8大会連続へ「サッカーW杯出場」のハードルは上がったのか(1)西アジア遠征2回の「幸運」とアジア最終予選の「実際」、出場枠は「8.3333…」

W杯アジア2次予選を無敗で終えた日本代表。組み合わせも決まり、「最終予選」に挑む。原悦生(Sony α1使用)

サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、8.333…枠に入る確率。

■死の組報道も…「2つだけでよかった」

秋田県とほぼ同じ面積しかない小国カタールでの大会から、約1900倍、気が遠くなるほど広大な北米大陸の3か国(カナダ、アメリカ、メキシコ)を舞台とする大会へ―。2026年ワールドカップの「アジア最終予選」の組分け抽選が行われ、試合日程も発表された。

8大会連続出場を、そして「優勝」を目指す日本は、オーストラリア、サウジアラビア、バーレーン、中国、そしてインドネシアとともにC組に入り、9月10日木曜日、中国とのホームゲーム(埼玉スタジアム)で予選のスタートを切る。

2022年カタール大会に出場した6チーム(日本、韓国、オーストラリア、サウジアラビア、イラン、カタール)のうち3チームが集まったことで、C組を「死の組」と表現するメディアもあるが、私は、「西アジア勢が2つだけでよかった」という思いが強い。なにしろ今回の「アジア最終予選」の出場18チームは、9チーム、すなわち半数が、イランを含む西アジアだったからだ。

10時間を超す移動を要するだけでなく6時間の時差があり、気候も大きく違う西アジア勢とのアウェーゲームは、大きな負担となる。強豪サウジアラビアと、油断のならないバーレーンとはいえ、西アジアへの遠征が2回だけになったのは幸運と言わなければならない。読者は、この抽選結果をどう捉えているだろうか。

さて、ここまで私は「アジア最終予選」とカッコ付きで書いてきた。もちろん、正式名称ではないからだ。アジアサッカー連盟(AFC)では、「3次予選」と呼んでいる。

■最終予選は「3次予選」、最後の望みは…

今回の「アジア予選」には、AFC加盟国で同時に国際サッカー連盟(FIFA)に加盟している全46か国が出場している。AFC加盟国であるものの、FIFA未加盟の「北マリアナ諸島」には出場権がない。46チームのうち、FIFAランキング下位の20チームが2チームずつ組み合わされてホームアンドアウェーで「1次予選」を行い、勝ち進んだ10チームとシードされた26チーム、計36チームを4チームずつ9組に分けて「2次予選」。そして各組上位2チーム、計18チームを3組に分けて「3次予選」となる。

この「3次予選」で各組の上位2チームに入れば、そこでワールドカップ出場権が確定する。そこで日本のメディアでは「最終予選」と呼んでいるのだが、もちろん、まだ先がある。各組3位と4位、計6チームは3チームずつ2組に分かれて1回総当たり制の「4次予選」を行い、それぞれ首位が出場権獲得、2位同士は「5次予選」を行い、勝者が「大陸間プレーオフ」に出場して出場権獲得を目指す。

「大陸間プレーオフ」は、従来は2つの地域連盟(大陸)同士の対戦(ホームアンドアウェー)で勝ったチームが出場権を得ていたが、今回は欧州を除く5つの地域連盟から各1、ホスト地域連盟(今回は北中米カリブ海サッカー連盟)からもう1チーム、計6チームが出場し、3チームずつに分かれてノックアウト方式で戦う。シードは、そのときのFIFAランキングで決められる。そして勝ち残った2チームがワールドカップ出場権を獲得するという形である。

今回、2026年大会の「AFC枠」は「8チーム+プレーオフの0.5チーム」と表現されることが多いが、正確に言えば大陸間プレーオフを勝ち抜くチャンスは3分の1、すなわち、AFC枠は「8.3333…枠」となる。

しかし、プレーオフまで行くのは本当にしんどい。何としても、今年9月から来年6月まで行われる「3次予選」で2位以内を確保し、出場を決めてしまいたいところだ。というわけで、ここから再び、「アジア最終予選」という表記をしたいと思う。その歴史を振り返り、26年大会の「最終予選」の難度がどの程度か、読者に判断してもらおうというのが、今回の記事の眼目である。

■「アジアの地」でのW杯予選の始まりは…

さて、ワールドカップが1930年(昭和5年)のウルグアイ大会に起源を持つことは、多くの人が知っているに違いない。この大会は出場チームを集めるのに苦労し、16チームでの大会実施を目指したものの、最終的に13チームで開催された。当然、予選はなかった。

第1回大会の成功を受けて第2回イタリア大会には32チームがエントリー。ここで初めて予選が行われ、現在は「アジア」とされている地域からの参加があった。パレスチナである。

しかし現在のパレスチナとは違う。正確には「イギリス委任統治領パレスチナ」。当時は、現在のイスラエルとパレスチナを合わせた地域を版図としていた。第一次世界大戦の結果を受けて創設された地域で、目的は「ユダヤ人のための郷土」をつくることだった。第二次世界大戦後にイスラエルとパレスチナに分割され、現在の形になったが、1934年ワールドカップ当時の「パレスチナ」は現在のイスラエルの前身であり、サッカーが盛んになっていたドイツなど欧州から移住したユダヤ人によるチームだった。

3チームがエントリーした「アフリカ・アジア予選」では、トルコ(アジアに分類されていた)が棄権、パレスチナはエジプトとホームアンドアウェーで戦い、1-7、1-4で連敗して出場権を逃した。1934年4月6日にエルサレムで行われた第2戦が、「アジアの地」でのワールドカップ予選の始まりである。

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