勝利の鍵となったリターンでプレッシャーをかけ続けた大坂なおみ、スライディングを習得し苦手の芝を克服できるか<SMASH>

1時間31分に及ぶ、起伏に富んだフルセットの戦いに終止符を打ったのは、ディアーヌ・パリ(フランス/世界ランク53位)のダブルフォールトという、やや意外なポイントだった。

パリは打った直後には敗戦を悟ったのだろうか、セカンドサービスがネットを叩くと同時に、握手のためにネットへと歩み寄る。そして勝者は小さく拳を握りしめると、やはり淡々とネット際へと向かっていった。

スコアは、6-1、1-6、6-4。5年ぶりに出場するテニスの四大大会「ウインブルドン」(イギリス・ロンドン/芝)で、大坂なおみ(113位)は生みの苦しみを味わいながらも、価値ある白星をつかみ取った。

一年前の、この時期――。大坂は文字通りの、生みの苦しみの最中にいた。

「実は試合前に、“一年前の出来事”をまとめたフォトアルバムを見ていたの」と、試合後に大坂が明かす。

そこに写っていたのは、病院にいる自分の姿。愛娘のシャイちゃんが誕生したのは、1年前の7月2日のこと。

「あの時の私が考えていたのは、ひたすら無事でいることだった。正直、出産後のことは皆目見当もつかなかった」

一年前の自分たちに寄りそうように、大坂は優しく笑った。
そこからの月日の流れは、「ものすごく早かった」と大坂は言う。今の彼女は、8月末にニューヨークで開幕する全米オープン(ハード/四大大会)を明確なピークに見据え、猛スピードで復帰の道を駆けている道中だ。

最後にウインブルドンを訪れた5年前と今とでは、「人としても選手としても、驚くほどに変わった」と大坂は自己分析する。ケガや重圧のために、出場を見送ってきたウインブルドンに出場したのも、変わったことの一つ。今季は可能な限り多くのツアー大会に出場し、その旅路の多くを娘とも共有している。初めて歩く娘の姿も、ヨーロッパ遠征中に目撃した。

以前から「あなたのプレーは芝向き」と関係者にも言われていた大坂が、芝に苦手意識を抱く主な要因はフットワークにある。その大坂が今大会の開幕前、興味深い言葉を残した。

「芝の上で、スライディングするのを試しているの」 芝で選手たちを悩ませるのは、グリップが効かず、止まったり切り返そうとすると、期せずして足を滑らせ時に転倒してしまう点。その芝の慣性を巧みに制御しているのが、このコートで7度優勝しているノバク・ジョコビッチ(セルビア/男子世界2位)だ。

大坂はそのジョコビッチに、芝でスライディングするコツを尋ねたことがあるという。答えは「何度も試すこと」。たとえ幾度転ぼうとも、そのつど立ち上がり、またトライする。それこそが、彼こそが踏破した習得のための方法だったというのだ。

ジョコビッチを参考にしているということで言えば、出産からの復帰以降、重点的に改善に取り組んできた“リターン”も挙げられる。以前はリターンの際に、足を前後に開き、歩くように前に踏み出していた大坂だが、今は足を水平に開き、両足で細かくスプリットステップを踏むようにしている。反応速度を速める狙いがあり、それもまた「リターンの名手であるジョコビッチを真似た」と、大坂は恥ずかしそうに明かしていた。
久々のウインブルドンでの戦いとなった1回戦で、「勝利の鍵」に大坂が挙げたのも、リターンである。第1セットはその威力が誰の目にも明らかで、リターンポイント獲得率は、相手のファーストサービス時で44%、セカンドサービスでは67%を記録。しかも重要な場面で集中力を上げ、リターンで3連続ポイントを奪うゲームもあった。

そこから一転、第2セットでは、相手の片手バックハンドから繰り出されるスライスに苦しめられる。ブレークも奪えなかったが、それでも手にしたブレークポイントは4本。

「スコアには現れなかったけれど、常に相手にプレッシャーをかけ続けていると感じていた」と、大坂は試合後に振り返る。そして「だからこそ、マッチポイントで彼女はダブルフォールトをしたのだろう」とも。相手のミスのように見えた終幕だが、その実、向上した大坂のリターンの対価だった。

なお、芝でのスライディングについて大坂は、「何度かうまくいったけれど、まだ怖さを覚える。もっと茶色い部分が見えてきたら、やりやすくなるのかな」と言った。

「茶色い部分が見えてきた」時とはすなわち、芝が剥げ、土がのぞく大会後半。大坂の照準は、その時に定められている。

現地取材・文●内田暁

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