【ブル中野連載#11】「長与千種をイジメてゴメンね」ダンプ松本さんがラストマッチで謝罪

ダンプ松本(左)との別れが訪れた(右がブル中野)

【ブル中野・告白(11)】1988年2月、ダンプ松本さんが現役を引退しました。引退を決めたダンプさんからは「芸能界に行こう」と誘われていたので「どうやって断ればいいかな」と考えていました。プロレスでやり残したことばかりで、芸能界に行っても、続かないと思っていたからです。ただし断ったら一緒に頑張ってきた思い出とか全部なくなってしまい、仲が良いままではいられないことがわかっていたので言いづらかった。

最近になってダンプさんとユーチューブ「ぶるちゃんねる」で対談したときにその時の話をしたら「そんなこと言ったっけ?」って覚えてないんです。私は断るのに何日も悩んだのに…。本当はライオネス飛鳥さんも入っていたようですが、最初に断ったみたいで、ダンプさんと大森ゆかりさんだけが芸能界に行くことになりました。

ダンプさんが引退して1年後くらいに食事をする機会があり「あのとき一緒に芸能界に行っていれば、お母さんも喜んでいたよ。毎日仕事が入っているし」と言われました。確かにダンプさんは芸能界に行って3年くらい途切れることなく仕事が入っていたので良かったと思います。逆に全女はドンドンお客さんが減っていましたから。でも私は全然後悔していません。むしろ行ったら後悔していたと思います。

2月25日の川崎市体育館大会でダンプさんの引退試合が開催されました。すごく豪華な引退式でした。3日後にはダンプさんの地元・熊谷市体育館でラストマッチがあり、そちらが極悪同盟っぽかったかな。最後、私たちも一人ずつ当たり、みんな泣きながら試合をして。「(長与)千種のファンの人たち、今まで千種をイジメてゴメンね」って。ダンプさんらしい言葉でマイクをして、とても和やかでした。

ダンプさんが引退した後、極悪同盟の子たちは行くところがないじゃないですか。「じゃあ軍団をつくろう。入りたいヤツは入れ」みたいな感じで「獄門党」ができました。ダンプさんが派手な悪役だったので、暗い「陰」のイメージを考えると横溝正史さん(※)だったんです。横溝さん原作の「獄門島」という映画があったので島の字を変えて「地獄の門を一緒にくぐった仲間たち」という意味を込めました。

88年12月にはタイに遠征しました。ブル中野のポスターを持って出待ちしてくれた人がいて空港は大騒ぎです。スーパーで見て知ったのですが、現地ではクラッシュ・ギャルズ(長与&飛鳥)全盛期のころの全女が放送されていたのです。だからテレビの方が全然動きが良い。「今、こんなんじゃないから。絶対にがっかりするだろうな…」って思いましたよ。その後、台湾にも遠征するのですが、この時は大変な目に遭って…。

※推理作家。名探偵・金田一耕助シリーズで知られる

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