雅子さま 母校から名誉学位を授与も…最終日にあった「報じられてないハプニング」

6月28日、おそろいのガウンで行進された天皇陛下と雅子さま(写真:アフロ)

オックスフォード大学のパッテン総長から名誉法学博士号を授与され、赤いガウンをお召しの雅子さまは、輝くような笑顔を見せられた。

6月29日、天皇陛下と雅子さまが、8日間の日程を終え、英国から帰国された。エリザベス女王の招待から4年、ついに英国ご訪問を成し遂げられ、天皇陛下と雅子さまも感無量でいらしただろう。ご滞在最終日の前日、天皇陛下は囲み取材で次のように語られた。

「思い出の地に戻ってきたという印象を強く持ちましたし、本当に“お帰りなさい”というふうに言っていただいた、『ウェルカムバック』というようなことを多くの方から言っていただいた。本当にこれは私はうれしかったですし、その思い出の地に今回、雅子にとってもこのイギリスは思い出の地ですので、二人でもって立つことができたという、これは本当に大変幸せなことだというふうに思っています」

最終日のオックスフォードご訪問を目前にして、天皇陛下も胸の高鳴りをお感じになっているご様子だったのだ。

出席を予定していた行事にすべて臨まれ、訪英を完遂された雅子さま。だが公式行事が朝から夜まで行われた25日を迎える前には、緊張もされていたようだ。

「昨年のインドネシアご訪問とは異なり、今回の訪英では主治医の大野裕医師が随行しています。また、到着直後の23日・24日を休養日に充てられています。

これらの措置は万全を期して、もっとも重要な日に臨みたいという雅子さまのご決意の表れにほかなりませんでした。25日は、歓迎式典、馬車パレード、無名戦士の墓への供花、晩餐会と、日英両国が注目する公式行事は11時間にも及び、皇后になられてからの雅子さまにとって、“もっとも長い一日”だったといっても過言ではないでしょう。

ご緊張のためか歓迎行事の会場に到着された際には、少しご表情も硬かったのです。しかし晩餐会のころには、すっかりリラックスされていました」(皇室担当記者)

この日は、晩餐会以外にもプライベートな食事会という位置付けで、午餐会も開催された。

「ラウンドテーブルを囲む形式で、雅子さまはチャールズ国王と同じテーブルに座られたそうです。取材設定もなく、アットホームな雰囲気で英国の王族たちと言葉を交わされるうちに、雅子さまも打ち解けられたのでしょう。

実は、この午餐会は26年前に上皇ご夫妻が国賓として訪英された際にはなかった行事です。雅子さまに、よりリラックスして滞在を楽しんでいただきたいという、英王室あげての“心づくし”だったと思われます」(前出・皇室担当記者)

両陛下は国王夫妻と贈答品の交換もされている。陛下は国王に輪島塗の漆器を、雅子さまはカミラ王妃に佐賀錦のハンドバッグを贈られた。

「国王からは金銀製のペアタンブラーとスコッチウイスキー、王妃からは雅子さまのお印である『ハマナス』を描いた特注の扇子がプレゼントされたそうです」(前出・皇室担当記者)

■修士論文完成前に日本へ呼び戻されて

扇子、タンブラー、午餐会、そして「お帰りなさい」という言葉……。さまざまなプレゼントを受け取られた雅子さまだったが、最終日のオックスフォードで、“最後の贈り物”が用意されていたのだ。

小和田家の知人はこう明かす。

「オックスフォード大学からの名誉学位授与は、雅子さまにとって、大変うれしかったことでしょう。

雅子さまは、外務省の研修生としてオックスフォード大学のベイリオル・コレッジに’88年から約2年間留学されました。ハーバード大学では数理経済学専攻でしたが、オックスフォードでは、国際関係論を学ばれたのです。ただ修士論文に取り組んでいる途中、’90年に帰国しなくてはならなくなり、修了されることはできなかったのです。

何事においても几帳面な雅子さまにとって、大きな心残りだったと思います」

修士論文の指導を担当したルーカス・チュカリス教授は週刊誌の取材に対し、こう語っていた。

《マサコは賢いだけではなく、非常に性格がよく、彼女が私の教え子でなければ『尊敬』という言葉に値する人物だと思います。修論はたしか『日本政府によるアメリカ製航空機の購入』というテーマでした。外務省から呼び戻されたため、断念しなければならなかったのは残念でした》(『週刊文春』’06年3月16日号)

この“アメリカ製航空機”とは、当時話題になっていた「FSX」(次期支援戦闘機)のことで、雅子さまは外務省職員として、日米共同開発にいたる外交過程に興味を抱かれていたという。

それにしても、なぜ雅子さまはご留学中に外務省から呼び戻されたのだろうか。

■両陛下のお振る舞いで日本そのものがイメージアップ

「当時は、日米貿易摩擦が課題となっていました。冷戦の終結などを背景に、牛肉や柑橘類の自由化などをめぐって、日米関係が難しい局面にありました。そのため日米間の経済関係に詳しい人材が本省に集められており、若手の雅子さまも注目された一人だったのです」(前出・皇室担当記者)

国際政治経済情報誌「インサイドライン」編集長の歳川隆雄さんもこう話す。

「雅子さまは、北米局北米第二課長からの評価が高かったそうです。ほかの省庁からオックスフォードに留学していた官僚たちからも、“すごく真面目に勉強している”と評判でした。それほどの精鋭なら早く呼び戻そうという流れになったのかもしれません」

将来を嘱望されていたがゆえに、修士論文を完成できないまま帰国された雅子さま。実はご訪英の最終日、オックスフォードを訪問されるにあたって、思わぬ事態が……。

「ロンドンからオックスフォードへの高速道路が事故により大渋滞してしまったのです。そのため同行取材団は3時間半も立ち往生。両陛下は高速道路を使わず、一般道で向かわれました」(前出・皇室担当記者)

ハプニングもあったが、雅子さまはオックスフォード大学から、“卒業証書”を受け取られたようなもので、34年もの心残りが晴れたように感じられたのではないだろうか。

英王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんはこう語る。

「今回の両陛下のご訪英は、コロナウイルスのパンデミック、エリザベス女王の逝去、チャールズ国王のがん闘病と、数多くのハードルを越えて成し遂げられました。

天皇皇后両陛下の和やかな雰囲気のご表情や、英語でお話しになるお姿により、イギリスの日本人に対するイメージがアップしたことは間違いありません。

特に印象に残ったのは、チャールズ国王の手厚い歓迎ぶりです。晩餐会のスピーチも『英国にお帰りなさい』という日本語の挨拶から始まりました。両陛下とのお別れの後、カミラ妃が国王を慰めるように、背中をポンポンと叩いていましたが、よほど名残惜しかったのでしょう。

数々の困難を乗り越え、皇室と英王室の友情を確認し、未来につながるご訪問になったことで、雅子さまも自信を深められたのではないでしょうか」

万感のこもった“卒業証書”を手に、雅子さまも国際親善に励む決意をあらたにされたに違いない。

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