多彩な海の幸・山の幸 平城京跡 「大嘗祭」の供え物記した木簡か

奈良市にある平城京の跡の朱雀門に近い場所から多彩な海産物や果物などの名前が記された木簡が見つかりました天皇即位後の重要な儀式・「大嘗祭(だいじょうさい)」の供え物につけた木の札だったと見られています。

朱雀門近くで今年3月まで行われた発掘調査では、1カ所の穴からこれまでに2600点を超える木簡が見つかりその中に聖武天皇が1300年前に即位した際の「大嘗祭」に関連するとみられる木簡が含まれていました。

奈良文化財研究所が見つかった木簡の調査をさらに進めた結果「烏賊(いか)」・「堅魚(かつお)」・「干栗」・「餅米」・「濁酒」などの文字が記された木の札20点が確認されました。これらは平安時代に編さんされた「延喜式」に記されている大嘗祭に用いられる神への供え物と多くが一致しています。奈良文化財研究所は今回見つかった木簡は詳細な資料に乏しい奈良時代の大嘗祭のあり方を研究するうえで重要だとしています。

また、備中国・現在の岡山県西部の地名を記した木簡もこれまでにおよそ180点確認されています。その3分の2にあたるおよそ120点が備中国から運ばれた物品につけられていた荷札だったとみられます。また、平安時代の文献には備中国には9つの郡があったとされますが荷物は9つの郡すべてから運ばれたことがわかりました。

奈良文化財研究所 歴史史料研究室・山本 崇室長

「これだけの荷札が集中して出るということはこれまでに例が無いことですので、「大嘗祭」にどうやって物品を集めたのかどういう形で調達したのか、それを解く手がかりになると思っています。」

歴史書「続日本紀」では、聖武天皇の大嘗祭を支えた国の名に備中国の記述は無く、研究所はなぜ備中国の荷札が集中するのか検討を進めたいとしています。

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