愛子さま 両陛下ご訪英で不在のなか見せられていた「退社ルートの異変」

愛子さまのご声望は高まるばかりだ

天皇皇后両陛下が訪問されていた英国で、歓迎式典や晩餐会といった公式行事に臨まれていた6月25日の夕方、日本赤十字社(以下、日赤)からの愛子さまの“家路”は、ふだんと少し異なっていた。

「皇居の“通用門”と呼ばれる乾門を使われることが多いのですが、この日は半蔵門から入られました。この門は、天皇皇后両陛下や皇太子ご夫妻がおもにお使いになってきたので、いつも愛子さまは通られないのです。

両陛下の英国ご訪問中、唯一の皇女として、両陛下がご不在の間も“両親に代わり皇室の果たすべき使命を守り、国民を守る”という、愛子さまのご決意が表れていたように感じました」(皇室担当記者)

6月29日、日英両国の友好をさらに深化させて帰国された両陛下。今後も世界各国からの招待に、日本政府の外交政策をふまえて訪問国が決められていくが、英国に続き期待が高まっている国があるのだ。

「天皇陛下と雅子さまにとって関係が英王室と同等に深いスペインが筆頭候補でしょう。日本とスペインの関係は戦国時代までさかのぼることができ、近代以降も経済や文化、さまざまなレベルでの交流があります。

皇室とスペイン王室の往来も多く、なかでも陛下は現国王のフェリペ6世と、英国ご留学以来のご関係があります。皇太子時代を含めて陛下は5回もスペインを訪問され、フェリペ国王も即位前からたびたび来日しています。

陛下と雅子さまが出会われるきっかけとなったのは、1986年10月に来日したスペインのエレナ王女の歓迎茶会です。また1998年に来日したフェリペ6世を、両陛下が鎌倉を案内してもてなされた際にも、皇室とスペイン王室の関係をより深めたと高く評価されていました」(前出・皇室担当記者)

陛下と雅子さまにとってスペインへ足を運ばれることは、20年前に成し遂げられなかった悲願でもある。当時を知る宮内庁関係者は、こう明かす。

「2004年5月、天皇陛下と雅子さまはデンマークやスペインなどを歴訪され、デンマーク皇太子(現在のフレデリック10世)と皇太子時代のフェリペ6世の結婚式に参列されるご予定でした。しかし前年末に雅子さまが著しくご体調を崩されてご療養に入られてしまい、両陛下は直前までご努力されたものの、雅子さまのご同行は叶わなかったのです」

このご歴訪を終え、“いつの日か二人で”と綴られたご感想を公表されていた陛下。そして、その後に来日したフェリペ6世夫妻と両陛下がいっそうご友情を深めるご様子を、愛子さまはもっとも近くでご覧になっていた。2005年に来日した国王夫妻を東宮御所に招き、夕食会を催されたときのことだ。

■世界各国の王室では“家族単位”が標準に

「当時、懐妊中だったレティシア王妃を気づかわれたメニューなどを雅子さまが決められ、愛子さまもおもてなしに加わられました。愛子さまはこうした交流を間近でご覧になっていたからこそ、6歳からスペイン語の勉強を始められ、今日まで継続されているのでしょう。両陛下は今後のスペインとの国際親善に、愛子さまも深く関わってもらいたいと願われているはずです」(前出・宮内庁関係者)

今も続く雅子さまの“ご体調の波”との闘い。英国でも行事を絞らざるをえない状況もあったが、この困難を克服される答えが、天皇ご一家の“家族で臨む”スタイルにあると、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは語る。

「昔の家父長的な家族のあり方ではなく、天皇ご一家が仲むつまじくご養蚕やコンサートのご鑑賞に臨まれる形は、国民に近く、しかしどこかで憧れを抱かせる象徴天皇のお姿を示しているのではないでしょうか。

親子での外国への訪問も、各国の王室ではめずらしいことではなくなりました。雅子さまのご負担が大きいときに、愛子さまも一緒に訪問されていれば、陛下と愛子さまが行事に臨まれるといったように、フレキシブルな形も検討されていい段階にあると思います。また、同世代が軒並み女王となる欧州王室との交流を深めるという点からも、愛子さまが同行されるメリットは大きいと言えます」

ベルギーのマチルド王妃とエリザベート王女がケニアの難民キャンプを2019年に訪問したケースや、ドイツで開催中のサッカーの欧州選手権では、デンマークのフレデリック10世がヨセフィーネ王女と代表チームの試合を観戦するなど、世界の王室では家族でさまざまな務めに臨むことが主流となっているのだ。

今後どのような困難な“関門”が立ちはだかろうとも、両陛下と愛子さまは手を取り合って、令和の国際親善を加速させられていく。

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