U-17W杯で突きつけられた世界との差。茫然自失で見上げた空...機は熟した。藤田譲瑠チマは噛みしめた悔しさを晴らせるか【パリ五輪の選ばれし18人】

パリ五輪に挑む大岩ジャパンのメンバーがついに発表された。ここでは56年ぶりのメダル獲得を目ざすU-23日本代表の選ばれし18人を紹介。今回はMF藤田譲瑠チマ(シント=トロイデン)だ。

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2019年の秋。当時東京ヴェルディのユースに所属していた藤田譲瑠チマは、ブラジルの地にいた。

森山佳郎監督(現・ベガルタ仙台監督)が率いるU-17日本代表のメンバーに選ばれ、U-17ワールドカップに出場。自身初の国際舞台を経験し、ボランチの一角で強度の高いプレーと圧倒的なボール奪取能力を存分に披露した。

個人としての才覚を示して評価を高めた一方で、世界との差を見せつけられた。

オランダとのグループステージ初戦は3-0で勝利するなど、2勝1分のグループ首位でノックアウトステージ進出を決め、藤田は自信を深めていた。

「実際にやってみて、届かない存在ではない」。選手の間でも「もっと上にいける」という声が聞かれ、自信を持ってラウンド16の戦いに挑んだ。相手は北中米の強国メキシコ。しかし――。

試合前にいきなり見舞われた大雨の影響もあり、普段のプレーが個人としてもチームとしてもまるでできなかった。結果は0-2の敗北。試合後のピッチで仰向けになった藤田は、茫然自失の表情で空を見上げた。

「世界の選手と戦えたことは本当に良い経験になると思う。将来、世界でやっていくための準備期間と捉えて、この経験を無駄にせずにやっていきたい」

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そこから藤田は強く逞しくなるべく、険しい道を歩き続けた。

U-17W杯のリベンジを誓い、21年のU-20W杯を目ざす。20年にヴェルディでトップ昇格を果たすと、1年目からレギュラーポジションを確保して躍動。まさに“緑の心臓”と呼べるほどの活躍ぶりで、チームに欠かせない選手となった。

だが、新型コロナウイルスの影響でU-20W杯の中止が20年末に決定。成長の機会を失ったが、立ち止まっている暇はない。幼少期から席を置いていたヴェルディを離れ、21年シーズンからは新たな刺激を求めて徳島ヴォルティスに完全移籍。だが、ここで初めてプロの壁にぶち当たる。

スタイルが近しいという想いで新天地に赴いたが、苦戦を余儀なくされた。自身初となるJ1での戦いでもあり、簡単にいかないのは理解していた。それでも開幕から出場機会を掴み、上々の滑り出しを見せたかに思われたが、状況が一変する。

新型コロナの感染拡大の影響で来日が遅れていた新指揮官ダニエル・ポヤトス(現・ガンバ大阪監督)が4月半ばに合流すると、そこから試合に絡めなくなった。

「自分は中学以降、ヴェルディ以外でプレーした経験がなかったなかで、価値観やサッカーの思考が似ているチームに移籍したつもりだった。だけど、徳島はサッカーの考え方もやり方も違う。それは移籍して初めて分かったこと」

もっとも、貴重な経験としてポジティブに受け止めた。

「価値観において最初は難しく、『なんでここにいないんだ』と思う場面もあったけど、今となってみれば、海外に行けば価値観が違うのは当たり前だし、今以上に違うと知った。それを考えたら、この移籍は良かったと思う」

最終的に21年シーズンは28試合に出場。徳島での1年が藤田を一回り成長させたとも言える。22年シーズンは再びクラブを変え、横浜F・マリノスに加入。出場機会を増やし、ボランチで確かな存在感を示した。

同時に22年3月に立ち上がった大岩ジャパンにも継続的に招集され、パリ五輪を目ざすチームのリーダー格として振る舞った。同年7月に欧州組や一部の主力がいなかったとはいえ、E-1選手権でA代表デビュー。着実にステップアップしていった。

23年シーズンもクラブと代表で活躍し、夏には自身初の海外移籍を決断。ベルギー1部のシント=トロイデンに加入し、異国の地で新たなキャリアを歩み始めた。

現状維持は退化――。そう言わんばかりのチャレンジャー精神で、常に前を向いてトライを続けてきた。簡単な道を選ぶより、困難な選択をしてさらなる成長を目ざす。そのスタンスは今も昔も変わっていない。

今年4月半ばから5月初旬にかけて行なわれたU-23アジアカップ。パリ五輪のアジア最終予選を兼ねた大会でキャプテンを託された男は、仲間を鼓舞し、チームを見事に優勝に導いて、上位3か国に与えられる出場権獲得に貢献した。

大会MVPにも選ばれた。名実ともにパリ世代の“顔”になった。

「自分自身も自チームで苦しい時期を過ごしたなかでも呼んでもらった期間があったので、感謝したいですし、本当にチームが良くなったなという気持ちもあるので、このままレベルアップしてオリンピックに向かっていきたい」

ピッチ内外で強烈なリーダーシップを発揮し、豊富な運動量とインテンシティの高いプレーで攻守に関わり続ける。機は熟した。悔しさを噛みしめたU-17W杯からの5年間の集大成として、大舞台に挑む。

取材・文●松尾祐希(サッカーライター)

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