「アキームは常に他人を助けることを厭わなかった」オラジュワンの元代理人が偉大なセンター2人について回想<DUNKSHOOT>

NBAの2023-24シーズンのMVPはデンバー・ナゲッツのニコラ・ヨキッチが自身3回目の受賞を果たしたが、NBAは長い歴史の中で偉大なセンターを何人も輩出してきた。

アキーム・オラジュワンとシャキール・オニール(シャック)はその代表格だが、両者の代理人を務めた経験を持つレオナルド・アルマート氏が当時を振り返っている。

1963年1月生まれのオラジュワンは、84年のドラフトでマイケル・ジョーダンを抑えて全体1位指名でヒューストン・ロケッツに入団した。ルーキーイヤーから主力に定着すると、12年連続で平均20点、10リバウンド以上をクリア。94、95年にはリーグ優勝とファイナルMVPを受賞した。キャリア通算でもシーズンMVP1回、オールNBA1stチーム選出6回、オールディフェンシブ1stチーム選出5回、リバウンド王2回、ブロック王3回、通算ブロック数歴代1位(3830本)など、輝かしい実績を誇る。

72年3月生まれのシャックは、92年のドラフト全体1位指名でオーランド・マジック入り。バックボードを破壊するほどのパワフルなプレーを武器に、瞬く間にリーグを席巻し、マジックではアンファニー・ハーダウェイ、ロサンゼルス・レイカーズ時代はコビー・ブライアント、マイアミ・ヒート在籍時はドゥエイン・ウェイドと共闘。キャリア19年間でリーグ優勝4回、ファイナルMVP3回、シーズンMVP1回、オールNBA1stチーム選出8回、得点王2回と“史上最も支配的なセンター”とも呼ばれた。
そんな両者は、95年のNBAファイナルで対戦した縁もある。『シャック・ブランド』の立ち上げに携わり、その前にはオラジュワンの代理人も務めていたレオナルド・アルマート氏は『Essentially Sports』のインタビューで、偉大なセンター2人について回想している。

「アキームは(シャックより)年上で経験豊富だった。シャックがリーグに入ってきた時、私が紹介したんだ。アキームは実際に彼を助け、一緒にワークアウトしたりもして、友人になった。そして、面白いことにシャックが3年目のシーズンに、NBAファイナルでアキームと対戦した」

ファイナルでは当時3年目の22歳だったシャックも平均28.0点、12.5リバウンド、6.3アシスト、2.5ブロック、FG成功率59.5%をマークしたが、11年目の32歳とより経験豊富だったオラジュワンは平均32.8点、11.5リバウンド、5.5アシスト、2.0スティール、2.0ブロックとそれを上回る内容で圧倒し、スウィープ勝ち(4連勝)でロケッツを連覇に導いた。
シャックは人気ポッドキャスト『All The Smoke』で、当時について「俺たちはマイク(ジョーダン)を倒した」と、カンファレンス準決勝でジョーダン擁するシカゴ・ブルズを破ったことで、自分たちがアンタッチャブルだと感じて少なからず油断があったことを明かしている。

「お互いに尊敬し合っていたのか。それとも、あのシリーズ以降にライバル関係になった?」とインタビュアーから尋ねられたアルマート氏は、両者間の“ある事実”を明かした。
「常にお互いに尊敬の念があったし、シャックはアキームをリスペクトしすぎているとさえ言っていた。シャックはアキームのことがそれほど好きではないと言っていた気がするけど、彼らは少しスタイルこそ違えど、2人とも非凡なプレーヤーだった。

それぞれのやり方を持っていたけど、アキームはアメイジングな選手で、素晴らしい人間であり、常に他人を助けることを厭わなかった。多くの選手を助けてきた歴史がある。シャックを助け、コビー(ブライアント)を助け、レブロン(ジェームズ)を助けた。アキームは選手たちがポテンシャルを発揮するのを助けてきたことによるレガシーがある」

オラジュワンという存在があったからこそ、シャックが史上最高のセンターの1人まで上り詰められたのは間違いないだろう。

構成●ダンクシュート編集部

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