父が抱えた4000万円の借金…女性社長が振り返る人生の転機 「迷いはあった」

アプリ開発を行う株式会社アンドエーアイ代表取締役社長の西真央さん【写真提供:西真央】

20代で、アプリ開発を行う企業を立ち上げた西真央さん。起業して6年、順風満帆に見える西さんには、これまでに人生を変えた2つの出来事がありました。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。前編ではそのひとつ、学生時代に西さんの身に起こった出来事と下した決断について伺いました。

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連帯保証人となったことで背負うことになった4000万円の借金

建設業を営む父の姿を、幼い頃から見てきたという西さん。家を建てたり、設計したり、工務店のような仕事をしていたという父のことを、「大工さんなのかな」と思っていたと懐かしみます。反抗期もなく、「パパっ子だった」西さんは、幼心に「自分もこういう仕事をしてみたいなあ。いつかは私が継ぐのかな」と勝手に考えていたといいます。

学生時代の西さんは運動部に所属するなど、体力的にも性格的にもアクティブな人柄に成長。父の仕事を継ぐことに対しては、「そういう道もありだな」とより前向きにとらえていたそうです。

そんなある日、一家に突然、4000万円の借金が降りかかりました。

「父の事業で……というわけではなく、父が別の人の連帯保証人になっていて。その人が自己破産してしまったことで、思いがけず私たちの家族に、その借金が降りかかってしまったんです」

父が肩代わりすることになってしまった多額の借金。家族に対して申し訳ないと責任を感じつつも、なんとか状況を打破しようとする父とは対照的に、あまりの衝撃で憔悴しきっていたという母。当時、大学生だった西さんは、精神的なダメージが大きかった母を前に、「自分が支えないといけない」と感じたといいます。

「家族の問題なので、『あなたも入って』と言われて借金の話を聞かされたのですが、その後、家庭内はギクシャクしましたね。私は社会人経験もない、ただの学生だったので、4000万円という金額が大きいことはわかっていたのですが、どれほどの額なのか、働いて返済していける金額なのかどうかさえ考えられませんでした。なので今、自分ができることをしようと思い、母を支えることと同時に、自分自身もしっかりしなきゃいけないと考えていました」

借金をしていた知人との話し合いの場には、父と2人で出席。自己破産すると、借金の支払責任が連帯保証人へ移ることを知らなかったようで、悪意はなかったことがわかったといいます。とはいえ、突然降りかかってしまった4000万円の借金。学費も生活費も親に頼り切っていた西さんは、「自分もひとりの人間として、親と対等な立場で仕事をして稼いでいかないといけないと、急に責任感が出た」と当時を振り返ります。

卒業を待たず、大学3年の秋に自主退学を決意

「とりあえず、働かないといけない」

そう考えた西さんでしたが、「突然、大学を退学して仕事を始めても、自分が本当に稼ぐことができるのかわからなかった」と、まずは1年間休学することになりました。

大学では工学部に在籍し、建築やデザインなどのものづくりを学んでいたという西さん。その流れから、学生時代はウェブ制作を行う会社でアルバイトをしていました。

休学した1年間は、「自分が社会の中で、どのくらい価値を見出せるのか、どのくらい稼いでいけるかをみたい」という思いで必死に仕事に打ち込みました。その結果、「ある程度、結果を残すことができて、“大卒”という肩書きがなくても、私は社会でやっていける」と自信を得ることができたといいます。

卒業するべきか、否か――。「正直、迷いはあった」ものの、大学3年間で十分に勉強した自負があった西さんは、退学を決意しました。

それは、「大学に行くことが目的なのではなく、大学で学んだことを活かした仕事がしたい」という思いがあったからだと振り返ります。相談に乗ってくれた教授も状況を理解してくれたそうです。西さんは、両親に退学することを伝えました。

「実は当時、住んでいた家を売ることにもなって、もう家を出ていかくてはいけなくなっていました。そうやっていろいろなものを手放して、状況や環境も変わってしまっていたので、退学することを両親に報告しても、両親は反対するわけでも、賛成するわけでもなく、ただ、『そっか』と私の決断を受け入れるだけでした」

大学3年生の秋、西さんは退学届を提出。アルバイトとして働いていた会社に、卒業を待たず、正社員として入社することになりました。

◇西真央(にし・まお)
大学生のときに父親が連帯保証人となった借金のために、1年間の休学の末に大学を退学。アルバイトをしていたウェブ制作会社に正社員として入社し、デザインの仕事に従事。26歳のときに独立し、仲間たちと一緒に立ち上げたアプリ開発会社は初年度、「売上ゼロ」という窮地に陥ったが、受託開発を増やすことで会社を軌道に乗せることに成功。現在は、受託開発を行いながら、起業当時の「自社サービスのアプリを開発したい」という夢を実現している。

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