監督の哲学 押し付けない指導で選手の力を引き出す飯田朱音監督(昭和学園高校バドミントン部) 【大分県】

今年4月に新卒で赴任した先は母校の昭和学園高校だった。飯田朱音は国語の教諭として教壇に立ち、バドミントン部の監督として指導する。「母校に帰って来ることができたのは良かったが、毎日大変。授業の準備は当たり前だが、部活まで目が行き届かないことが多い。OBやOGが手伝ってくれているので助かっている」と、慌ただしくも充実した日々を送っている。

高校時代は1年から活躍し、春夏の全国大会に5度出場した。軽快なフットワークで、バラエティーに富んだショットを打ち、攻守のバランスのとれたオールラウンダーだった。専修大学時代も関東リーグやインカレの団体、個人シングルスに出場して実績を積んだ。大学3年次が終わる頃に現役にピリオドを打とうと決め、教職の道に進んだのは、母校での教育実習の体験があったからだ。「教育実習時に県高校総体があって、監督の補佐をしていた時に指導者に向いていると思った」。当時は伝えたいことが伝わらないもどかしさがあったようだが、教育実習を終えてからは「コーチング」と「ティーチング」の違いを学び、自らの指導論の形をつくった。

ポジティブな言葉で選手の力を引き出す

飯田を指導していた吉田太郎コーチは、「高校の頃から飯田には指導者になってほしかった。仲間への接し方、部内での役割を分かっていたし、伝えることが上手な選手だった」と振り返る。自分の後釜として当時から、選手目線と監督目線で競技の捉え方を伝授した。飯田が赴任してすぐに監督の座を譲り、サポート役のコーチに回ったのは信頼があるからこそ。

飯田は一昔前の、指導者の意見が絶対で、「私の言うことを聞けばいい」といった指導はしない。自身の豊富な経験を押し出さず、それぞれの選手とコミュニケーションを図り、相互理解の上で長所を伸ばすのか、短所を少なくするのかを決める。必要なことを的確にアドバイスできるようにしている。「指導者がどこまで認識し、受け入れられているのか。時代が変われば常識も変わる。大切なのは柔軟性と寛容性」という。ただ、選手時代から変わらぬものある。「競技ができる環境が整っているのは当たり前ではない。支えてくれる方々がいてこそ集中して練習できる」。どんなに実力があっても、練習で手を抜く選手には厳しく叱咤(しった)する。

5月の県高校総体で50回目(昭和女子高時代含む)の優勝を飾った。自身がそうであったように「個人戦より団体戦で力を発揮できる選手を育てたい。バドミントンは個人競技だが、みんなで一つと思える選手が大一番でも力を発揮できる」。新米監督は一体感を植え付け、全国高校総体で選手の力を一気に開花させることで、成功体験と自信を得ようとしている。

母校で指導する飯田朱音監督

(柚野真也)

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