会社員から演歌歌手へ……坂本冬美が胸の内に秘めた故郷・和歌山への思い「それを忘れてしまったら、私はもう終わりですね」

坂本冬美 撮影/有坂政晴

圧倒的な歌唱力で、聴く人を物語の世界に引き込む、演歌歌手の坂本冬美。19歳で歌の世界に入り、デビュー曲『あばれ太鼓』が大ヒット。翌年には『祝い酒』でNHK紅白歌合戦に初出場し、通算35回目となった2023年は、JO1×BE:FIRSTを従えて『夜桜お七』を熱唱し話題になった。ジャンルを超えて活躍する坂本は、今年6月26日にカバーアルバム『想いびと』をリリース。数多くの心に染みる歌を世に送り出してきた坂本冬美のTHE CHANGEとは──。【第4回/全4回】

‘86年、地元・和歌山の梅干し会社で働きながら歌手を夢みていた坂本冬美は、NHKの『勝ち抜き歌謡天国』に出場し、恩師の猪俣公章と出会う。上京して、内弟子として8か月間のレッスンを受けたのち『あばれ太鼓』でデビューを果たす。

「デビューするときに、芸名の候補がいくつかと、『ふゆみ』とひらがなにする案がありましたが、最終的には本名そのまま、歌手・坂本冬美になりました。いまとなっては、なんて演歌歌手にぴったりの名前なんだろうと思いますが、お仕事でもプライベートでも同じ名前というのが、ちょっと困ることもありましたね」

例えば病院。いまでこそ呼び出しは番号だが、以前はフルネームを大きな声で呼ばれたものだった。

「看護師さんが〝坂本さ〜ん、坂本冬美さ〜ん〟とおっしゃると、待合室の視線が集まっちゃうんですよね。いえ、集まること自体は、いいんです。ただ、集まった先にいるのが、すっぴんジャージ姿の私なので、みなさんの表情が〝ん?〟となるんです(笑)。それがけっこうプレッシャーで……。病院に行くときもお化粧していかなくちゃダメかしら、とけっこう真剣に考えました(笑)。
最近の病院ではそういうことはなくなりましたが、いまでも飛行機だけは乗り遅れないようにしています。〝サカモトフユミさま、お伝えしたいことがございます〟とアナウンスされたら、またもや周囲の方から〝ん?〟というお顔をされちゃうので!」

遅れないように空港へ行き、バッグから取り出すのはQRコードを印刷した紙。

「スマートフォンでピッとやる方が多いですけど、まだデジタルを信用していないところがあって、毎回印刷してから持って行くんです。それでも、無事に搭乗口を通過できたときは、いつもホッとしますね(笑)」

素顔は故郷・和歌山に住んでいたころの「坂本冬美」のまま

数々の難関を突破して、故郷・和歌山の空港に降り立った瞬間、歌手「坂本冬美」は、ひとりの「坂本冬美」になる。

「和歌山にいるときは、ご近所の『冬美ちゃん』だし、同級生にとっては『冬美』。キレイなお衣装を着て、華やかなライトで照らしてもらっていても、私の原点はここにある。ここで生まれ育った、歌が大好きな坂本冬美。みなさんに応援してもらえたからこれまで歌ってくることができただけの坂本冬美だと、帰るたびに感じます」

休みが取れたら故郷へ帰り、和歌山の空気を胸いっぱいに吸い込む。スーパーへ買い物に行くと「あら、冬美ちゃん、帰って来てたの」と、普通に声をかけられる。それが、この上なく幸せだと、穏やかな表情で語る。

「故郷があって、帰ればいつも変わらずに接してくれる人たちがいるから、私はこの道を歩んで来られた。それを忘れてしまったら、私はもう終わりですね。そう思います」

これまで、坂本冬美には数々の試練と転機があった。デビュー10年後に、最愛の父親が事故で他界。恩師との永遠の別れ。自身の闘病と、芸能活動一時休止。復帰と、最大のヒット曲『また君に恋してる』との出合い。そして、‘22年に母親が、’23年には弟が相次いでこの世を去った。

しかし、故郷和歌山は、いつも温かく迎え入れてくれる。

「この先も、この声が続く限り歌っていきたいです。他に、私が生きていける場所はないですから。少しでも長く歌っていけたら、これほど幸せなことはないですね」

坂本冬美 撮影/有坂政晴

坂本冬美(さかもと・ふゆみ)
1967年3月30日生まれ、和歌山県出身。‘86年、NHK『勝ち抜き歌謡天国』和歌山大会で名人となり、同番組で歌唱指導をしていた猪俣公章氏のすすめで上京。内弟子を経て’87年に『あばれ太鼓』でデビュー。‘88年、『祝い酒』でNHK紅白歌合戦に初出場。その後、RCサクセションのアルバムに参加し、’91年には、忌野清志郎、細野晴臣とロックユニットHISを結成して活動の場を大きく広げる。‘09年に発表した『また君に恋してる』は第52回日本レコード大賞で特別賞を受賞するなど、記録的なヒットとなった。今年2024年は2月21日にシングル『ほろ酔い満月』を、6月26日に最新カバーアルバム『想いびと』をリリース。

■【画像】『勝ち抜き歌謡天国』に出場時の坂本冬美さん。昭和歌謡の立役者であり恩師の猪俣公章との貴重なショット

写真/本人提供

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