になって「卵胞が大きくなりすぎているから採卵は中止です」と言われ、ここで高度不妊治療の大変さの最初の洗礼を受けた気がします。私が卵巣内に卵胞が多い体質だったので、薬によるコントロールや予測が難しかったようです。中止になると、卵巣の状態を戻すために治療をお休みする期間が生じることも。再開後は毎回治療法が見直され、注射や薬の種類が変わるので、今回は大丈夫だろうかという不安もありました。治療は不妊の原因や体質によって変わるので、試行錯誤を繰り返しながら行っていくのですが、私の場合は採卵の段階でかなり時間がかかりました。

――エムコさんが不安定なとき、夫さんはどうかかわっていましたか?

エムコ 夫は悲しそうな顔をして、私の言葉に「うん、うん」とただうなずいてくれていました。夫も不妊治療の当事者ではあるけれど、体に負担があるのはほとんど私なので、どう声をかけていいのか難しかったと思うんです。夫に対して普段は絶対に言わない暴言を吐いてしまったりして、普段は陽気な私がこんな風になってしまうなんて、自分でも信じられないくらいでした。荒れて落ち込んでを繰り返す不安定な状態の私と一緒にいる夫は、私以上につらかっただろうと思います。

治療がなかなかうまくいかないとき、夫は「また次だね」「大丈夫、大丈夫」とポジティブな言葉しか言いませんでした。でもそのときの私は、前向きな言葉をかけてくれる夫にさえイライラしていたんです。今振り返ると、あのとき不安定な私に対して、夫が常に一貫した前向きな態度でいてくれたことに、すごく支えられていたと思います。

――その後の治療はどのように進んだんでしょうか?

エムコ 半年くらいかかってやっとの思いで採卵までこぎつけ、1回目の体外受精は卵子に精子をふりかける方法で行いました。ところが20個くらい採卵できたのに受精卵は1つもできなかったんです。それでまた、あのつらい採卵からやり直しです。

その後何カ月かかかって2回目に採卵に成功したときには、医師の方針ですべて顕微授精になりました。顕微授精は細い針を使って、精子を卵子の中に直接注入する方法です。それでようやくいくつかの受精卵ができました。その受精卵を子宮に戻すんですが、1回目は着床に至らず。

それで「もうきっと私は妊娠できないんだろう」とすっかり心が折れてしまいました。ちょうど同じくらいの時期に、私がnoteというウェブサイトに投稿したエッセイが編集者さんの目にとまったことがきっかけで、書籍化が決まっていたので「子どものいない人生を考えるしかない、これからはエッセイを頑張ろう」と新たに決意したところで、2回目の胚移植(受精卵を子宮に戻すこと)を行ったら、妊娠したことがわかりました。

言葉にできない喜びと、不安が同居していた

――妊娠がわかったときの気持ちを教えてください。

エムコ 不妊治療中は思い出すのもつらいくらい本当にいろんなことがあったので、言葉にできない喜びを感じました。ただ、治療中に妊娠経過をいろいろと調べていたので、これからまだまだ超えなきゃいけない壁がいっぱいあるぞ、と気が抜けませんでした。毎日、おなかに赤ちゃんがいることのうれしさを感じるんですけど、万が一のことがあったら絶対につらいから、「何が起こるかわからない」と自分に言い聞かせながら。「出産まで無事に育ってくれますように」といろんな国の神様に手当たりしだいにお祈りしていました。

――つわり症状でつらかったものはありますか?

エムコ 私はもともと吐くことにすごく抵抗があったので、まず吐きけがあることがとても苦しかったです。食べづわり、吐きづわり、においづわり、全部体験しましたが、吐きづわりにいちばん悩まされました。室内を歩いているときにも突然吐きけが来るので、立ちつくしたまま夫に「吐く――!!」と叫び、夫が急いでバケツを持ってきて、そこに泣きながら吐くような日々でした。

――夫さんはどんなサポートをしてくれましたか?

エムコ 食べられるものがその日その瞬間によって変わるので、私が「今おにぎりなら食べられそう」と言うと、夫がおにぎりを作ってくれました。「梅干しのおにぎりがいい」「たくあんもいる」とか、「今日は卵焼きなら食べられるけど目玉焼きはダメ」とか・・・夫はそんなこまかい注文も聞いてくれました。食事だけでなく、つわり中の私のとしゃ物の処理のほかにも、家事もやっていたので本当にありがたかったです。

どうしても「さかご」が治らず、帝王切開に

エムコさんが赤ちゃんのために用意したおもちゃたち。手作りおもちゃも。

――つわりのあとの妊娠経過は順調だったそうですが、どんな出産方法になりましたか?

エムコ 妊娠8カ月のころにさかごだとわかって、漢方を飲んだり、さかご体操をしたりと頑張ったものの赤ちゃんの向きはなおらず、妊娠37週の1月下旬に帝王切開で出産することになりました。もしさかごのまま陣痛がきてしまった場合、赤ちゃんの足が産道から出てしまうと大変なので、正期産になる37週以降で、陣痛が起きる可能性が少ない早いタイミングでの出産にしよう、ということでした。

産院は新型コロナウイルスの警戒体制が続いていて、入院中は夫も家族も面会不可でした。しかたのないことだけれど、やっぱり少し不安で寂しかったです。

――赤ちゃんが生まれた瞬間のことを教えて下さい。

エムコ 帝王切開は下半身麻酔だったので意識がはっきりしていて、痛みはないけれどおなかが押されるような感じはありました。手術開始から10分ほど過ぎたころ、医師から「生まれますよ〜」と声をかけられた次の瞬間、赤ちゃんの大きな産声(うぶごえ)が聞こえました。それに続いて医師から「うわー、あぶらで真っ白やね〜!おめでとうございます!」と言われました。

「おめでとう」より先に「あぶらで真っ白」が気になってしまって。心のなかで「先生の第一声、逆じゃない?」とツッコんでいました。赤ちゃんは、胎内で体温調整のために体が胎脂(たいし)で包まれていて、胎脂があるから産道が通りやすくなるらしいんですが、わが子は胎脂がすごく多かったらしいです。看護師さんが赤ちゃんの体をふいてくれて、私に抱っこさせてくれたときには、あぶらはあらかた落とされていましたけど、髪の毛はまだテカテカの状態でした。

――初めて赤ちゃんを抱っこして、どう感じましたか?

エムコ なんと言葉にしたらいいのか・・・「この子がおなかに入っていたんだ、この子が私の子どもなんだ」という、感じたことのない感動だったと思います。妊娠中ずっと「何が起こるかわからない」と緊張していた気持ちがとけたように、涙がぼろぼろこぼれて止まりませんでした。

妊娠も出産も本当に奇跡だな、と。医師や看護師たちや医療機器や薬の力を借りて、こうして私も子どもも無事に生きているということを痛感しました。

私という人間に、母親としてのスイッチが入った瞬間

エムコさんと赤ちゃんの近影。

――自分がママになったと実感したのは、産後いつごろですか?

エムコ 帝王切開だったので、出産当日と翌日はひたすら1人で壮絶な痛みを耐える時間でした。その間、赤ちゃんは新生児室に預かってもらっていました。産後3日目から母子同室の予定でしたが、帝王切開の傷が痛すぎて。ベッドから立ち上がるのも、用をたすのも、歩くのも激痛です。こんな状態で赤ちゃんと一緒に部屋で過ごすなんて絶対に無理! と思っていたんです。

産後3日目の朝、赤ちゃんを寝かせるためのベビーコットを歩行器代わりにして、足を引きずりながら新生児室へ向かう途中「私は今日からのお世話はまだ無理です、ごめんなさい」と謝ろうと思っていました。私の満身そういぶりを見た看護師さんに「お母さんがこんなにぼろぼろだったらお世話できないよね、あと1日預かりますね」と言ってもらいたい気持ちでした。

だけど、新生児室で看護師さんが「あ、ママ来たよ〜」と抱いているわが子に声をかけた瞬間、信じられないことに私はスタスタと歩き、気がついたらわが子を抱っこしていました。いざわが子を目の前にしたあのときに、「私がこの子を守る」という「母親スイッチ」のようなものがパチン、と入ったような感覚がしました。

――退院後、赤ちゃんに対面した夫さんはどんな感想を言っていましたか?

エムコ 退院するときに初めてわが子を抱っこした夫の感想は「うわあ、かわいいね」でした。まるでペットショップでワンちゃんをだっこさせてもらったくらいのリアクションです。夫は私と違って感情を表に出すタイプではないので、本人なりにかみしめていたんだと思います。私としては、涙の1つや2つこぼして「これから3人家族だな」とか「よく頑張ったな」「ありがとう」とか、そういう、なにか気の利いたひと言があるのではと期待していたんですが…。

だけど、夫が私たちの赤ちゃんを抱っこする姿は、結婚してから5年の間私がずっと待ち望んだ光景だったので、それを見ることができただけで胸がいっぱいでした。

お話・写真提供/潮井エムコさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

夫さんはどんな人?の質問に「私と結婚するくらいだから変わった人です」とエムコさん。「だけど私のことをとても大切にしてくれます」の言葉に、エムコさん夫婦が築く家庭のあたたかさを感じました。

潮井エムコさん(しおいえむこ)

1993年4月1日生まれ。2021年より、noteにてエッセイの執筆を開始。「つらいときほど尻を振れ」をモットーに、日々エッセイをしたためている。

潮井エムコさんのX(旧Twitter)

潮井エムコさんのnote

●記事の内容は2024年6月の情報で、現在と異なる場合があります。

『置かれた場所であばれたい』

生卵を育てさせる先生、元スパイの祖母、娘を山にほおり投げる母・・・。一筋縄ではいかない人間模様を描いたnoteで人気のエッセイを、大幅加筆して書籍化。くすっと笑いながら読めるのに、心にじんわりあたたかさも残る26編のエピソードを収録。潮井エムコ著/1650円(朝日新聞出版)

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