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能登半島地震の発生から7月1日で半年がたちましたが、現在も「避難指示」が続き住むことができない地域があります。
「戻りたいのに戻れない。」長期避難世帯の1つ、珠洲市仁江町(にえまち)の現状を取材しました。
地震から半年がたった7月1日。珠洲市では公費解体が急ピッチで進められていました。少しずつ復旧が進む市内。仮設住宅は市街地や内浦を中心に914戸が完成しています。
一方で、今も半年前とほとんど景色が変わらない場所があります。能登半島の外浦にある珠洲市仁江町(にえまち)。
中谷久雄さん:「私の家は山の一番上橙色の家右側が土砂に埋まって流されて9人が亡くなった。」
区長の中谷久雄(なかや・ひさお)さん。現在はかほく市に避難しています。自宅は大きな被害を免れましたがここに住むことはできません。
土砂崩れの危険性があるとして避難指示が出されているためです。23世帯いた住民はバラバラになりました。
先週末、町の集会所には住民が集まっていました。自宅の片付けや農作業で町に戻ってきたときにここで休憩できるようにするためです。
中谷さん:「ここ本当は国道から内側だから入ってはいけない。長期避難世帯だから。でもここに(もともと)エアコンつけていなかったけどつけて集まるようにしようと。誰が来てもいいように。」
この日集まったのは10人。仁江町には離ればなれになっても住民のつながりを保っているものがありました。
中谷さん:「これがあるおかげでいまこうやって集まれている」(Q.仁江町のみなさんが入ってるライン?)中谷さん:「こうやって連絡する。6月30日日曜、集会所の掃除障子の張り替え周辺の草刈りなどを行いたいと…。」
地震後すぐに作った「仁江町LINE集会所」。みんなで協力して町をきれいに保つのは地震の前と同じ。共同作業の後のお楽しみのご飯も同じです。
津幡町からきた住民:「いずれは戻りたいけど自分だけ戻ってきてもしょうがない。集落のひとがだれもおらんかったら3年後になるのか5年後になるのか。」
いつ戻ってこられるか目処はまだたっていません。町並みは地震発生当時のまま。神社は建物が倒れかかった状態で残されています。
地震の発生から半年。住民は「ライン集会所」で繋がりを保ちながら安心してこの町にいられるようになる日を待っています。